「ほんに、お主は執念深い」
「へえ、光栄」
「誉めておらぬよ」
「そうか?」
「そうでござる」
「で? どっちからだ? 俺がいくか? そっちが来るか?」
「誰が売った喧嘩だ?」
「確かにな」
挑戦者は左之助だ。
「そんじゃ、ま」
左手に刀を提げて自然体でゆらりと立っただけの剣心めがけて一気に全力で襲いかかる。
「っらあ――――っ!!」
そして、あっという間にボコボコにされて、気を失った。
夢うつつに声を聞いた。
恵と剣心が話している。
それにしても驚きましたわ。剣さんが子ども相手にこんなにするなんて。
面目ない。大丈夫でござろうか? 残る傷にはなるまいか。
ええ、まあ多少は重軽傷ってところですけど、どれも日にち薬ですね。心配するほどのことはありません。
本当に? 育ち盛りなのに、成長に障りはなかろうか? 何か後に残るような影響が出たりしたら……。
剣さんったら。そんなに心配なら、どうしてこんなにしたんです?
いや、面目ない。実は思いがけず強うてな。少々手加減がおろそかになった。
え? この子? そんなに!?
まじでか!!
飛び起きようとして、壮絶な激痛に悶絶した。
「――――っ!!」
「ちょっ……馬鹿、あんた何してんのよ!」
体がばらばらに引きちぎられるようだった。
「………」
声がでないどころか、頭がチカチカして吐き気がする。
死ぬのか? 俺は死ぬのか?
「馬鹿。じっとしてなさい。二日もしたら動けるようになるから」
バカはお前だ、やぶ医者め。二日で動ける? くっそ、こんなとこで死んでたまるか。
「左之……」
大丈夫だ、剣心。打たれ強いのが俺のウリだからな。だからそんな心配そうな顔すんな。大丈夫、怪我が治ったら俺をこんなにしたやつにはたっぷり礼をして……。
「左之。すまぬ。こんなつもりではなかったのだが」
たっぷり礼を……。
ではない。
そうだった。俺はこいつにヤられたんだった。
「ううう……」
「左之? どこが痛む?」
だが剣心をおしのけて、女医が俺の口に薬を流し込む。うお、不味い。絶対いやがらせだ。
「怪我も寝るのが一番の養生なんですよ。若いし、回復力もありますから。ね」
「かたじけない」
急速に声が遠ざかる。待て待て。お前それでも医者か。適当なこと言いやがって。
「痛み止めと眠り薬を処方しました。朝までぐっすり眠れるでしょうから、剣さんも休まれてくださいな。また明日来ます」
くそ、一服盛られたか。女狐め。
思う間にも、眠りに墜落していく。
額に剣心が触れたような気もするが、そうと意識した時にはもう落ちていた。
「ああ、左之。目が覚めたか」
「………」
剣心、と言ったつもりが、声に出なかった。
「気分はどうだ?」
「ああ……」
剣心が左之助をのぞきこんでいる。
いつもよりやさしい顔で、小首をかしげて、髪を揺らして。
だんだん思い出してきた。
剣心とやり合ったこと。こてんぱんに叩きのめされたこと。恵に薬を飲まされたこと。
「もう、朝……か?」
外はすっかり明るい。
河原で勝負したのが夕方だったから、夜通し寝ていたことになる。
剣心は黙って左之助の前髪をかきあげた。熱をみるように額に手をあて、静かに笑む。
「ああ。よく眠っていた。これなら回復も早かろうと、恵殿も言うておったよ」
「めぐ…み……?」
自分が一晩ではなく丸一日と一晩を眠りつづけていたと左之助は知らない。
剣心は黙って左之助の頭を撫でた。
「水でも飲むか? のどが渇いたろう」
「水……」
みず、と口にすると、途端に強い渇きを覚えた。
剣心が口に当ててくれる片口から飲む水は甘露のおいしさだった。
それから左之助が床上げするまでの三日間というもの、剣心はこれ以上ないほど左之助を甘やかした。左之助も甘やかされるまま剣心に甘えた。
左之助は自分で自分に驚いた。まるで年端もいかぬ子どものように甘えたり何かをねだったり、こんなのはいつぶりだろう。いや、そもそもしたことがあったろうか。
