四
浦村がある仕事の話を持ってきたのは、それから十日ほど経った月の明るい夜だった。
さんた屋には二種類ある。世界サンタクロース評議会の指示にもとづいて彼らが指定する届け先に行く者と、自分で届け先を決める者とだ。剣心は後者だ。ただし、時々こうして浦村や恵を通して頼まれ仕事をすることもある。腕利きさんたの剣心でなければ無理と思われるむずかしい場合や、他に適任がいない場合などだ。
「二重にむずかしい案件なのです」
「ほう。して、どのような?」
「はい。まずお届け先が。さる華族の大事なひとつぶだね。当年取って七つの女の子です。警護の厳しい屋敷で、敷地への侵入さえむずかしい」
剣心はだまってうなずき、先をうながした。
「次にこの子の夢。とても深く暗いのだそうです。今まで二人が失敗し、うち一人などそれがとらうまとやらになって、その後一年近く潜れなかったとか」
「今までに二人が失敗?」
敷地への侵入さえむずかしいという話と合わない。剣心の疑問を察して浦村は言った。
「あ、いえ。それがご息女は外地の生まれ。現当主が御曹司だった頃に留学先の英吉利滞在中に生まれた子で。一昨年、つまり彼女が五つになるまで向こうで育ちました」
「なるほど。つまり今までの二人はその頃の」
「はい。帰国後はだれも。潜入を試みることもできずにおります。が、まだ七歳ながら英吉利では学者先生らにも天才と称された才媛。すでに数ヶ国語を話し、算術にも長け、漢文をも読み下すとも。潜るなら早い方がよかろうと思われます」
心のやわらかな幼いうちに夢を育むことの意味は大きい。
「承知。一度様子をあたってみるでござる。今後の手筈は近日中にこちらから」
必ず事前に対象者と接触する。それが剣心の流儀だった。じかに会って話し、相手を知ってからでないと潜らない。一般に危険の増す事前接触を徹底して避けるさんたが大多数を占めるのとは対照的に、それは剣心にとって譲れない条件のひとつだった。
「よろしくお願いします。――ときに緋村さん」
なにか。剣心の目が問う。
「これほどの案件、いかな緋村さんといえども、それなりの援助者がご入り用ではありませんか? おそらく気は進まれないとは思いますが、藤田警部補を相棒に連れてくださらんか」
「無用」
「しかし」
「なに、弥彦が助けてくれるでござるよ。まだ報告しておらなんだが、先日も立派に見張りをつとめた。な、弥彦」
無論、大いなる誇張だ。
「お、おう、もちろん。この明神弥彦にまかせとけってんだ」
とは弥彦自身にも全く不安なままの勢いまかせだが、あの細目野郎はいけ好かない。あんな奴に剣心の相棒をさせられるかってんだバーロー。
意味もなく仁王立ちになって胸を張った弥彦だった。
その日は底冷えのする夜になった。
「ああ、こう寒くなると湯たんぽが恋しいな。さて、この冬をどうやってしのごうか」
剣心が息で両手を温めている。すぼめた肩がどことこなく寂しそうだ。寒さは人を心細くさせるのかもしれない。
弥彦が思い決した様子で口を切った。
「なあ剣心、教えてくれ」
「どうした。あらたまって」
「夢を届けるっていうけど、一体さんたってのは何をするんだ? 潜るって、家に忍びこんで何か贈りものを置いてくることだと最初は思ってたけど、多分ちがうんだよな。……そうだ、そういえば最初にみんなが言ってた。俺も潜れるって。でも俺、掏摸はしてたけど盗人はしてねえから、あんな忍びこんだりできないし、水練も得意じゃないし。潜るって、何をどうすることなんだ? それを俺ができるって? 本当に?」
美しい紫紺の瞳が弥彦をじっと見つめた。
「そうだな。そろそろ話しておく頃合いかもしれぬ……」
剣心は話し出した。
「さんたは子らに夢を届ける。それはお主も前々から聞いておろう」
弥彦はうなずく。
「さんたが届ける夢は、お主が察したように、形ある物の意ではない。それは文字通り夢。人が見る夢のことにござる」
「人が見る夢……」
「そうだ。眠っている間に見る夢。そうであったならと思い描く夢。そして、いつか叶えようと追い求める夢――」
しんと静まった暗がりのなか、剣心の声はつづく。
「さんたは子どもが見ている夢の中に入ることができる。みずからの体と意識を切り離してその子の夢の中に入る。そして心の奥深くに眠っている当人もまだ気づいていない夢の種を探す。夢というよりも、希望、可能性、才能と言った方がよいかもしれぬ。それはまだ埋もれている。けれど確かにそこにある。それを探し出して、少しわかりよいところまで引き出し、そこに置いてくる、それがさんたのすること、つまり夢を届けるということの真の姿でござる。そう、こちらから何かを持っていくわけではござらん」
