・第一夜 さんたは子らに夢を届ける・ 1/2/3/4/5/6/7


<6>

 二時間待って出てこなければ浦村に連絡をと言われている。その刻限まで、あと四十分だ。
(まだ四十分ある。剣心を信じて待つんだ)
 弥彦は自分に言い聞かせて歯を食いしばった。
 首筋がちりちりする。どうしてこんなにいやな胸騒ぎがするのか。
(中で何が起きてるんだろう)
 前回は三十分もかからなかったというのに。
 せめて様子が知りたい。
 庭の暗がりに目をこらしていると、子ども部屋の真正面にある樹にふくろうが止まっているのが見えた。じっと部屋をのぞいているようにも見える。
(まさかな)
 とは思うが、そういえばさっきコウモリもいた、と今さらに気づいてぎょっとした。
 やはり自分たちの周囲には動物が多すぎる。これは一体なにを意味しているのか。
 ふくろうが飛び立った。
 ゆったりと羽ばたき、空を切って――。
 そして、何をどうしたことか、まさしくふくろうは弥彦めがけて一直線に向かって来るではないか。
(? こっちに来んのか? マジで?)
 しかも相当な勢いで突進してくる。なんせ猛禽だ。顔の正面に並んだ二つの目で真っ正面から向かって来られて怖くないわけがない。
(でーっ!)
 思わず後ずさったのと、後ずさった背中がとん、と何かにぶつかったのがほぼ同時。
(え?)
 と思ったときには遅かった。
 あっという間もなく後ろから口をふさがれていた。
(――!)
 長い手と大きな手が、弥彦の口を封じ、体を締めつける。暴れようにも鋼のような腕はびくともせず、かえってそのまま吊り上げられてしまった。
 ふくろうは弥彦の目前で進路を変え、大きなはばたきと風を残して視界から消えた。
 耳元で低い声が言った。
「暴れんな。怪しいもんじゃねえ」
 ふざけるにもほどがある。
 この登場の仕方を怪しいと言わずして何を怪しいと言うのか。しかも体の自由を奪ったままで何をぬけぬけと。
 ますます暴れる弥彦だったが、続くせりふを聞いておやと思った。
「おめえ、剣心とこのさんた見習いだな。教えろ。奴が入って何分経った」
 これでは答えられないと気づいたのか、口を押さえる手が少しゆるんだ。
 首をねじ曲げて後ろを見る。
 剣心と同じ黒装束だ。筒袖に股引、手甲脚絆も、上から下まで黒一色。目しか出ない頭巾も黒。だが、その黒づくめの身なりよりもなお黒いのが、頭巾の隙間にのぞく一対の目だった。
 その目に呑まれて、弥彦は動けなくなった。新月の闇夜よりも濃い漆黒の二つ玉。同じ黒づくめでも剣心とは黒さの質がちがう。剣心が光り輝く黒なら、この男は光を吸い込む黒い影だ。邪悪なわけではない。だが触れれば切れる刃物の鋭さがこの男にもあった。
(なんだ、こいつ……)
「答えろ。何分経った」
 剣心と同じ唇を動かさずに話すあのしゃべり方だ。
 こいつもさんた屋なのか?
「んー」
 目で抗議すると、「ああ」と察した顔になって、ようやく口が開放された。弥彦は言った。
「お前もさんた屋か」
「まあそんなところだ」
「敵か、味方か。どっちだ」
「……味方だ」
 そう言った時、男の目が初めて人間らしい感情に揺れた。
(あれ? こいつ意外に……)
 悪い奴じゃない。
 自分の直感を信じて、弥彦は言った。
「もう一時間二十分……いや、二十五分経ってる。二時間して戻らなかったらメガネのおっさんとこに行けって言われてる」
 男は弥彦を開放した。
 やっと自由になって真正面から見上げると、どうも思ったより若いようだ。鋼のばねを思わせる、細いが引き締まった長身。その肩にはふくろうが止まっていた。さっきのあのふくろうだ。グジュグジュと喉の奥にこもった低い声で、まるで話すようにさえずっている。男は首をかしげて耳を寄せ、それに相づちを打っている。
(き、聞き耳頭巾……?)
 こいつ動物と話せるのか?
 まさか。
 弥彦は首を振って馬鹿な考えを追い払う。
「おい、坊主」
 男が弥彦に訊ねた。
「名前。なんてえ子どもだ?」
「え? あ、と、明神弥彦」
「バカ、お前じゃねえ。今日の的だ。剣心が今潜ってる」
「あ、ああ。今日の。いや、俺は名前まで聞いてねえ」
 チッ。
 と、舌打ちこそしなかったが、まったくそんな顔をして、男は弥彦に言った。
「三十分で戻らなかったら、すぐヒゲメガネんとこに走れ。いいな」
 あ、と思った時には、男の姿はもう塀の上。
 頭上にふくろうが羽ばたき、弥彦はひとり残されて立ちつくす。
「ていうかさ、お前……だれ?」

 剣心は嵐がおさまるのをひたすら待っていた。
 ここはひばりの夢の中だ。攻撃されたからといって反撃しては夢を傷つける。夢が傷つけば宿主も傷つく。
(く……)
――だれもほんとはあたしなんかいらないのよ。あたしじゃなくてもいいのよ。
 声をかけようにも口を開けられず、機を見て上を目指すも思うように跳べはしない。

