・第三夜 左之助と逆刃刀・ 1/2/3


<3>

「始める前に、ひとつ言っておくことがある」
「?」
「言ったと思うが、さんたには見た夢の記憶が残らない」
「ああ」
 さんたくろーすは、夢の中のことを覚えていられない。潜った夢の中で見たこと、聞いたこと、したこと。その子の夢から戻ってしまえば、何一つ覚えてはいない。それは左之助もすでに教えられて知っている。
「だが、この一番最初の稽古だけは例外だ。普通夢に潜る時とは違って、記憶が残る」
「記憶が……残る?」
「そうだ」
 さんた同士、お互い覚醒した状態で互いの夢を往き来する。そのためか、互いの夢の記憶をそれぞれが持ち帰るというのだ。
「とはいえ、我々が潜るのはあくまで夢。心の中に入ったり、まして記憶を見たりするわけではない。ましてお互い目覚めたままの浅い夢でござる。当人が知られたくないと思っていることまでは見えぬゆえ、心配には及ばぬがな」

 向き合って座り、額をつけると、すぐに剣心が入ってきた。
(左之。左之助。聞こえるか)
 自分の中から剣心の声がするのは、不思議な感じだった。
(剣心。ああ、聞こえる。俺の中に剣心がいる)
(よし、左之。では拙者がどこにいるか、居場所がわかるか?)
(わかる。そこだけなんか違う)
(どう違う?)
(なんか色が……いや、色じゃねえな。なんだろ、これ。渦巻き? ああ、なんか渦巻きみたいだ。何かがそこにあって、ぐるぐるしてる感じ。そこだけ、あー……ゴロゴロしてる)
(うむ。よし、それでいい。その感覚を覚えておけ。左之、その渦巻きの中心へ来れそうか?)
(そこへ? どうやって?)
(強く思え)
(ってそんだけ? でもだって、それ俺の中だろ。わかんねえよ)
(大丈夫。お前ならできる)
(つっても剣心)
(来い!)
 ピシリと鞭のようにしなう声が左之助を打った。駆け抜ける軽いしびれ。だが決して不快ではない。
(来い、左之助!)
 強い声に導かれるように、ぶわりと浮き上がった。
(うわ……っとと)
(そうだ。左之、こっちだ)
(け、剣心……)
 剣心!と、強く念じた。
 何かに吸い寄せられる。気がつけばすぐそばに剣心の気配があった。
(け……)
(左之。よくがんばったな)
(剣心? え、俺……できたのか?)
(無論だ。言ったろう、お前はできると。さあ、行こう)
(う、うんっ)
(つかまれ)
 つかまるまでもなく、剣心の気配にしっかりと包まれていた。まるで胸に抱かれているようで、ドキドキした。
(剣心……)
(行くぞ)
 黙ってうなずき、浮遊感に身を任せる。浮きながら徐々に加速し、すぐに風を切るまでに速度は上がった。
(抜ける)
 剣心の声がした直後、薄い幕のようなものを破った。抜けた、と思った。
 そしてその瞬間、左之助は弾かれた。
(うわあーっ)
(左……)
 左之助だけが弾き飛ばされた。すごい勢いで壁にぶつかったような衝撃。ひとり宙に放り出されて、元来た方へと強い力で引き戻される。剣心の声さえ聞こえない。
――置いていかれる!
 ひとり取り残される恐怖。
 それは左之助にとって最も辛い感情の記憶だった。
(いやだいやだいやだ! 剣心!!)
 後は夢中だった。剣心、剣心、と必死に名を呼びながら、引きずりさろうとする力に抵抗した。滅茶苦茶にもがきにもがいて、気がつくと知らないところにいた。
 吹き荒れていた風もぴたりとやんでいる。
(……剣心)
 たまらず口から漏れたつぶやきに、どこからともなく返事が返ってきた。
(左之? どうした?)
 いつもの柔らかい声が左之助を包み込む。涙が出るほどホッとして、力いっぱい叫んだ。
(剣心! 剣心!!)
 よかった。ひとりじゃない。
(剣心、俺、入れたのか? ここが剣心の?)
(ああ。そうでござるよ。どうした。「抜ける」のは怖かったか?)
(いや、だってよ。俺だけ弾かれたじゃねえか。あのまま入れなかったらどうしようかと思ったぜ)
(弾かれた? 何の話だ? お前の夢から拙者の夢へ、一緒に入ってきたろう?)
(え?)
(「抜ける」のが初めてだったからでござろうか。多少の抵抗がなくはない。……ああ、それでか。そういえば少し暴れていた)
 多少の抵抗? あれが? 少し暴れていた? あれが? まさか。直前まで剣心に抱かれていたものが、ひとり弾き飛ばされた。あの焦燥感と絶望は、到底そんなものではない。
 あらためて見回す。
(ここが、剣心の……)
 そこは真っ暗だった。音も光もない真っ暗な闇だった。
(よう、剣心。夢の中って、みんなこんな感じなのか?)
(いや、人による。拙者の夢は、お前の目にどんな風に見えている?)
(どんな風にって)
 真っ暗で何も見えない、とは言い難かった。かわりに左之助も訊ねた。
(剣心。俺は? 俺の夢はどんなだった?)
(お前の?)
 剣心の笑う気配がした。
(おもしろかったよ。いかにも左之らしくて)
 楽しげな声。けれど左之助の周りには息苦しいほどの闇しかない。
 突如、たまらないほどの悲しさに襲われた。
(左之? どうした?)
 悲しかった。悲しくて悲しくて、どうしようもなかった。涙が止まらない。
(左之助?)
(剣心)
 泣きながら必死で目を凝らして探していくと、闇の中に、何か長いものがあるのが見つかった。
 刀だった。
 黒い鉄鞘の刀。
 無しかない闇の中に、そこだけはしっかりと何かがあった。
(剣心、これ……)
(………)
 夢は心象風景だ。記憶や思いが形をとって現れる。
 随分長い沈黙があって、剣心が言った。
(左之。気になるなら、手にとってごらん)
(いいのか?)
(ああ。夢の中で物に触れる感覚を覚えておけ)
 ゆっくり腕をのばして、その刀を手に取った。触れるのは初めてだ。
(重い)
(鉄拵えだからな)
(抜いたりしてもいいのか?)
(ああ)
 小気味よい音がして、あの逆刃の刀身が現れた。
(………)
 しげしげと眺めると、あらためて不思議な刀だった。
 何か胸に迫るものがある。だがうまく言葉にならない。この切なさは何なのだろう?
(やっぱり斬りにくそうだ)
 前と同じように長い沈黙の後に、前とは違う答えが返ってきた。
(それでいいのだ。斬らないための刀でござる)
(………)
 あいかわらず周囲は皆目の真っ暗闇だ。だが、その逆刃刀の刀身は、まるでそれ自らが光を発しているかのように鈍い輝きを放っていた。闇を払うほどではない。だが一度も血を吸ったことのない澄んだ光だ。切ない。切ないが、見ていると、たまらないような悲しみが少しだけ和らぐ。左之助はしばらく刀身を眺めて、鞘に納めた。するべきことをして、元の通りに戻す。これでいいのかどうか自信はないが、せずにはいられなかった。
(左之助。そろそろ終わろうか)
(ああ。あとは帰り方だよな?)
(そうだ。帰りはたやすい。言うとおりにしてみろ)
(わかった)
(目を閉じて)
 言われた通りに目を閉じる。
(何も考えない)
(………)
(そのまま、浮くのを待て)
 しばらく無心でいると、ふわりと浮き上がった。
(よし、そのまま。逆らわず、流されろ)
 力を抜き、流れに任せる。
 流されるというより、引っぱり上げられる感じだった。
 ぐるんと宙返りをした、と思ったら、自分の体に戻って、目覚めていた。
 十四歳の初体験だった。

