・第一夜 さんたは子らに夢を届ける・ 1/2/3/4/5/6/7


<7>

 闇夜にふくろうが羽ばたいた。
(あっ)
 それに目を凝らしたのは弥彦である。
 きっとあのふくろうだ。ということは――。
(きた!)
 案にたがわず、先触れに続いてあの男が姿を現した。剣心の体を肩にかついでいる。
(剣心……!)
 弥彦の表情が険しくなった。
 気を失ってる? 大丈夫なのか。
 何があったのかはわからないが、あの剣心が気を失うとはただごとではない。
(おい、聞き耳頭巾。どうしたんだ。剣心は……)
 声に出さず、唇だけで弥彦は言った。彼らのように唇を動かさず近くにいる者にだけ聞こえる声で喋る技は使えないが、これならできる。
 が、男は弥彦の問いかけを黙殺して、目配せをしてきた。
 続いて顎をしゃくる。
 ついて来いということだろう。
 人が自分に従うと疑いもしないのは、尊大なのか大雑把なのか貴顕なのか。
 後も見ずに走り出した男の後を追いながら、
「おい! 剣心は。大丈夫なのか」
 今度は小声で聞いたが、
「話は後だ。まずここをずらかる」
 ことあるごとに偉そうだ。とは思う。思うが、頭で考えるほど不快に感じないのは、多西のところのやくざどものような野卑さがこの男には臭わないからだろうか。それともさっきは米俵のように肩にかついでいた剣心をいつのまにか横抱きに抱き変えた、その両腕がいかにも大切なものを守っている風だったからだろうか。
 いくつか辻を過ぎたり曲がったりして、男はやっと足取りをゆるめた。彼は涼しい顔をしているが、弥彦はもう肩で息をしている。ハアハアとなる自分の息の合間に、ふと剣心の声が聞こえた。
「だれもほんとは俺なんか……いらないんだ……」
(「俺」?)
 弥彦は驚いて顔を上げた。
「……俺じゃなくても……。……ぎ流が使えるからって……役に立つからって……から便利な……だけ……」
 まるで舌足らずの子どもだ。
 とても剣心とは思えない。
「剣心?」
 あの漆黒の目が頭巾の隙間から弥彦をにらんだ。
「さの……おまえはあったかいな。……うしてると……あんなこと、なにも……かったみたいな気がするのに……」
 鼻にこもった声で剣心が訥々と呟く。
「さの。なあ、さの。どうしてずっとこのままでいられないのかな……」
 途中からは涙声に聞こえた。まさか?
 びっくりしてまじまじと見上げてしまった。
 男は剣心の三角帽を深々と引き下げて鼻まで覆い、弥彦の目から守るように自分の肩に押しつけて舌打ちをした。
「……ねぼけたこと言ってねえでおとなしく寝てろ、すっとこどっこい」
 言葉は乱暴だが、見えない顔の表情を語るように苦く沈んだ声だった。
「……あ、ちょ、おい、待てよ!」
 突然疾走しはじめた男に置いていかれまいと弥彦も後を追って走りだした。



 翌る早朝、浦村と恵が長屋を訪ねてきた。
「さすが緋村さんですな。首尾よく夢を届けられるとは。いや、さすが」
「あら、あんた戻ってきたの。なーに、難しい顔して。あ、もしかして誰もあんたのこと連れ戻しに探さなかったのを拗ねてるわけ? それともちょっといない間にもう新しいコが来たのに妬いてるわけ?」
「うっせえ、女狐。やい、ヒゲメガネ。てめえもだ。なにがさすがだ。どこが首尾よくだ。大体てめえら、なんて危ねえ仕事させやがんだ。もし俺が間に合わなかったらどうなってたと思やがる」
「でも間に合ったんでしょ」
「そういうこと言ってんじゃねえだろうが俺は! てめえらだってさんた屋の端くれなら危ねえ夢に潜んのがどんだけ危険かくらい知ってるはずだ。それをおめえ、あんな……。もうちょっとであいつはな」
「だから。でもあんたが間に合ったんでしょ? 自分の意志で、剣さんを助けに行ったんでしょ?」
「……女狐め」
 弥彦は意外な思いでこのやりとりを見ていた。
 驚いた。あのやたらとふてぶてしい男が完全に言い負けている。
 そこへ剣心が出てきた。
「恵殿。そういじめてやってくれるな。ほんに、今回は左之が来てくれておらねばどうなったことか」
「あら、剣さん。もう起きたりして大丈夫なんですか?」
「ああ。なに、少々引っ張られただけで。そう、深酒の宿酔いのようなものでござるよ。半日も寝れば、ほれ、この通り」
 この通り、と握りこぶしを掲げられても、元が少女のように華奢な細腕であるから頼もしい力強さには程遠いが、朗らかな笑顔の明るさは見る者を安心させる。
 「酒に酔う」はうまいと弥彦は思った。たしかに昨夜の剣心は酔っ払った泣き上戸のようだった。
「それならいいんですけど。大事にしてくださいよ。たったひとつの体なんですから」
「かたじけない」
「じゃあ剣さん、ちょっとでもどこかおかしいと感じたらすぐ呼んでくださいね。あんたはいなかった間の分も働きなさいよ。弥彦くんもしっかりね。早くほんとの見張りになれるといいわね」
 体よく蚊帳の外にされていたことが発覚した弥彦にも励ましと嫌味の中間のようなせりふを残して、二人は帰っていった。

