ボ―――ン……。ボ―――ン……。
古い柱時計の音が堂内にやわらかく響く。
奇跡的に焼け残って、
子ども達が帰った後のひっそりとした静けさのなか、剣心がそのボンボン時計の手入れをしていた。
ほこりを払い、綿手ぬぐいを刺し子に縫った雑巾でから拭きし、木部とガラスを磨き、最後にねじを巻く。ゆっくり時間をかけて黙々と行われる一連の動作は、まるで神聖な儀式のように粛々と、時計と語らうように親密に、なされていく。
この時計のぜんまいは八日巻き。
だから週に一度、剣心はこうして時計と語り合う。
生類園にいた幼年期の記憶は戻らないままだが、この古時計の音は覚えている。あたたかくてやさしくて哀しい。涙に似たものがこみ上げてくる。
ボ―――ン……。
届かない思い出。いつか思い出すことはあるのだろうか。失った過去にとりたてて焦慮を覚えることはないが、こんなに切ない気持ちをもたらすのはどんな記憶なのだろうとは思う。
ボ―――ン……。
時計に頭をつけてみた。深いまろやかな振動がじかに体に沁みてくる。
ふと気配を感じて顔を上げると、窓から左之助がのぞいていた。
無視されるかとも思ったが、呼び入れると左之助は素直に応じた。
今日の左之助は目つきも穏やかで、あの手負いの獣のような荒々しさは感じられない。
「これ」
と、木製の時計の右下の角に、節ばった長い指を当てた。
囓られて傷だらけになっている。噛んだのは、まだ小さかった頃の左之助だ。
「よく怒られた」
くすりと苦笑する、彼のそんな表情を見るのはずいぶん久しぶりだった。
穏やかな微笑が剣心にもうつる。
「ああ。よく怒った。何度言っても聞かなかったが」
「旨かったんだよな。この木がいちばん」
四年前、上下衛門と菜々芽が不幸な事故に遭ったとき、左之助は生後五か月だった。
園長職は浦村副園長が、遺された左之助の身許は適応塾の相楽塾長がそれぞれ引き受けたが、動物生態学の研究者として多忙な日々を送る塾長に代わって、両親をいちどきに失った幼な子の面倒を見たのは剣心である。さみしがって夜泣きをすれば添い寝をし、親を恋しがればかわりに抱きしめ、むずかる夜には世話をしてなだめ、換毛期には毎日ブラシをかけてやった。左之助が卒園するまでの約一年半を、剣心は彼と共に暮らした。
はちきれんばかりの元気な子どもだった。ひとときたりともじっとしているということがなかった。食べているときと寝ているとき以外は、いつも走り回っていた。手当たり次第に噛みたおし、大暴れをして、しょっちゅう剣心に怒られては、泣いたり怒ったり暴れたり拗ねたりしょぼくれたりしていた。
だが、何度叱ってもいたずらをやめなかった左之助が、ある日を境に、この時計だけはぴたりと囓らなくなった。
その日、剣心は、急病で高熱を出した園児の処置に忙しかった。やっと容態が安定してホッとした剣心は、ふとあることに気づいた。
時計が鳴っていないのである。
一時間以上はバタバタしていたはずだが、その間一度も聞いていない。半時の鈴棒もなかったのだからまちがいない。どうしたのかと様子を見に来た剣心は、そこに柱から落ちて振り子の外れたボンボン時計と、その木枠に夢中で囓りつく子狐の姿を見出した。
振り子式で大きな柱時計とはいえ、大人なら両腕で抱えられる程度の大きさである。
剣心は無言で左之助をつまみだし、止まってしまった柱時計を膝に抱えて座り込んだ。
いつにない反応に困惑した子どもが窓によじ登って中を窺うと、剣心はうずくまるように俯いていた。口はきゅっと白く結ばれて、澄んだ宵闇色の目に溜めかねた涙がぽろりとこぼれ落ちるところだった。
『ゴメンナ、剣心。ゴメンナ』
人の子の姿のときとは異なる、コロコロと玉の鳴るような細い声である。
いとけない尾を垂れ、小さな耳をぺたりと寝かせて、うるうると潤った目でそんな風に見つめられて和まない者はいない。
まして左之助は自分からひとに甘えるということを滅多にしない子どもだった。
それが、親にはぐれていた迷子のように心細そうにぴっとり身を寄せて離れない。