――斬らないための刀でござる。

 あの時はわからなかった。
 だが今になって重い。

 黙って盃を干し、目を瞑る。
 静かだ。聞こえるのは弥彦の寝息だけ。
 体は酒であたたまっているが、頭は冴えていた。

 初めての稽古を終え、剣心の夢から戻ってきた後、左之助は剣心にしがみついて泣いた。夢で見た悲しさを持ち帰ったからかもしれない。心の欠けた部分が恋しがったからかもしれない。声を殺して泣きじゃくる左之助を剣心はひどく心配した。
 どうした。何か怖いことでもあったか。嫌なものでも見たか。何がそんなに怖かった。
 気遣わしげに左之助をのぞきこんで、何度もそう問うた。
 最後まで、何が悲しいのかとは訊かなかった。
 今ならわかる。
 あの時の剣心は左之助に重大な秘密を持っていた。抜刀斎だった過去を隠していたのだ。当人が望まぬことは知られぬと剣心は言ったが、そんな秘密を抱えて、よくあの稽古をする気になれたものだと思う。
 だから弾かれたのだろうか。あれは剣心の無意識の防御だったのだろうか。だから自分が左之助を弾いたことを剣心は知らなかったのだろうか。
 今さら謎解きをしたいとは思わないが、あの時のことは一生忘れない。

 無双窓の向こうに、澄んだ冬の星がまたたいている。左之助はごろりと寝ころんだ。
「手放したわけじゃねえんだよな」
「ああ」
 囁く声がかろうじて聞こえた。
「なら、いい」
 剣心が目を上げた。
 左之助の言葉に、口調に、何を感じたのか、じっと左之助を見つめている。

 冬の夜は静かに更けていく。




おしまい

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左之助と逆刃刀<3> 2011/03/26up
初出 『星降る夜も聖なる夜も 明治さんた屋浪漫譚』(2) 2010/03/21


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