・第二夜 聖夜にさんたが見る夢は・ 1/2/3/4/5


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 現地に着くと、余計に目立つのでは、という弥彦の懸念の一部は解消された。
 外国人高官の私邸が建ち並ぶその一角は、いろんな国の人間が行き交って異国さながら。着物姿の日本人がかえって人目を引く、そんなところであったのだ。きっと昨日の現地斥候動物隊の報告を受けて決めたことだったのだろう。髪を結い上げて小さな帽子をかぶった剣心が美しすぎることをのぞけば、身なりのいい子ども連れの女性というのは、最もあやしまれにくい、よく情景になじむ姿だったにちがいない。
 剣心は「番地をたよりに目的の家を訪ねる、土地に不案内な若奥様」を、左之助は「道はわかるが字の読めない、いかにも労働階級の俥夫」を、それぞれきっちり演じていた。婦人の手には達者な草書の書きつけが持たれているが、土地に不慣れな若奥様は見ても意味がわからないらしい。俥夫と二人して、何か手掛かりがないかといった風情できょろきょろと(しかし富裕の婦人らしく鷹揚に)あたりを見回している。
(へええ、なるほどなあ)
 弥彦は感心しながら、手持ち無沙汰な子どもに見えるようにと思いながら、そびえる家々を見上げていた。
 昨日左之助から聞かされた下見の心得は二つだけだった。
 ひとつ、堂々としていること。
 ひとつ、対象者には接触しない。
 おどおどするから人目につく。堂々と胸を張って外見にふさわしい言動をしていれば怪しまれることはない。近所の人や使用人と話すのは可だが、弥彦は対象者と接触しないこと。それは剣心に任せる。
 ある家の前で、剣心が俥夫の左之助を呼んだ。
「平助さん」
 細くつくった女声である。
「へい、奥さま。ちょいと訊いてきやす」
 こちらは低く掠れさせてだみ声に変えている。
 剣心がこくりとうなずき、弥彦に目配せを送ってきた。ここがお目当ての家らしい。
 左之助が門から内をうかがうようにして、何か声をかけている。
 しばらくして剣心も弥彦を連れて俥を降りた。
「奥さま。生憎どなたもおいでにならねえようで」
「そう。困ったねえ……」
 いかにも困った風だが、本当は好都合だと思っているはずだと、目ではわからずとも頭で考えれば弥彦にもわかる。
 俥を降りた剣心が通用門に手をそえた。
 ギ……、と音がして、門が動く。
「あら」
 他家の門をうっかり開けてしまった若奥様は驚いて手を放す。が、しばらくするとおそるおそるまた手をのばし、通用門を開けてしまう。そして首を差し入れるようにして、
「ごめんくださいましぃ」
 しばらく待っても返事はない。返事のないのにつられてか、そっと門をくぐる婦人。
「あのう、すみませんが……」
 最初はおっかなびっくりだった奥様も、徐々に大胆になる。やがて子どもの手も離し、玄関から横手に回って、そのまま裏へと入り込んでいった。
 俥夫の方は人待ち顔に車寄せの地面に目を落として行ったり来たり。
 二人の役者ぶりに感心しつつ、弥彦も剣心が行ったのと反対側に回り込んでいった。