「おい、てめえ。聞き耳頭巾!」
「あ? なんでえ坊主。昨夜から妙な名ぁで人のこと呼びやがって。俺には相楽左之助ってえ立派な名前があらあな」
 左之。
 そういえば昨夜剣心がそう呼んでいた。置いて行かれた子どもみたいな切ない声で何度も。聞いたことのない調子で繰り返し。
 藤田や恵が折にふれ口にしていた「トリ頭」がこの男であろうとは、昨夜長屋に帰りついて頭巾をとった、その頭を見た瞬間にそれとわかった。元々さんた屋の仲間だったものが何かの事情で出奔したといったところだろう。だがまだわからないことがある。
「じゃあ、左之助。お前って動物と話せるのか?」
「んあ?」
「昨夜。ふくろうと。しゃべってただろ。それにふくろうの前にいたコウモリとか、あと前から俺たちのまわりにやたらいた奴ら。イタチとかカラスとかさ。あれ全部お前の手下だったんだろ」
 男――左之助の目がおもしろそうにくるめいた。
「へえ。坊主、まるきり馬鹿ってえわけでもねえようだの」
「坊主じゃねえ。東京府士族、明神弥彦だ!」
 男は喉の奥で笑って言った。
「よし、弥彦。てめえ、なかなかいいツラ構えしてやがる。そのツラに免じて教えてやるが、おれは別にあいつらと話ができるわけじゃねえ。ただ奴らの言いたいことが俺にはわかって、おれの言うことが奴らにもわかる、そんだけのこった」
(だからそれを話せるって言うんじゃないか)
 と思ったが、弥彦が口を開く前に男が「それから」と指をさした。
「だれも手下なんかじゃねえ。友達(ダチ)だ。まちがうな」
「………」
(なんだ。こいつ、いいやつじゃん)
 ちょっと見直した。と思い、そこでハッとした。
「ん? そういやお前、今日からここに住むのか?」
「おう。たりめえだ。元々俺んちだ。文句あっか」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
 この狭い長屋に?
 二人でもいっぱいいっぱいなのに?

 弥彦にとっては信じがたいことに、その新たな問題に気づいていたのは弥彦ひとりだったらしい。
 大人二人はいざ寝ようという段になってようやく悟って、顔を見合わせた。
「はて。どうしたものか」
「……狭え」
 あたりまえだ。
 弥彦は黙って肩をすくめた。
 昨夜は、前後不覚の剣心を寝かせて、左之助は横で寝ずの番をしていた。弥彦は土間で寝た。ときどき剣心のうわごとが聞こえたが、その度に左之助が何やら低く応えていたのを弥彦は夢うつつに覚えている。
 弥彦は提案した。
「詰めたらなんとかなるんじゃねえか?」
「無理」
 胸を張る勢いで即答した左之助に弥彦の反論。
「やってみないとわかんねえだろ。なんとかなるかもしれねえじゃねえか」
「絶対無理」
「なんでわかる」
「俺ぁ、寝相が悪い!」
「……ハイ?」
(胸張って言うことか)
 がっくり肩を落として弥彦は思う。
 たしかにこれはトリ頭かも。
 だが剣心がウンウンとうなずいているところをみると、どうやら「寝相が悪い」は本当らしい。そしておそらく本当に・・・悪いのだ。弥彦は言った。
「じゃあ左之助、おまえ土間で寝ろよ。一番新入りなんだしさ」
「あ? なんで俺が。新入りはてめえだ。じゃあてめえが土間だな。決定」
「勝手に決めるな! いっぺん出てってんだからイチからやり直しだろ。新入り!」
 いやそっちが、ちがうお前が、と、大人げない大人とませた子どもの言い合いはいつ果てるともつかない。
「二人ともうるさいでござるよ。なら拙者が一人で寝るゆえ、主らは外で頭を冷やせ」
 二人の諍い、またはじゃれ合いは、柳眉を逆立てた剣心に追い出されるまで続いた。
 細腕に見合わぬ力でぐいぐいと表に追いやられぴしゃっと戸が閉まったかと思うと、ご丁寧にしんばり棒までされてしまった。
「え、ちょ、剣心。いや、そりゃねえだろ、おい」
「剣心! 俺は悪くないだろ?」
 慌てて言うことまで五十歩百歩だ。
 戸の内で剣心の口元がほころんでいるとは二人は思いもよらない。
「知らんよ。拙者はもう休む。おやすみ、二人とも」
 言うが早いか、灯が消える。
 あっという間に本気でしんとしてしまった。
 閉め出された二人は黙って顔を見合わせた。
 この寒空に野宿は勘弁してほしい。
(おい、坊主――弥彦。おめえ、屋根までは跳べるか)
 唇を動かさず遠くへは響かせない、あの独特の声で左之助が言った。
 弥彦はそんな芸当はできないから、黙ってただうなずく。
(ついてこい)
 くん、と屈むと、男は軽々と屋根に跳んだ。
 羽のように軽やかな剣心とはまたちがう。鋼のばねのしなやかさだ。
 思わず見とれてからハッと我に返って、弥彦も跳ぶ。いつかあんな風にあざやかに跳べるようになるといい。あるいは剣心のように美しく。
 それにしても屋根に上がって何をしようというのだろう?

 屋根の下では剣心が狭い部屋の三分の一におさまって行儀よく寝ていた。
 剣心以上に侵入に長けた左之助がこの程度の屋根に手をこまねくわけがないとわかっているのだ。
 待つ剣心の耳が、かすかな擦過音をとらえた。左之助が音など立てるはずはないから、あれは弥彦だろう。
(おやすみ、みんな。よい夢を……)
 ふうと目を閉じた剣心の口許に、やわらかな笑みが浮かんだ。


おしまい

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さんたは子らに夢を届ける<7> 2011/03/04up
初出 『星降る夜も聖なる夜も 明治さんた屋浪漫譚』 2009/11/01


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