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五
習慣というのはたいしたものだ。普段、身を隠すことに徹しているものだから、下見ならともかく本番の夜に堂々とお邪魔するというのがどうも落ち着かない。左之助はいつにない緊張を覚えながら屋敷の前に立っていた。
肩には大きな袋。
中に剣心が入っている。袋の中で器用に左之助の背中に張りついてじっとしている。もしかしたらこうも落ち着かないのは背中に密着する剣心のぬくもりのせいかもしれない。
「メリークリスマス!」
そんなひとこととこの衣装でフリーパスになってしまうとは、一体どんな「厳重な警備」か。
呆れもするが、今は素直にありがたいのも事実だった。
「オー、イヤー! メリークリスマース!」
相手のご機嫌な返答に手を挙げて応え、中に入る。入ったら入ったで、後はもうひたすら魔法の呪文の大奮発だ。方向感覚にはいまいち自信のない左之助だが、背中の剣心の誘導のおかげで、さほど迷うこともなくすんなり目的の部屋にたどりついた。ひとまず様子をうかがい、夜が更けるのを潜んで待つというのが今日の作戦だ。
「メリークリスマス!」
部屋は無人だった。
例の小鳥も鳥かごの中だ。
「晩めし中ってとこか」
好都合だ。ドアを締め、剣心を袋から出す。
部屋をひとわたり検分した後はそのままそこにしのぶことにして、天井裏に身を潜めた。
リズが付き人と一緒に部屋に戻ってきたのは、夜もすっかり更けてからだった。
しばらくは着替えたり何だりと動きがあったが、じきに物音が静まり、リズは就寝した。付き人はリズの寝室に隣接する小部屋で寝る。これは二人が部屋に入って真っ先に確認したことでもあった。リズの寝室にベッドが一つしかないことも、付き人が平素は隣室にいるらしいことも、共に下見でわかっていたが、では付き人は夜はどこにいるのかというのは大きな気がかりのひとつだったのだ。
完全に寝静まるのをさらに待って、部屋に降りる。
少女はよく眠っていた。
剣心がリズの額に手を当て、左之助を見る。左之助が背後に寄り添って手を肩に添えたのを合図に、剣心はリズに意識を集中した。
剣心のまぶたがゆっくりと閉じられ、唇が小さく動く。名を呼んでいるのだ。声は出ないが、左之助にはわかる。
現実と夢のあわいを超えて少女の夢の中に音もなく降りてゆくと同時に、剣心の体からは力が抜ける。脱力した体は左之助の腕の中にくにゃりと落ちてくる。
――お前が抜刀斎だと?
――左之……。いつからそこに……。
物音にも気配にも超人的に鋭い剣心が、あの時どうして左之助に気づかなかったのだろう。剣心ばかりではない。斎藤。恵。浦村。そんな人間が四人もいたのだ。それだけ過去は彼らにとって重いものだということなのか。それまで「藤田五郎」だと思っていた警官が実は新選組の斎藤一だと知ったのも、高荷恵がかつて阿片密造に関わっていたと知ったのもあの時だ。
――ふん。知らなかったのは俺だけってわけかよ。
――ちがうんです、相楽君。これにはわけが……。
――いいわけなんざする必要もねえ。俺はてめえらの過去なんか知ったこっちゃねえや。
――ちょ、待っ……。
――……けったくそ悪くて反吐が出るってだけでな!
――左之……。
維新を支えた伝説の人斬り。壬生の狼、新選組。一人の人間をあっという間に廃人にしてしまう阿片の密造人。たしかに左之助にとって唾棄すべき過去ではある。だが後になって冷静に考えてみれば、あんなにも許せないと思ったにもかかわらず、彼らが過去そうであった、そのこと自体への怒りは、左之助の中のどこを探しても見つからなかったのだった。
――たばかろうとしたわけではない。ただ言いたくなかっただけでござる。
――言いたくなかっただけだと?
――誰にだって知られたくないことの一つや二つはあるだろう。
――じゃあなんで俺以外はみんな知ってた。
――それは……。
――それは?