「大丈夫だって。好きだよ、左之。こんなことで嫌いになったりしないよ」
そう言って、やわらかい耳のうしろを口唇ではみ、顎の下を掻いてやると、ようやく安心したように剣心の顔をぺろぺろと舐めた。
そうしていつものスキンシップをいくらかした後で、剣心はあぐらの脚座に子狐をのせ、自分の身の上をかいつまんで語って聞かせた。
ウサギであることはもちろん言わない。その秘密は子どもには重すぎる。ただ、火事で家と家族と記憶を失ったこと、学校を卒業してまもなくこの双道寺と園長夫婦すなわち左之助の両親に拾われたこと、火事以前のことは今も思い出せないこと、だがあのボンボン時計の音には聞き覚えがあること、これまで何度せがまれても動物型に変身してみせたことがなかったのは、しないのではなくできないためであること……などを、手短かに説明した。
『ふうん。じゃあ剣心にはあの時計が“ホーム”なんだ』
「ませたことを言う。でもそうだな。そういう風にも、言えば言えるかな。聡い子だね、おまえは」
生まれて初めての秋を迎えた左之助に、初めての冬毛が生え揃った頃だった。
真っ白い
ふかふかの毛並みをゆっくりと撫でてやると、ぬいぐるみのように丸々とした純白の子狐は、剣心のあぐら座の上で身体をまるくし、顔をうずめた大きなしっぽの中から剣心を見上げて目を細めた。
両親を失くしてまだ三か月。
せめて今の間だけでも。
剣心は、やがて寝入ってしまった左之助の高い体温を感じながら、夕暮れて子狐が目を覚ますまで、ずっとその背をさすっていた。
左之助の勁い心はじきに現実を受け入れ、そしてみるみる大人になった。
身体もぐんぐん大きくなり、あっという間に剣心に追いつき、追い越した。
成長するにつれて、剣心によそよそしくなってもいった。いつもコロコロと後をついて回り、少しでも姿が見えないと「剣心」「剣心」と探し回っていたのが、いつしかひとりでいる方を好むようになり、やがて折にふれて叩きつけるような攻撃的な視線を向けるようになった。
「ガキくせえ」と、剣心に「左之」と呼ばれるのを拒むようになったのもその頃だ。父母代わり、兄代わりの保護者の役目が終わろうとしていたのだろうか。ちょうど保育園が二年で役割を終えるのと同じように。
左之助が卒園して適応塾に上がった日、剣心は、久しく彼に名を呼ばれていなかったことに気づいた。
左之助はさっき外からのぞいていた窓を見ていた。
昔、壊れた時計を抱いて泣く剣心を見たのが、ちょうど同じこの窓だった。あの頃は背が届かなかった。台に乗って、爪先立って、必死になってようやく届いた窓だった。
「そういや、あの時計ってよ」
左之助が口を開いた。いかにも“ふと”といった口調だった。
「前は生類園ってとこにあったんだって?」
剣心が内心ぎくりとする。
剣心がウサギであることは左之助も知らない。知っているのは今でも浦村現園長と相楽塾長だけである。そしていくら養子とはいえ、あの義理堅く生真面目な塾長が、剣心に無断で剣心の秘密を左之助に話すはずはない。
だが――。
「どうした? またいきなり」
剣心も平静を装って訊き返す。
「ん? いやまあ、別に……なんとなく……」
「そうか……」
「………」
「………」
左之助は剣心があの時計のあるところで幼時を育ったことを知っている。剣心自身がそれを話して聞かせたからだ。ただし「生類園」の名は一度も言ったことはない。だが今、その左之助が知らないはずの剣心の出身地の名前を、左之助は口にした。
獣人の育成・教育機関は、種目と性別ごとに分かれている。
生類園は小型草食獣男児の保育園だ。
背筋がざわざわと騒いだ。
「なあ」
歯切れの悪い物言いは左之助らしくないと剣心は思う。
「………」
「おまえって、“何”なんだ?」
剣心の臓腑がきゅうと縮んだ。
昔、左之助がまだ小さかった頃、毎日のように訊かれた問いだった。
なあなあ、剣心ってナンなんだ? 変身して見せてくれよう。シッポだけでいいからさー。教えてくれるくらいいいじゃないか。なんで教えてくれないんだよー。オレのこときらいなのか? 剣心のケチ! むっつり!!
