一
クリスマス。
そんなものがあることさえつい先ごろ知ったばかりの弥彦には、その日が西洋では子どもばかりか大人も待ちかねるほどの特別な日だと言われてもぴんとこない。
(ま、正月みたいなもんなんだろうな)
と、想像しながら、恵の話を聞いていた。
框に腰かけた恵の対面に剣心、その奥に左之助。弥彦は土間で壁にもたれている。
「だから急は承知なんですけど、やっぱりこの日を逃す手はないと思うんです」
「なるほど。たしかにもっともでござる」
彼らは「さんた屋」である。夜、人の家に忍び、子どもの夢に潜って夢を届ける。もっとも「屋」とはいえ、依頼人も報酬もない。有志の自発的行為、あるいは無償の裏稼業といったところだ。
医師として後方支援にあたる高荷恵が今日持ち込んだのは、アメリカ領事息女の一件だった。なんせ外国要人の屋敷だから警護は厳しく、しかも病弱な子のため日夜つきそいがいるという話だ。そんなところに侵入して夢を届けるのは、凄腕さんたの剣心組をもってしてもさすがに厳しいのではないだろうか。
と、ほぼ諦めていたところへ、耳寄りな情報が飛び込んできた。
それはこの家のクリスマスのしきたりだった。
年に一度のその日、使用人は全員サンタクロースの扮装をする。そしてその格好のまま一日を過ごすというのだ。そんな好条件なら潜入も不可能ではない。
恵の言うとおり。これを逃す手はない。
唯一の問題は、その日がわずか三日後に迫っているということである。
剣心は必ず事前に対象者と接触する。じかに会って話し、相手を知ってからでないと潜らないのだ。普通のさんたが危険の増す事前接触を逆に徹底して避けるのとは対照的に、それは剣心にとって譲れない条件だった。
猶予は二日しかない。しかも病弱な少女は滅多に家を出ないという。屋敷の奥にいるであろう少女と首尾良く会うことができるだろうか。
「しかしご息女は七歳なのでござろう? 七歳の子の一年は大きい。来年まだ日本にいるかどうかもわからぬ」
そう言って、剣心はちらと左之助をうかがった。左之助の顔にはこれといった表情はなく、弥彦には賛とも否ともわからなかったが、剣心には何かひっかかるものがあったらしい。
「左之? 気がかりが?」
「……いや、任せる。おめえがやるなら」
聞きようによっては含みのある言い方だが、剣心はあっさり「そうか」と受けた。
「では、三日後。下見はそれまでになんとかしよう」
「すみません、大変なことをお願いして。じゃあ衣装と小道具大道具はこちらで用意しますから」
「大道具ぅ?」
左之助が口を出した。秀でた眉が大きくうねっている。
「そ。サンタクロースですからね。いろいろあるのよ。でも大丈夫。それは任せてくださいな」
最後は剣心に向かって言っている。
「うむ。そこは拙者らにはわからぬ部分が多い。すまぬが頼むでござる」
「ええ、ええ、そりゃあもう。妙さんのところに揃えておきます」
赤べこの妙。人気の牛鍋屋の美人女将もさんた屋の支援メンバーである。
恵が左之助を見て言った。
「でもほんとよかったわ、あんたが戻ってくれてて」
「俺?」
「よろしく頼むわよ」
妙に嬉々とした前傾姿勢の様子はほとんど「はしゃぐ」に近く、いつも辛口のこの女医には珍しい。
「? お、おお、そりゃあまあ……」
押されながらも請け合った左之助が剣心を見る。剣心は「拙者もわからぬ」というようにごくわずかに肩をすくめた。
「で、弥彦くんは今回はどうされます?」
「うむ。そうでござるな。だいぶ腕も上げていることでござるし、扮装でまぎれようという趣向なら……」
「おっ、筆おろしか」
「俺も行けるのか? やった!」
「じゃあ三人分用意しておきますね」
クリスマスまで三日しかない。
そうと決まれば先手必勝。剣心らも時を移さず準備に取りかかった。
衣装、道具類は恵に任せた。女史によると見取り図は今日中に浦村ないし藤田(斎藤)から届く予定だという。あとは問題の下見だ。
「下見は明日。皆で行くでござる」
「みんなで? そんなことして大丈夫なのか?」
