ひた走る
十、インターバル
稽古納めを明日に控え、ひときわ活気に満ちていた道場の声が、止んだ。
今日の稽古が終わったのだろう。
礼の唱和が済み、片付けのざわめきに、緊張の解けた若者たちのおしゃべりが混じり始める。
もうじき弥彦と剣路が戻って来る。燕は落ち葉を掃く手を止めて顔を上げた。その目の端に、勝手口をくぐる人影が映った。
「あら、左之助さん。お帰りなさい。」
燕のことだから、気づけばすぐに声をかける。
帰国してしばらくは神谷家に居候していた左之助だったが、ほどなく居を別にし、今は知人が所有する小宅を寓居としている。この「おかえりなさい」は、日々の帰宅ではなく、燕にとっては小旅行にも感じられる数日の横浜行を迎えてのものである。
よう、と、気安げな声が軽く応じるのをしおに、枝折り戸が揺れる前から背中で察しながら、そのまま火の世話を続けていた剣心も、腰を上げて振り返った。
「おろ。」
声が出たのは、左之助の風貌に少し変化があったからだ。
「ん?」
どうした、とでも言いたげに眉を上げてはいるが、骨張った大きな手は顎をざりざりと撫で回しているのだから、自分でも何が相手の目に留まったかは判っているらしい。
横浜の知人を訪ねるといって数日東亰を離れていた、その間に、またひげが伸びて、帰国当初の“熊”に戻っていた。が、それなりに整えられているから、ただの無精というわけでもないのだろう。根が気まぐれな左之助のことだからと、剣心の方もそれについてとりたてて言うことはしなかった。
縁側にどかりと座を占めた左之助に、
「珍しいな。」
と、彼が言ったのは、先に燕に手渡した皆への土産の方である。
「明日は雨か。やれ、困る。」
「おう、てめえは食うなよ。」
燕の微笑をよそに、ふたり澄ました顔でそんな応酬をしているところに弥彦たちが戻ってきた。
こちらは姿を見た途端に手ひどい。
「あっ、なんだこいつ、何処の与太かと思ったら左之助じゃねえか。胡散臭えから思わず叩き出すとこだったぜ。」
「てめえも食うな。おいよかったな、ちびすけ。取り分が増えたぞ。」
「?」
「恩着せがましく言う。どのみち戴き物でござろうが。」
「なんでえ、お見通しかよ。」
「見れば判ろうさ。」
「ま、それもこれも俺の人徳だと思や、似たようなもんてわけだが。」
「ああ、ほんにな。そうして逆の土産を五倍も背負っているというわけでござるな。」
突然取り分がどうのと言われても、剣路には何のことやらである。しかも話は左之助と剣心の間でだけ勝手に進んでいて、多少はものの判った燕と弥彦にさえ何となく様子が察せらこそすれ、確かに理解できているわけではないものを、まして剣路にはなおさら何のことやらである。
じかに受け取った燕は、土産にしては随分大きなその包みが東亰でも名の通った店の洋菓子であることを包み紙に印刷された文字から判っているが、左之助が横浜を訪ねていた背景を知らない。
行く前に話を聞いていた弥彦は、訪ねていた横浜の知人というのが欧州で知り合った青年の実家だということを知っているが、土産云々はおろか左之助が東亰に戻っていたことも今知ったばかりである。
が、実のところ剣路には大人の事情などより少しぶりに見る「左之小父さん」がまた熊になっていることの方が気にかかる。
「なんでえ。この方がいんだろが。ん?」
そんなにじっと見ていたつもりはなかったのだが、この掴みどころのない妙な小父さんには、どうも剣路の考えていることが筒抜けに見えてしまうらしい。
「……ふ、ふん、変なの。」
と、ぷいっと顔を背けたが、頬は淡く染まって口は小さく尖っている。