 奥には立派な庭園が広がっていた。整然と刈り込まれた英国式庭園は弥彦の目には別世界だ。
 園路に導かれるように進む弥彦の前方で、がさっと物音がした。
 どきっとして身構える。が、植え込みの中から出てきたのは、きれいな色の小鳥だった。
(鳥?)
 身分のある人に飼われてると鳥まで鷹揚になるのか、弥彦を気にする風もなく、えっちらおっちらと不安定な足取りで歩いていく。
 と、上からかわいらしい声が降ってきた。
「★◇▽◎◆□☆?」
 見れば二階の窓から少女が顔を出して何か言っている。
 何を言っているのかわからないのは、外国語だからだ。わからないと首を振る弥彦になお何かを言って指差した、その指の先を見て「ああ」と思った。
 あの小鳥を指している。もう一度少女を見る。わからない外国語に重ねられた手言葉が「つかまえて、持ってきて」と言った。
「まさか。無理だろ」
 なんせ相手は羽根のあるものだ。飛んで逃げるに決まっている。首を振ったが、少女はさらに言う。「つかまえて。ここへ連れてきて」。そして片手で部屋の奥を指す。空の鳥かごがあった。あそこから逃げた小鳥というわけか。「おねがい」。
 小首をかしげて手を組む姿に、弥彦の心は動いた。
 小鳥に近づく。きっと逃げると思いきや、鳥は逃げるどころか自ら弥彦の掌にとびこんできた。驚いて少女を振り仰ぐと、少女はとてもうれしそうに身を乗り出している。
 ちょうど窓から遠くないところに大きな木が植わっていた。これなら登るのは造作もない。弥彦は少し思案すると、律儀に声を掛けて断ってから小鳥を胸のポケットにそうっと入れて軽々と木を登り、少女の元へと辿りついた。少女は窓辺に置かれたベッドに身を起こしていた。
 ポケットの小鳥を渡すと、少女の顔が輝いた。
「◎◆□☆◇▽★」
 言葉はわからないが、意味はわかる。「ありがとう」だ。
 少女は小鳥に軽く口づけて、ベッドの上に放した。
「あっ、そんなことしたら……!」
 また逃げる、と弥彦は慌てたが、意外にも小鳥は逃げなかった。そのままベッドの上をよちよちと跳び歩く。じっと見ていた少女は、ホッとしたように息をついて弥彦を見た。
「◎◆□☆◇▽★」
 ありがとう。
 そして続けて何事かを言う。不思議な響きの外国語は、それこそ小鳥のさえずりのようだ。光に透ける金髪に、透きとおった青い目。西洋人形のようにかわいらしい少女だった。何を言っているのかわからないながらも、弥彦はそのかわいらしい笑顔と小鳥のさえずる声の心地よさに引きこまれてしまった。
 その時だ。
「坊ちゃん!」
 ハッと我に返って下を見る。
 左之助だ。剣心もいる。
(あっ)
 そのとき初めて気づいた。
(この子だ)
 今回の対象者。七歳の病弱な女の子。
 しまった。会って話すのは剣心だけと言われていたのに。
 だが、気づいてみれば自分でも信じがたいことだが、この少女が「その子」だとは、樹下の二人の姿を見る瞬間まで、本当にこれっぽっちも考えが及ばなかったのだ。
 慌てて降りようとする弥彦を剣心が軽く指を挙げて留めた。
(?)
 そして弥彦は目をむいた。
 何をするのかと思えば、なんと剣心がするすると木を登り始めたのだ。足首まで届く長いドレスの裾をたくしもせず、まるで平坦な道を歩くかのような美しい身ごなしである。少女もあっけに取られたのか、ぽかんと可愛く口を開けている。
 辿りついた剣心が少女に話しかけた。
「リズ?」
 若奥様の声である。
 少女がうなずく。
 剣心はそんな形でやってきた非礼を詫び、そしてベッドの小鳥を指差した。
「それは、リズの、鳥?」
 ゆっくりと丁寧に問われてうなずくリズに、剣心はまた訊ねた。
「その鳥は、どこか、悪い?」
 リズは考えるように小首をかして、小鳥に手をのべながら喋りだした。
 もちろん外国語だ。何を言っているか弥彦にはわからない。剣心は彼女の言葉がわかるのだろうか? ゆっくりとうちうなずきながらリズの言葉に耳を傾けている。
「そうか……」
 剣心は窓に身を寄せた。そしていつもの地声で言った。
「人は誰しも不自由で自由。自由はそなたの心の中にこそある。大丈夫、もうすぐクリスマス。きっといいことがあるよ」
 剣心の言うことがわかるのかわからないのか、少女は首をかしげたまま人形のような青い目を剣心にひたと向けている。
「あるべきものを、あるべきように。すべてはそのように」
 そのとき、ドアの向こうで声がした。誰何の響きだ。三人ともにハッとした。
 剣心の視線にうながされて、弥彦もついて降りる。
 その前に、最後にと思って少女に手を振って別れを告げた。途端、振ったその手を少女に取られたのにも驚いたが、その手の甲に少女が小さくキスをしたのにはさらに驚いて、危うく木から落ちそうになった。
「うわっ……!」
 そのまま転げる勢いで下に降りる。
 夢中で降りてから、去りぎわに少女がくれたリボンをしっかり握り締めているのに気がついた。