これは弥彦だ。目立つことをしてはまずかろうという素朴な疑問に、剣心はふふと微笑った。
「無論、大丈夫なように細工をして行くのでござるよ」
「細工……」
「では拙者は明日の段取りをつけてくる。左之、弥彦に心得を」
「おう」
「それと様子を」
「もう行ってる」
片笑む左之助に剣心が目で応えた。
それで伝わると知っている、通じ合った者どうしの呼吸だ。弥彦などからすれば、それは見ていて頼もしい反面、どこか羨ましくもあり寂しくもある。剣心の弥彦に対する時とは異なるぞんざいなほど端的な話しぶりや、わかりあう一瞥の速さ。左之助が戻ってきて約十日、せまい長屋におしあいへしあいの男三人、意外にうまくいっていると思ってはいるが、昨日今日加わった自分には入れない世界が二人にはあるのも確かである。
「おい、左之助。もう行ってるって、どこに行ったんだ?」
弥彦は剣心が出かけた後で左之助に訊ねた。
「んあ?」
「さっきほら、剣心が様子を、って」
「ああ。あれな。現地の様子がどんなだかをツレに見に行ってもらってんだ」
「ああ……」
そうだった。聞き耳頭巾。こいつ動物と話ができるんだった(左之助に言わせれば「言ってることがわかるだけ」ということになるらしいが)。どこに出入りをしても咎められない烏かイタチか何かに斥候を頼んだのだろう。
だがいつのまに?
さっき一緒に聞いたばかりだというのに?
「女狐が帰りしなに見取り図がどうとかって言ってただろ。あの間にな」
左之助がそう言ったのは、弥彦の顔に出た疑問に答えてだったろう。
明日に備えて、下見の心得(剣心が言った「弥彦に心得を」はこれのことだった)をひと通り教わった後で、弥彦は訊いてみた。
「下見はわかったけど、当日は? 俺は何をすればいいんだ?」
「……なあ。なんだろうなあ」
「おい、俺は真面目に」
「俺だって真面目だぜ? ま、そういうことは剣心に訊けや。な」
「じゃあお前は?」
「あ?」
「お前はどういう役……っていうか、何をするんだ?」
左之助が戻ってから初めてのさんた屋仕事である。
剣心は潜って夢を届ける。左之助は傍らにあってそれを見守る。と聞いてはいるが、さてでは実際何をするものなのかが、まだ外部待機しかしたことのない弥彦にはうまく想像できないのだ。
素直な質問だった。が、問われた左之助は、何とも言えない顔になった。
普通なら戸惑いとかためらいとか呼ばれる種類の表情だ。それがどうも、この十日あまりの間に弥彦が見てきた左之助の気っ風にそぐわない。無論、人間そうそう普段そのように見えている顔ばかりであろうはずがないのは弥彦も承知だが、この食えない男がそんな一面を容易に外に見せるのが意外だった。
左之助は弥彦の驚きなど知らぬげに、「なあ、そうなんだよなあ」と自問するように首をかしげている。
「そーこがわっからねえんだよなあ」
もしかして左之助が出て行ったことと関係があるのだろうか。
弥彦の見るかぎり二人の間にまだ溝があるとは考えにくかったが、互いにだけ見せる顔があろうとも察してはいる。
(剣心もこいつとサシのときは「俺」とか言うしな)
気にならなくはなかったが、そこへ浦村の使いだという丸眼鏡の女性が見取り図を届けにやって来て、その話はそれまでとなった。
二
翌日は小春日和の朝になった。
「では行こうか。――左之」
「おう」
左之助が風呂敷包みをふたつ持ち上げ、ひとつを弥彦に持たせた。
「弥彦。お主はそれを持て。しわにせぬようにな」
持たされたのは、左之助の手に残ったものよりは少し小さい(が、弥彦の体格には小さくない)風呂敷包み。だがどう見てもただの納品物―つまり洗濯物―だ。剣心も似たような包みを持っている。
「? ?」
疑問符が飛ぶ。
「木を隠すなら森の中、でござるよ」
言葉の意味は、じきにわかった。
三人がそれぞれ大きな荷物を抱えて向かった先は、昨日恵の口からも名前の挙がった巷で人気の牛鍋屋赤べこ。
剣心は裏口からよく通る声で呼びかけた。
「頼もう。洗濯屋でござる」
(はいぃ? そんな洗濯屋いねえって!)