人の子だったり、キツネの仔だったり、笑いながらだったり、真剣だったり、泣きわめきながらだったりした。
いつも曖昧に笑って答えなかった。
あるいはなぞなぞで誤魔化した。
――わたしがなんだかしられぬうちだけ、わたしはわたしでいられます。あなたがわたしをしったなら、わたしはわたしでいられません。
――わたしがあるいていくと、かれがのこります。
そんなときに出題されるのは決まってどこか哀しいようななぞなぞだった。
だが稀には真面目に諭したこともあった。
「別になんでもかまうまい? そんなことは――」
「ひとの本質には関係ねえってか」
小さな左之助に言ったことを、大きな左之助が復唱する。言って聞かせたのは三年前か、四年前か。外見が十歳以上も育って見えるから、本当に十年も前のような気がするが。
「………そうだ」
「じゃあいいじゃねえかよ。大事じゃねえなら隠すこたねえだろ。人を外見で判断すんなっつって、こだわってんのはてめえの方じゃねえか。クソ。おれは別におまえがなんだったって……。おれ、おれは……」
壊れた時計が直って戻ってきたとき、剣心よりも左之助が喜んだ。骨董物の年老いた機械式時計で修理などかなうのかと危ぶまれたが、当時の東谷園長が人づてに職人を探し当て、時計は無事元気になって帰ってきた。
生類園のことを左之助はどこまで知っているのだろう。塾長からなにか聞いているのだろうか。
「塾長がよ」
思考との連鎖に剣心はぎくりとした。
「変態できなくなった獣人の研究つーのをやってんだよ。今」
「……え?」
「多かねえけど、事例とか、回復例とかもいくつか集まってて。おれも記録整理とか手伝ってんだけど」
初耳だった。相楽塾長がそんな研究を? 知らなかった。一体いつから?
「だから」
左之助の声が大きくなった。けつまずくような口調の向こう側からなにか必死に訴えかけてくるものを感じる気がして、剣心は目を上げた。
「だから……だから心配すんな。おまえも絶対また変身できるようになるから。方法は見つかるから」
人であり獣である獣人にとって変態は生理的に必要な行為だ。片方だけの姿で長くいすぎると心身のバランスが崩れ、変調をきたすと言われる。剣心は十五のときから十四年間もの間、人間として生きてきた。二十四までは自分が獣人であることすら知らなかった。今現在すでになにか異状が見られるというわけではないが、これから先も大丈夫だという保障はどこにもない。事例がほとんど知られていないため、なにがどうおかしくなるのかさえよくわからない。危機感は、獣人である実感すら希薄な剣心よりも、剣心の両親と知己だったという東谷前園長夫婦や、獣人生態学を専門とする相楽適応塾塾長の方に強かった。その研究を手伝っているというなら、剣心の知らないさまざまな情報も左之助は聞き及んでいるにちがいない。焦慮は、きっとそのためだ。
胸と鼻の奥と耳が熱くなった。
「左……」
これを、今日、左之助は言いに来たのだ。
もうずっと長い間ふたりでまともに話したことがなかった。先の校外進出の日に久しぶりに話した気がしていたが、あれも会話というほどの会話ではなかった。今日の歩み寄りを喜びつつ、一方で一体どうした風の吹き回しかと思ってもいた。これだったのだ。
あの小さかった左之助が。頑是なかった子どもが。えのころ草の尻尾で走り回っていた子狐が――。
不思議な感慨が胸にあふれた。
「左之……」
頑固で偽悪的で現実的だが、根はしなやかで身内にはやさしい気性だと、剣心は知っている。
「左之助」
思い切ったように言って、剣心は顔を上げた。言っておきたいことなら剣心にもある。
「すまない」
「……なにが」
「園長たち……おまえの両親のことだ」
「………」