意地っ張りで負けん気の強いこの子どもの気性を、左之助が「母親ゆずりの男まさりで、父親ゆずりの石頭」と評したことがある。日本に帰って間もない頃のことである。
「男に“男まさり”なんか言わないんだよ。小父さん、そんなことも知らないの。」
「クソ可愛くねえガキだなあ。」
口をへの字に歪めて、生意気に口ごたえをした羽二重餅の額を突つきながらも、目だけはとろけるように笑って言った、その時と同じ柔らかいまなざしが、燕に駆け寄る剣路の背中に注がれた。
包みの中にはビスケットやチョコレイトウなどがいっぱいに入っていた。
まだまだ珍しい西洋菓子がたくさんに、しかも巷でも名の聞こえた評判の店のものとあって、剣路ばかりか弥彦まで一緒になってはしゃいでいる。それを左之助が見て笑んでいる。
それだけといえばそれだけの、その一連の短い情景を、剣心は不思議な感慨をもって見た。
「……相も変わらず、子どもに甘い。」
思ったことが、つと口を突いて出た。
元が喧嘩屋などという生業で、口には斜に構えた皮肉が絶えず、することは大ざっぱで適当風な男だったから、乱暴で直情的な若造だと見られることが多かった。だが、偽悪的な言動の底にあった真っ直ぐで情に篤く傷つきやすい青年の顔を、余人は知らず剣心はずっと見ていたのだ。自身「おんな子どもに甘い」とよく言われる剣心だったが、彼に言わせれば「子ども」に関しては自分などより左之助の方がよほど甘い。いや、むしろ子ども達の方が左之助を慕って寄ってくるのを、「いくつになっても餓鬼大将」と言ってからかったことも再々だったろうか。
つい漏れた剣心の吐露をどう聞いたものか、左之助は口の端に笑みを残したままごろりと寝転がり、目を瞑った。
「ふん。結局どっちも“変”だとよ。」
愉しげに呟くひげ面は、改めて見直してみれば、なかなか年齢不詳で不思議だった。
二十七、明けて八。不遜な立ち居振る舞いと意志的な眉と強い目は彼を年より上に見せているが、涼しく通った鼻筋と、今はあごひげに隠されている頬から顎にかけての意外な線の細さは、むしろ幾つも下の若さをその顔貌に与えている。剣路を落ち着かなくさせたのは、おそらくその若さだったろう。
「熊じゃなくなった。」
剣心と薫が帰宅した日、ようやくこざっぱりと身仕舞いを済ませた左之助を見て、そう剣路が言ったのだという。
おそらく剣路自身につもりはなかっただろうが、そこはやはり子どものことで、言葉にはならなかった感情が、声と顔にはしっかり書かれていた。「なんか変」と言いながら、気に入りの玩具がこわれたような顔をしていたと、これはその場に居合わせた薫から聞いたことだった。
最初に見た姿がそうだったからというだけのものでもあるまい、と思う。はじめは突っかかったとも聞いた。それが、母親が驚くほどみるみる打ち解け、懐いた。
あの子は、“小父さん”には“小父さん”であって欲しかったのだ。
皮肉なものだ。自分が与えてやれないものを、剣路が、よりにもよって左之助に見い出そうとしているのだとしたら。
左之助は、さっきと同じ、寝転がった姿勢で、頭の下に組んだ両手を敷き、片方の足先をもう片方の腿にのせている。目は閉じられ、足の先がぷらぷらと揺られている。
九年。
変わったようでもあり、変わっていないようでもある。長かったようでもあり、今となってはあっという間だったようにも思う。今だからこそ、果てしなく長かったような気もする。
向けられる視線に何を感じたのか、左之助が微笑を収めて目を開けた。
ふと落ちた沈黙は、どこかぎこちない。