子ども扱いされるのは嫌いだった。子どもだから。子どもなのに。子どものくせに。そう言う大人も嫌いだった。
しかしこれはどうしたことだろう。怪我をしているせいだろうか。小さい子のようにされるのも、するのも、不思議に嫌でない。嫌でないどころか、胸の中に何かあたたかいものがふわふわと舞っているようなくすぐったい感じは、多少の面映ゆさはありながらも、むしろ何とも言えず心地いい。
赤報隊を失って以来、ずっとひとりで戦ってきた。彼が戦っている相手は世間だったが、左之助にとっては世界だった。人は降ろして初めて荷の重さを知るという。左之助はこのとき初めて自分の孤独を知った。自分がいかに人に飢えていたかを知った。
恵の言った通り、三日目ともなれば、もうどこも痛くも辛くもなかったが、左之助は布団の中から剣心を呼んだ。
「剣心」
「どうした?」
「お前のその刀さ」
「………」
「それ、変わってんのな」
初めて剣心を見かけたとき、彼はその刀で威張りちらす警官をなぎ払っていた。あのときは単に峰打ちにしたのだろうと気にも止めていなかったが、自分がやり合ったときに、そうではないことに気づいた。
「刃と峰が逆になってる」
「ああ」
「どうして? それでは斬りにくいだろ?」
火事のとき、四寸柱もすっぱり切り崩していたというから、そもそも斬れないわけではないのだ。そう思って言ったのだったが、剣心は随分長く黙り込んだ。
悪いことを訊いてしまったのだろうか。自分に赤報隊の過去があるように、剣心にも何か辛い過去があっておかしくない。
だが剣心は腰に差した刀の柄をポンと叩いて、にっこり笑った。
「拙者には、これがいいのでござる」
「ふうん」
それ以上どう言っていいかわからない。
何か言う代わりに、左之助は剣心に水をねだった。
三
そんなことがあったからか、あるいはあってもなくてもそうだったのか、ともあれ二人の同居生活はいたって順調だった。
さんた屋見習いの修行も徐々に、だが着実に進み、そして季節は春から夏に移ろうとしていた。
左之助はいつになく緊張していた。
今日、初めて夢に潜る稽古をする。相手は剣心だ。
「前々から話している通り、我らさんたくろ(・・・・・)ー(・)す(・)は子の夢に潜り、夢を届ける」
剣心も、心なしかいつもより神妙だ。
「夢に潜るというのは、言うなれば、魂だけが抜け出して相手の中に入るようなものだ」
左之助はうなずく。
「主にはその才がある」
「……」
「あるのでござるよ。まだ自分でわかっておらぬだけで」
世界的組織であるさんた屋の中には、資質の判断に長けた専門職がいて、その人間が左之助に潜在能力ありと判断したのだという。
「で、だ。要は最初のとっかかりでござる。やり方さえわかれば、必ずできる。だがそのとっかかりが難しい。やり方さえわかればよいと言っても、離脱も潜入も、はたから見れば、単に眠っているにすぎない。横ではりついて見ていたとしても、何をどうしているかはわかるまい」
左之助はまたうなずいた。それは想像に難くない。
「といって、口で説明してわかるものでもない」
ではどうするのか。
「まず拙者がお主に潜る」
「………」
「そしてそのまま、お主を連れて、こっちに戻る」
こっち、といって、剣心は自分の鳩尾に指を向けた。
「いわば、水先案内人が連れるようなものゆえ、出るのも潜るのも難しくはない。そうして一回できれば、後は簡単だ」
確かにそう聞けばいかにも簡単そうだ。だがそううまくいくものだろうか。
「大丈夫。左之ならできるでござる」
剣心が左之助を「左之」と呼ぶようになったのは、あの火事の夜からだ。今日から一緒に暮らそうと言って左之助の手を取り、「左之、おいで」と、そう言った。
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左之助と逆刃刀<2> 2011/03/26up
初出 『星降る夜も聖なる夜も 明治さんた屋浪漫譚』(2) 2010/03/21