びりっと気配が硬化した。だが怯めない。
「一度きちんと話しておきたいと思っていた。すまない。謝って済むとは思わないが、あのときおれが……」
「あいつらの話なんかすんな」
険しく遮られて、剣心の肩がびくっとすくむ。
「クソ。もういんだよ、んなもんどうでも。もう忘れた。あんな奴ら関係ねえ。どうでもいい。くだらねえ。聞きたくねえ」
「左……」
「向こうがおれらを捨ててったんだ。思い出してやる義理なんかねえ」
剣心が虚を突かれたように顔を上げた。
「左之? なにを言って……。捨ててって……だって園長たちは……」
ひっそりと人の世にまぎれて生きようとしている獣人たちを狩るハンターがいる。
園長夫婦はそのハンターに捕まり、連れ去られたのだ。
研究目的とも愛玩目的とも臓器目的とも言われるが、獣人誘拐の実態は不明だ。なぜ正体が見破られるのかも不明だが、どうやら標的を絞って攫いに来るらしく、獣人を獣人と特定する方法を持っているわけではないらしい。
そのとき、彼らは保健所の捕獲員を装っていた。
狙われていたのは菜々芽だった。
上下衛門と左之助と剣心と、四人で出かけた帰り道だった。
前を歩いていた左之助と剣心は、その瞬間を見ていない。あっという間だった。
ありうべからざる獣の悲鳴と人間の怒鳴り声に驚いて振り返った剣心の目の前で、菜々芽は既に囚われていた。
「菜々芽!』
上下衛門の叫び声は、途中で人間の声から狐のそれに変わっていた。
一体なにが起こったのか、どうしてそんなことになっているのか。
剣心も、上下衛門や他の教員から話には聞いていたが、まさか自分たちの身の上にそんなことが実際に起こるとは考えたこともなかった。
『倅を頼む』
一瞬剣心を見つめて上下衛門がそう言うのを聞いたと思ったが、それも本当に聞いたのか、強いまなざしが剣心に聞かせた幻聴だったのかわからない。
わからないまま、剣心は無我夢中で逃げた。暴れる左之助を横抱きにかかえて、ひきずるようにして、必死で逃げた。敵が自分たちを追ってきているのかいないのを確かめる余裕もなく、ただただ逃げた。
この子を守らねば。
それしか頭になかった。足元はふわふわと頼りなく、夢の中で走っているように現実味がなかった。
どうやって戻ったのか、気がつくと園にいた。大丈夫、大丈夫、と、皆の手と声が剣心をなだめていた。抱きしめた腕の中で左之助は気を失ったように眠っていた。もう大丈夫だから離していい、と、どれだけ言われても左之助を抱く腕をゆるめなかったのだと、少し経った頃に教員のひとりから聞かされた。
「ちがう。それはちがう、左之。園長は立派だった。……捨てたというなら、見捨てたのはおれだ。おまえは小さかったから覚えていないだろうが。おれは二人を置き去りにして逃げたのだよ。助けようともせず。恥も矜りもなく。……そう、脱兎のごとくに」
唇を噛んで、剣心は続ける。
「見苦しく、命汚い。弱くて卑怯。おまえに軽蔑されても仕方がないのはおれだ」
「ちがわねえ。おまえじゃねえ。あいつが捨てたんだ。望みも、戦う意志も」
剣心ははっとした。
「捨てて、諦めて、そんで自滅した。だってそうだろ。自分まで捕まってどうなる。そんなことしたって意味ねえ。共倒れるだけだろ。自分だけでも無事で自由でいた方がなんか戦いようだってあったかもしれねえだろうが」
いいや。なにもできはしない。一度捕まったものを取り戻すすべなどない。それが可能ならこんな目に遭って姿を消す仲間などいない。当時ならいざ知らず、十七歳になった左之助に、それがわかっていないはずはなかろうに。
「要はただの自己満足だ」
「左之……?」
「助けられねえ。なにもできねえ。非力。無力。“せめて一緒に”なんざ、弱えヤツの自己満足。自己陶酔だ。んなもん、なんの足しにもなりゃしねえ……」