左之助の帰国から二十日あまり。人も暮らしもあの頃とはずいぶん変わったはずの神谷の家に、左之助はずっとそこにいた人のように馴染んで、彼の姿はすっかり神谷家の日常になっている。だが二人きりで話すことはほとんどなかった。来る者も多ければ出ることも多い左之助のことで、しかも年末の慌ただしい季節にも助けられて機会がなかったせいもある。避けていたからでもある。
何をしているのかと思う。危ういのは自分だ。何度も何度も同じところを埒なく巡りつづけて出られない。だが糸を、もう切ってはいけない。
「しかし左之、お主よくそんなに覚えていたものだな。」
白々しいのも承知で、呆れたような感心したようなつくった声で、きわどく張りつめそうな空気を払う。
「なにを。」
返る声も同じように軽く、気づいたそぶりも見せないが、察しての上の知らぬふりでなければこの男らしくない。昔から、直情のようでいて本当は肚の底に重い蓋を持っていた。それも剣心は痛いほど知っている。
「なに、その、先方の、名や処をだ。」
方向音痴で大雑把。それも昔から彼の得意技だったが、これは振りではないはずだ。
現に左之助の土産話というのは、時、所も、人や街の名もあやふやで、「いつだったか」「あんまり寒すぎて風邪も引けねえような寒いところで」「弥彦の色違いみたいな碧の目の生意気なガキがいて」といった調子で、一体ほんとうの話かどうかも怪しいようなものが多い。船の嵐で紛失したという荷物に書き記したものを持っていたのかどうかは知らないが、現に手元に残らない今、よくそれで訪ねる先が判ったものだと、これは実際、気になってもいたことだから、あながちただの余談でもなかった。
「ああ。まあ、目印がある分はな。でもなきゃ覚えちゃいめえ。忘れた方が多いんじゃねえか。」
「目印。」
「おうよ。今度のはこの、」
と、上体を起こし、左手の小指をさし示した。見ると、節の長い指の先で、意外なほどすらりときれいな形を剣心も見覚えていたその爪が、いびつに歪んでへこんでいる。
その青年と知り合ったのは、フランスにいた頃、汽車の中……。
底響く深い声が子どもに聞かせる寝物語のように遠い国での出来事を語り始めた矢先。
「小父さん、これなに?」
子どもの弾む声が耳に飛び込んできて、引き込まれかけた異国の夢から、剣心を現実に引き戻した。
見ると剣路が白い木箱を両手で掲げてこっちに向けて突き出している。半紙大の平たい箱だ。白く塗った上にとりどりの色で何やら華やかに彩られているのが遠目にも見て取れた。
剣心にも見慣れないものである。
剣路、弥彦、燕、そして剣心の四組八つの目が自然と左之助に集まり、左之助が奇術を仕掛ける手妻師の顔で笑いながら子ども達を手招く。
「暦なんだとよ。正月数えの。」
子ども達が来る前に、剣心にだけ耳打ち声で種を明かした。
彼の些細な身ごなしや声音ひとつに揺れる自分から逸らした目を、剣心は、剣路が大事そうに抱えて持ってくる箱の中身に注ぐ。
蓋のない浅い箱は、中が碁盤の目状に細かく仕切られていて、小さな枡のひとつにひとつの菓子や玩具が入っていた。
「今日は……十二月の……おう、ちびすけ、何日だ。」
子どもに訊ねながら、左之助の長い指が箱の端から順にゆっくりと枡目の上を移動していく。
「二十六。」
「そうだ。にじゅう……ろく、と。そうら、ここだ。」
と、硬い胼胝のある指が、示した枡の中から紙に包まれた菓子を取り上げた。遊ばれる蜻蛉のように口を開けて左之助の指先を追っていた剣路の目が、取り出された菓子に連れられて上に向く。そのぽかりと開いた小さな口に、左之助が包みを剥いて取り出した褐色のチョコレイトウを放り込むと、口はぱくんと閉じ、濃い藍色の目がぱちくりと瞬いた。