――それは……。
――そんなに俺が信用ならなかったか。赤報隊の生き残りにそんなこと知られちゃやべえとでも思ったか。
――それはちがう! そんなことは、そんなことを思うわけがないだろう。
――さあ。どうだかな。
――左之……。
ならどうして。と詰る言葉は喉につかえて出てこなかった。
離せ! 俺に触るな!
あの夜、本気で拒否された。
寝相の悪い左之助だから、夜中にのしかかるなど常のことだったし、冬ともなれば寒いから湯たんぽになれと自分からひっついてくるのも例年のことだったというのに。
――じゃあなんでだ。言えよ、理由を。本当の理由をよ!
――左之。誰もがお前のように強くはいられない。俺はただ本当に……。
言いつのる剣心がいつになく怯えて見えて、初めて見せるそんな表情に怒りはさらに煽られた。
気がつくと力任せに殴っていた。
――あばよ。
俺に殴られたくらいで吹っ飛ぶあいつではなかったろうに、剣心は倒れたまま動こうとしなかった。
左之助は腕の中の剣心をリズの隣に横たえた。
頬にかかった横髪を払い、長い束髪を繰り返し梳く。
剣心は昏睡したようにぴくりともしない。
人の夢に入っている間、さんたの肉体は抜け殻なのだ。
なのに単身で潜りに行くなど。
「なに考えてんだ、ったく」
風の噂にさんた屋をやめたらしいと聞き、妙な気持ちになった。それがなぜかもわからないでいるうちに、今度は新しい見習いの子どもを引き取ったと知って、またわからなくなった。にもかかわらず、単身夢を届ける無謀な行状に我慢も限界を超えた。追いかけて飛び込んだ部屋の中、剣心は床に倒れていた。唇が紫色だった。手足は氷のようだった。
あんなことには二度とさせない。あんな思いは二度としたくない。
白い指先をそっと手に包む。
あたたかい。
少しの変化も見逃すまいと、眠る二人の表情に注意を払う。
チチチ。チチュ、チュチチチチ。
さえずる声が左之助を物思いから呼び戻した。
目を上げると、鳥かごの小鳥が左之助を見ている。
剣心と弥彦が言っていた、一昨日の例の小鳥にちがいない。
チチュ、チチュ、チチュチュチュ………。
左之助の頬にやわらかい笑みが浮かんだ。
「おう。わかった。あんがとよ」
チュチュン、チュチチチチ。
「ああ。そっちも言っとく。心配すんな。おめえもがんばれよ」
チュチッ、チチチチチ……。
剣心の戻りは早かった。潜ったとき同様静かにまぶたが開き、はじめはぼんやりしていた目の焦点がゆっくりと左之助に合っていく。いつ見ても吸い込まれるように美しい瞳だが、この時間に勝る美しさはないと左之助は思う。もう他のだれの目にも触れさせたくはない。
(ただいま、左之)
声もなく唇が動いて、花の笑みがこぼれる。
今この瞬間の剣心は剣心であって剣心でない。
まだ半ば夢の主に同化したまま、潜っていた夢の感情を色濃く映して浮遊している。
それは左之助にもわかっている。
だが頭ではそうわかっていても、それでもどきっとする。動揺する。こんなゆだねきったようなまっすぐな目で見つめられると。こんなに無心に抱擁を求められると。心の底からホッとしたように身を預けられると。
ちがう。
左之助は自分に言い聞かせる。
これは剣心の意思ではない。これは剣心自身の感情ではない。それが証拠に、夢から帰ってきた剣心はそのときどきで様子がちがうではないか。楽しそうだったり、うれしそうだったり、時には悲しそうだったり、不安に怯えて震えていることもある。
七色の感情と人格はどれも夢に引っぱられてのものだ。目を覚ました剣心は、夢の感応症状の中で左之助を求める。そうしてしっかりと抱きしめる左之助の腕の中でゆるやかに覚醒して、自分自身の人格に戻ってゆく。夢の感応に浸っていた瞳に理知の光が戻って、剣心は体を離す。つかのまの抱擁は左之助にとって夢よりも夢のようだ。
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聖夜にさんたが見る夢は<4> 2011/03/11up
初出 『星降る夜も聖なる夜も 明治さんた屋浪漫譚』 2009/11/01