「さーてと。どうするよ」
 左之助が言った。あの後、庭に迷い込んだ弥彦を連れ戻しに行っていた風を装って(半ば事実でもある)屋敷を後にし、左之助の曳く俥で幾度も幾度も方向を違えながら、長い迂回路を経て赤べこに戻ってきた。
「首尾よくリズの部屋まで辿りつけたのは偶然とはいえ弥彦の手柄でござるが……」
 だが今回弥彦は対象者には近づくなと言われていた。結果が吉に転じたとしても、約束を守らなかった事実にかわりはない。
「………」
 しばらく無言で思案した後、剣心は短く言った。
「弥彦、お主は今回は留守居でござる。いいな」
 弥彦は神妙に顎を引いた。
 せっかくの初仕事を自分で水に流してしまった。
「なに、失敗は誰にでもある。そう気にするな」
 剣心はそうなぐさめてくれたが、なぐさめられていること自体がかえって不甲斐ない。
 弥彦が大いにへこんだのは言うまでもなかった。

 だが憂鬱になっていたのは弥彦ばかりではなかった。
 左之助である。
「まいったなあ、ったく」
 正直、弥彦の存在には大いに救われていた。
 短気を起こしてここを飛び出したのは暑い盛り。三月が過ぎてふらりと戻ってきた自分を剣心は何も言わずに受け入れてくれたが、二人の間のわだかまりが消えたわけではないと思っている。妙の言は左之助の実感にはほど遠い。むしろ何も話さないことで屈託の濃さが強調される、そんな居心地の悪さを感じずにはいられないというのが彼の素直な心情だった。
 二人きりでは息が詰まったろう。
 弥彦がいてよかった。
 三人なら笑える。
 三人なら夜の沈黙も怖くはない。
 かたくなに拒否されたことも、見えない本心も、雑念も、とりあえずは見えないところに追いやっておけた。
 だが二人でさんた屋仕事に行くとなると事情がちがう。
 子どもの夢に潜っている間、さんたの体は抜け殻になる。その無防備な抜け殻を守るのが、傍らで見守る者の役目である。わだかまりがあるはずの相手にそんな無防備な状態を預けようと思える理由がわからない。いくら仕事とはいえ、だ。
――離せ。俺に触れるな!
 あの蒸し暑い夏の夜、ぴしりと手をはねて向こうを向いた、あの背中ほどかたくなな拒絶を左之助はこれまで見たことがない。
――左之? 気がかりが?
 恵の話を聞きながら、二人でさんた屋仕事に行くことに何の疑問も抱いていないように見えた。二人で仕事に行くことの意味がわからぬ剣心ではあるまいに。
 大雑把ではあるが、呑気な気性ではかけらもない。といって、左之助の気持ちをわかって手玉に取るような男ではない。
 そもそもそんな男ならここまで惚れはしなかった。
――誰にだって知られたくないことの一つや二つはあるだろう。
 一体何をどうしろというのか。
「あーあ、もう。だーからアイツはわっからねえんだよなあ」



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聖夜にさんたが見る夢は<2> 2011/03/11up
初出 『星降る夜も聖なる夜も 明治さんた屋浪漫譚』 2009/11/01


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