吐き出すような激しい怒りは、風船がしぼむように勢いをなくし、最後は吐息ほどの呟きになって消えた。
剣心は言葉を失った。
知らなかった。そんな風に思っていたとは知らなかった。そんな思いで生きていたとは。
あれからの四年間、左之助は絶望の中にいたのだ。生のよろこびではなく、理不尽な現実への怒りと絶望の中に、ずっと。あの後、急速に失われた子どもらしいあどけなさの理由をようやく知った気がした。怒りも拒絶も辛辣な言葉も、外に向けられたものではなかったのだろう。
「でも左之」
本当に無力だろうか。非力だろうか。戦う力を持たないことは、なんの力も持たないことなのか。弱さは無力か。弱い者に力はないのか。
「でも左之……」
そんなことはないと言ってやりたい。おまえは悪くない。非力ではない。弱いことは責められるべきことではない。そんなはずがない。だがなにをどう言えばいいのかわからない。
「でも……」
「うっせえ」
あの斬りつける目が剣心を睨みつけた。
ナイフのように尖った瞳孔の凍てついた光。荒れ狂う嵐に巻き込まれて身動きもできなくなる。怖い。そんな必要はないと頭ではわかっているのに、逃げ出したくてたまらない。逃げなければと思うのに、身体は動かない。いつものあれだ。だがいつもより酷い気がする。
「あ」
冷たいような、熱いような、それでいてどこかとろける甘さにも似た不可思議な戦慄が、身体と意識を痺れさせていく。怖い。自分が自分でなくなりそうで怖い。たまらなく怖い。
これが菜々芽が言っていたホッキョクギツネの
「や……だ……」
自分のものとも思えないかぼそい声が聞こえる。膝ががくがくと震えている。
左之助がゆっくり一歩踏み出した。
「あ」
目の前が真っ赤になって視界がぶれる。二重、三重。幾人かの左之助から何本もの腕が伸びる。
「………!」
肩が掴まれたと思ったら、ぐいと強い力が剣心を引き寄せて、あっという間に左之助の胸に抱きすくめられていた。くらりと目がかすむ。
「左……」
前は広い胸で塞がれ、背中は強靱な腕に囲われ、完全に閉じこめられて逃げ場はない。そもそももう自分の足で立てていないのだ。関節は糸の切れたマリオネットのようにカクカク揺れている。抱きかかえられた身体がぐいと引き上げられ、左之助の顔がかがみこむように近づいてくる。
―――だめだ、食べられる……!
その状況でできることといえば、細い首を少しでも縮めることと目をつぶることくらいだ。いつ噛みつかれるかと震えながら息を止めていた剣心は、だから、ふいに束縛が解かれたときも、なにが起こったのかわからなかった。
「……??」
膝から崩れ落ちてぺたりと座りこんだ。頭がぐるんぐるんと渦巻いている。
「……おれがなにしたっつんだよ」
吐き捨てるような呟きが聞こえてハッと顔を上げると、左之助が肩をすぼめて出ていこうとしているところだった。
ちらりと見えた横顔に、見放された迷子のような傷ついた表情を見た気がした。
要はただの自己満足だ。
辛辣な言葉が耳に戻ってくる。
あれはもしかして、去った父親にではなく、無力な自分にではなく、親でもないのに保護者面をしてきた剣心への非難だったのだろうか。
「左之………助……?」
二人で過ごした一年半。左之助にはなんだったのだろう。惜しまず注いだつもりの愛情は自分のひとりよがりだったのか。
「左之」
網膜の残像に自分だけの名で呼びかけながら、彼に掴まれていた肩に手をやる。
肌に残った熱と戦慄で、触れた方の手にまで、痺れが走った。
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しろくて あったかくて ふわふわ<3> 2007/10/8