全く商売人らしくない口上に弥彦は盛大にのけぞったが、案に反して店の方では慣れたものである。
「ああ、これはこれは緋村さん、いつもありがとうございます。さ、どうぞ上へ」
「かたじけない」
なんとそのまま二階に通されてしまった。
(どんな洗濯屋だよ、オイ)
そこへ現れたのは当店の女将、関原妙である。
「剣心はん。それに左之助はんも。左之助はん、ようお戻りやしたな。みんな心配してましたんえ。あ、この子が弥彦くんですのん? 弥彦くん、よろしゅうに。妙と申します。お噂はかねがね」
(ってどんな噂)
口から先に生まれたらしい元気な女将は、言葉から察するに京の出らしい。
「剣心はん、弥彦くんの分、これでいけますやろか? 寸法がようわからんよってに、うち、どないやろ思て」
「ああ、かたじけない。すまぬが一度着せてやってもらえようか」
言いながら剣心は自分の風呂敷包みを開けてなにやら衣裳を取り出した。
なるほど。三つのうち二つはお届けの洗濯物、残るひとつは変装用の衣裳、というわけだったのだ。
「さ、弥彦くん、こっちへ」
あれよあれよという間に、弥彦はいつもの道着袴から小洒落た洋装に着替えさせられていた。水玉のタイを結んだその姿は、すっかり「洋行帰りのお坊ちゃん」だ。
「いやあ、よかった、ぴったりやわ。それによう似合わはる。どこから見てもええとこの坊ですえ」
「おう、ほんとだ。馬子にも衣装だの」
左之助の声に言い返してやろうと振り向いて、弥彦はぽかんとした。
「さ、左之助?」
「おうよ」
「てことは、えっと……剣心、だよな?」
「うむ。いかがでござろう?」
いかがもかかしもない。
弥彦は目と口をぱっくり開けて固まってしまった。
洋装のドレスに身を包んだ剣心と藍の袢纏姿の左之助は、どこから見ても「上流家庭の若奥様とそのお抱え俥夫の図」以外の何物でもない。
「妙どの、すまんが髪を頼む」
「はいはい、任しとくなはれ。いつもながらほんにお綺麗ですこと。ええ目の保養になりますわ。そうそう、うち、ええこと思いつきましたんえ。こないだ大坂屋さんが舶来もんのレース見せてくれはったんですけどな、あれきっと剣心はんによう映える思うんです。ちょうちん袖にあのレースで、手首まですうっとこう……。いやあ、素敵。今度ドレス新調しときますよって」
「いや、妙どの、これはただの変装用ゆえ、そう凝らずとも……」
「そやけど、ほんまにお綺麗ですもん」
ほう、とためいきをつく妙が正しいと弥彦も思う。
ぴったりしたドレスに華奢な肢体をなぞられた剣心は、道行く誰もがきっと振り返らずにはいられない美しさである。髪や目の色に合わせた変装だということはわかるが、
(つーか余計目立つんじゃねえ?)
素朴な疑問に首をひねった。
出がけに妙が左之助を引き留めた。
「左之助はん、ほんまに、よう戻っとくれやした。左之助はんがいはらへんかったこの三月、いろいろ大変でしたんえ」
「大変?」
「そうどす。剣心はん、えらい落ち込んで。さんた屋もやめる、言わはるし、いつ見てもどよよよ〜〜〜〜んとして。なんやあんなことでは洗濯モンかて乾かへんのちゃうか、いうくらい」
「あいつが? まさか」
「そら、剣心はんのことですさかい、一見当たり障りのうはしてはりました。そやけど、他の人には気づかれなんでも、そんなん、うちらからしたら一目瞭然です。今日かて見てみなはれ。内側から輝くようやおへんか」
「………」
土間のかげで妙とひそひそ話をしていた左之助を、弥彦が呼びにきた。
「おい、左之助。何してんだよ。行くぞって剣心が」
「ああ、おう」
「ほな、左之助はん。おきばりやっしゃ」
「……おう」
「行ってらっしゃいまし。ご武運を。ああ、眩し、眩し」
なにやら意味深長な言葉で送り出されて、左之助は難しい顔のまま、待たせた二人に合流した。
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聖夜にさんたが見る夢は<1> 2011/03/11up
初出 『星降る夜も聖なる夜も 明治さんた屋浪漫譚』 2009/11/01