「夢を、届ける……。そんな意味だったのか。でも剣心、俺にそんなこと……」
剣心は「わかっている」というようにうなづいた。
「その、人の夢に入ることを潜るというのだが、潜るのには生来の向き不向きがある。無論、自在に潜って帰ってこられるようになるにはそれなりの修練が必要にはなるが、そも適した素地をもっていてこその修練。向かない者が潜れるようになることはまず不可能なのでござる。弥彦。多西のところにいた鉄夫という男を覚えているか」
弥彦はいきなり出てきた思いがけない名前に驚きながらもうなずいた。
忘れるわけがない。日頃使われるばかりの腹いせに、唯一強く出られる弥彦相手に兄貴風を吹かせてなぶっていた万年三下だ。捕まって直後は一緒の雑居房だったが、じきになぜか弥彦だけが独居房に移された。その後どうなったかは知らない。
「その鉄夫なる男が、お前の隣に寝ていると変な夢を見るから部屋を変えてくれと言ったのだそうだ」
「え」
「その話が斎藤……藤田警部の耳に入り、詳しく聞くうちに『もしや』という話になったそうでござる。お主、独居房に移された後、隣室の人間が二日おきに変わっていたことに気づいたか」
弥彦は呆気に取られて顔を振る。
「さんた屋の仲間には、潜る資質を測る能力をもつ者もいる。藤田警部補もその一人だ。今、東京には彼を含め二人がいるが、その二人が、二日ずつ、入れ替わり立ちかわりして、お主の夢に同調し、そうかどうかを調べた。……怒るな。主の頭の中をのぞいたわけではござらんよ」
剣心は弥彦の表情を見てとってそう言ってから、また続けた。
「彼らはお主に潜る資質があると判断した。それも極めてすぐれた資質であろうと、二人が異口同音に言ったのだと聞く」
「……そんであいつは俺を剣心のとこに」
そうだったのか。
本当にそんな資質があるのかどうか、自分ではよくわからない。だがそれが本当ならと思うと胸弾む自分がいる。子どもの夢に潜って、夢の手助けをする、そんな力が自分にあるのなら。やくざの子分になって掏摸稼業に手を染めていた自分が、これからはそんな風に生きられるなら。
莞爾と目を細めた剣心の顔が「がんばれ」と言っているように見えた。
「剣心。おれ、その夢っていうのを見てみたい。というか見せてほしい」
「え?」
「心の奥深くに眠ってて、自分でも気づいてない夢の種。それを光らせてくれるのがさんたなんだろ?」
「ああ」
「じゃあ、俺もさんたに潜ってもらいたい」
「弥彦……」
「だめか?」
まっすぐに見つめる強い瞳は、剣心に別の青年を思い出させて言葉を奪う。
しばらくして剣心はつと目を逸らした。
「……次の仕事を終えてからにしよう。すまぬな」
「……」
「明日から忙しくなる。もう寝るがよい」
すまぬな、と言った剣心の表情が、一番最初に藤田警部補に連れられてここを訪れた日、閉まる障子の向こうに消えたのと同じに見えた。
その夜、弥彦はなかなか寝つかれなかった。
剣心が予告したように、二人は次の日から忙しくなった。だがそれは弥彦が期待していたのとは少しちがった。
非常に困難だという次の届け先の調査。きっと探偵みたいなことをするのだ。そう思って胸を踊らせていた弥彦に言いつけられたのは、いつもの倍以上の洗濯の仕事だった。
「拙者は少し出かけてくるゆえ、これを頼む」
「え? って剣心、これ全部俺ひとりで?」
「大丈夫。弥彦ならできるでござる。夜には戻るよ」
にこやかな笑みと洗濯物の山を置いて剣心はさっさと行ってしまった。
弥彦はどーんと置かれた大仕事を前に呆然とする。
「どーんって……。俺が教えて欲しいのはこっちの仕事じゃねえんだけど……」
剣心はよく出歩くようになった。決まって風呂敷包みを持って出かけ、同じように風呂敷包みを持って帰ってくる。時間はまちまちだ。朝早くから一日中のこともあれば、朝や昼や夕に短時間だけ出かけることもあった。ただし夜だけは出ない。
「なあ剣心。俺にも手伝わせてくれよ」
先日浦村が告げに来た仕事の下見であることは弥彦にもわかっている。ならば子どものなりを利用してできることだってあるはずだと思うのだ。剣心もそう思ったのだろう。
「そうだな……」
と考える目で弥彦を見たが、「いや」と思い直したように目を伏せた。
「今はまだよかろう。そのかわり当日は頼む。頼りにしているでござる」
「お、おう。まかしとけ」
そう言われればそう返すしかない。
それからその日までの三日間、弥彦は素直に洗濯仕事に精を出したのだった。
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さんたは子らに夢を届ける<4> 2011/03/04up
初出 『星降る夜も聖なる夜も 明治さんた屋浪漫譚』 2009/11/01