空になった枡の中には、「廿六」の飾り文字と、その文字に戯れる白い犬の絵が描かれている。
左之助は、子どもと遊ぶ大人の愉しさで笑って、剣路の頭をかき回す。
「そいつが今日の分だ。で、明日はここ。明後日がここ……」
二十七、二十八……と、ゆっくり数える声につれて、指す先もゆっくりと動いていく。
「……最後までいくと……この次はどうでえ。何が来る?」
「あ、お正月だ!」
「おうよ。」
「うお、菓子箱の暦かよ。すげえ。」
「すてき。こんなの初めて見たわ。やっぱりあちらのものなんですか?」
「おう、欧州あたりのな。なんとかってえやつだ。」
左之助の返答はやはり全く何の説明にもなっていない甚だいい加減なものだったが、いつもなら皮肉のひとつも飛ばそう弥彦まで「へええ」と一緒になって感心するほど興味津々なのだから、子どもの剣路など尚更である。
「もっとも、あっちじゃ正月じゃなくクリスマス用だって言ってたっけか。」
こんどは多少内容を伴った追加の説明もそっちのけで、ふっくりと柔らかい子どもの指先で、竹ひごや和紙で作られた小さな玩具や縁起物、色のついた紙で包まれた菓子の類をいじっている。
日本におけるクリスマスの起源は意外に古く、十六世紀の戦国時代にフランシスコ・ザビエルがキリスト教と共に日本にもたらしたとされる。禁教だった江戸時代の終わった明治ともなれば、八年には銀座の女学校で、十二年には横浜の教会でも、日本人によるクリスマスが始まっているのだが、とはいえ、やはりあくまでも限られた人々の間でのことであり、まだ国民的年中行事というには程遠い。
「来年あたり売り出すつもりらしいや。試しに作ってみたんだと。……おう、こら、ちびすけ!」
いきなり呼ばれて剣路がびくりとし、ちょうど手に持っていた宝船を慌てて晦日の枡に戻す。
「こーら。先の分はまだだぞ。その日になるまでおあずけだ。おっと、そん代わり昨日までの分はまとめて取っていいぜ。よかったな、もうほとんど過ぎててよ。得したじゃねえか。なあ、おい。」
と、また彼らしい妙な理屈をこねる左之助が、剣路の頭をかき回して笑っている。
既視感が剣心におとずれた。
唐突で強烈な、ほとんど物理的なまでの既視感が、剣心を呑みこみ、惑わせる。
何もかもがかつてあったことのようで、あの頃のいつかどこかで目にした情景のようで、そうではないと知っているにもかかわらず、全てが繰り返され続けているように思えて、そしてそこに、あの頃の二人の出来事が二重映しに浮かび上がってきた。
あの日あの場所に斬馬刀をかついで左之助が立っていた、あれが本当の始まりだった。むき出しにぶつかってきた好敵手は、勝負が終われば緊密な時間と空間を共有した無二の存在になった。馬鹿みたいにベーゴマを打ち合ったことがあった。たわむれにひげを剃って揶揄ったのは、この縁側のまさにこの場所だった。他愛ない交歓があり、危うい諍いがあり、あたりまえの日常があり、秘密の逢瀬があった。何を言うでなくとも、するでなくとも、あるいは居らずとも、秘かな絆で結ばれていたあの頃、彼は最も彼に近い存在だった。互いにだけ見せ合った優しさ、厳しさ、弱さ、わがまま。大人の顔、子どもの顔、男の顔。なんでもないような共通の時間は、少しずつ増え、そして途絶えた。
まるで昨日のことのようと言うには浮かび上がる光景には熱がなく、夢のようというには、あまりにもありありと鮮明だ。目の前に見えているものと、頭の中に見えているものが、混然する。どちらがどちらで、どちらがどちらなのかが、はっきりしなくなる。足裏の下に確かにあるはずの土の地面の感覚が希薄になる。
まただ、と思った。