 この子の夢に入って、もうどのくらい経ったろう。さんたが潜っていられるのはおよそ一時間が限度。それを超えると夢に取り込まれて出てこられなくなると言われている。あるいはなんとか脱出を果たしたとしても全部は戻って来られず、心の一部が欠けてしまうとも。
(出口は……)
 上に目を向ける。吹き荒れる闇のすき間に、ふとかすかな光が見えた気がした。ハッと目をみはり、光の差した方に目をこらす。
 ない。
 見間違いか。
 いや、そんなはずはない。確かに見た。
 どこだ。
(あった)
 濃い闇の遠くに光が見えた。小さいが、きっと出口だ。
 疲弊した意識に、小さな出口はひどく遠く感じられた。
 今の自分にあそこまで行けるだろうか。
(だが行かねば)
 剣心は力を振り絞って上を目指す。
 そのとき、再びひばりの声がした。
 さっきの激した調子とはちがう、弱々しい声になっていた。 
――何の取り柄もなくなったら、だれもあたしを欲しいなんて言ってくれないんだわ。
(ひばり……)
 泣いている。
 かわいそうに。
 たしかにお前を取り巻く者の中には、そんな人間がたくさんいるだろう。お前の血筋や父親の地位や財力にあやかろうとするもの。取り入ろうとする者。お前自身の聡明な頭脳を利用しようとする者。うまい汁を吸おうとする者。だがきっといる。お前自身を求め必要としてくれる人にきっといつかお前は出会う。
 そう言ってやらねばと思ったが、声が出てこなかった。
――勉強ができなくなっても、あたしのこといらないって言わない?
(ひばり……)
――それでもいいって言ってくれるの?
 しくしくと泣き出したひばりの嘆きは、水の沁みるように剣心の心に沁みてきた。
(もし何の取り柄もなくなっても、それでもいいと……)
 もう体が重い。手足が凍えるようだ。 胸に抱えたひばりの夢も徐々に光が弱まっている。
――それでもまだ誰かあたしを欲しいって言ってくれる? ねえ……。
(それでもまだ誰か俺を欲しいと……)
 剣心の動きが止まった。
 抵抗をやめると、ひばりの夢はとても心地よい真綿の海に変わった。
 ああ、この闇はあたたかい。
 どうして寒いなどと思ったのだろう。
(………)
 心地好い眠りが剣心を誘う。
 もういい。
 もうこのままここで眠りたい。
 ずっとこうしてこのあたたかい闇に抱かれていたい。
 ひばりと一緒に目を瞑りかけたその寸前――。
 かすかな光が、一瞬、だが確かに、剣心の意識を射し貫いた。
 弾かれたようにハッと目が覚めた。
 危ない。もう少しで取り込まれるところだった。
 我に返って、光の差した方を見上げる。
 小さくてかすかな光。出口の光。その横に、さっきまでなかった、もうひとつの光があった。同じくらい小さいが、強く輝く。
(なんだ、あれは……?)
 目を射すほどに強烈な光が、闇に呑まれかけていた剣心の意識をゆさぶった。
 思い出せ。
 ここはひばりの夢の中。
 夢を届けに、夢を探しにやって来て、そうして帰路を見失った。
(ああ、早く帰らないと。きっと心配している。帰らないと。外で左之助が待っている……)
 いや、ちがう。
 左之助はもういない。
 行ってしまった。
 俺が傷つけたから、怒って行ってしまった。
 帰っても左之助はいない。
 もうずっと前から。
 これからもずっと。
――それでもいいって言ってくれる? あたしを欲しいって言ってくれる?
(でも、帰らないと)
 剣心は上を見上げた。
 二つの光。出口。それからもうひとつ。あの謎の。さっきより強い。しかも――。
(近づいている……?)
 まさか誰かが入ってきたのか? 能力者が?
 思う間にも光は少しずつ近づいてくる。
 不思議なことに、それを見ていると、(それでも行かねば)という気持ちが湧いてきた。
 そうだ。
 誰も待っていなくても。それでも俺にはまだ為すべきことがある。
(行けるか。あそこまで。今の俺に)
 だが行かねば。諦めた者に希望はない。
 ひばりにも呼びかけながら力を絞った。
(ひばり。大丈夫だ。いつかきっと会えるから)
 その間にも、光はぐんぐん近づいていた。
 遠く小さかったものが、今はもう眩ゆいほどだ。そしてそれは、剣心のよく知るものに似ていた。
(ああ、これは……。この光は)
 そんなはずがないと理性は言う。
(でもこの光は)
 目前に迫った光は、今や熱まで感じられた。
 もう間違いない。
(――之……? どうして……)
 熱いほどの光に包まれた。手足に命がゆきわたる。
(左之……)
(どうしてって、てめえが寒がってるからに決まってんだろが。馬鹿野郎、誰も連れねえでこんな危ねえとこまで潜りやがって。ったく)
(左之。ああ、本物だ。やはりお前はあたたかいな……)
(おら、湯たんぽなんか後でいくらだってしてやる。とにかく今は帰るぞ)
(ああ。だがこれを置いていかないと)
 剣心は胸に抱えていたひばりの夢を左之助に示した。
(くすり?)
(の、ようだな。長じて医学に携わるのだろう。これほどの頭脳が人を生かすために使われるなら喜ばしいことだ)
(………)
 剣心がてのひらを当てると、弱っていた光が輝きを増した。
(さ、これでいい)
 小さいが美しい夢の光だ。
 剣心はそれをそっと宙に送り出した。
 その道に幸多かれと祈りながら。
 役目を果たすと、ホッとしてか一気に力が抜けた。
(左之。すまぬが連れて帰ってくれるか。俺はどうやらもう……動けぬ)
(……)
 言わいでものことを。
 くったり脱力した剣心を抱いて、左之助は一気に浮上した。



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さんたは子らに夢を届ける<6> 2011/03/04up
初出 『星降る夜も聖なる夜も 明治さんた屋浪漫譚』 2009/11/01


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