過去に埋めてきたはずの気持ちだった。今度こそ終わりだと、終わりにすると、何度も思い定めたはずだった。京都に行ったとき。志々雄との闘いの後。東亰に返ってくると決めたとき。これが最後と河原でやり合った後。出国を見送った夜。彼の父が訪れた夏。
一度も果たせなかった。
いつまで経っても、どこまで行っても、思い出にならない。水底に沈めたはずの気持ちを、気づけばいつも未練がましく、怖いもの見たさの卑怯さで、覗き込んでいる。いまの左之助に自分がどれほどの何であるのか、何を思ってここにいるのかという問いが、考えまいとすればするほど、思うまいとすればするほど、心に浮かぶ。ときに懼れと共に。ときに期待と共に。あれほど差し伸べられた手を、みずから捨てておいて。
袴のひだのかげで、静かに拳に握る。
徐々に爪がくい込んでいく。
傷がつかない前に力を抜き、指を開く。
もう一度。
いつまで経っても、どこまで行っても、いくつになっても、内を見れば愚にもつかない迷妄ばかりだ。だが、大事なものは外にある。
目を外に転じる。周囲を見回す。
不確かな危うい目にもそれだけはくっきりと映る、幸せになるべき人たち。守るべき平穏。叶えたい希望。
強くあらねばと剣心は思う。惑わず保ち続けられるだけの強さを持たねばと思う。
ただ保ちつづけることが、どれほど厳しい闘いかということを、今は身を以て知っているからこそ。地道で苦しく、長い長い道だ。生命のしのぎを削って捨て身で闘うことはおろか、守って闘うことよりもさえ、はるかに比べようもなく険しく遠い。終わりもない。終わらず続くようにと願う、そのための闘いに終わりはあってはならないからだ。
先を見れば足はすくみかねない。だがそれでも。彼に恥じることはしたくない。選んだ以上。決めた以上。そして負っているものが自分の願いではない以上。果たせずとも、果たすしかない。
片足を持ち上げ、慎重に地面に戻した。
踏みしめる土の感覚。自分の脚と身体の重み。日常の手応え。
大事なものは外にある。成すべき事は目の前にある。
賑やかな人の輪を静かに離れて厨に向かう剣心を、燕の声が追ってきた。
「剣心さん。こないだ漬けたお大根、一本出しときましょうか。」
「ああ。そうでござるな。飯も、三合ほど増やしておこうか。」
「はい。」
にっこり頷いた燕が、つと両手をすくい上げた。
「私もひとつ戴いちゃいました。お相伴。」
赤くあかぎれたふたひらのもみじの中に、つまみ細工の小さな梅が白く咲いていた。
手の中のかわいらしい花を慈しむ笑顔は昔と変わらず繊細で控え目だが、あの頃の彼女にはなかった明るい強さと逞しさが今はある。
一本の剣に自分と守ろうとする者の二つの命運をかける、それが活人剣での闘いだと。活人剣を振るう者にはいかなる敗北も許されないと。昔、剣術を始めて間もない少年にそう言ったのは誰だったか。弥彦はこんなにも守っている。賢しげに諭した側の自分が、見失っている場合ではない。
「……月日の経つのは、早いものでござる。」
「ほんとに。お盆が過ぎたと思ったらもうお正月なんですもんねえ。」
振り返る月日の長さの違いには気づかず、燕が無邪気に言う。振り返る月日の長さの違いに、燕に見えている未来を見て、剣心がしみじみと微笑む。背中には、縁側の歓声が聞こえている。冬の早い日が、やさしく淡い光と共に暮れていこうとしている。
「ふふ。今年は賑やかなお正月になりそう。」
「ああ。賑やかというか……まあ大変でござろうなあ。」
「ですねえ。」
にこりと笑い交わして厨の戸を開けると、暮れがけの温かい光が、土間をひとすじ、明るく照らした。
2006.12.16/ひた走る10―インターバル
|
|