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2008/12/9

<34>

 残りの五日間はあっという間だった。長い旅ほど終わりが近づくにつれて急に加速する。まして将来を誓ったばかりの二人に時間はどれだけあっても余ることはなく、またどんなにわずかな時間であっても不足はなかった。剣心と左之助は限られた時間を無為に過ごすことなく、いろんなところへいき、いろんな人に会い、いろんなこともして、片時も離れることがなかった。ここにいたる紆余曲折は長かったが、幸せになるには一日もいらなかった。一瞬で人は幸せになれることを、二人は知った。

 海藻と小魚の佃煮を携えて三島栄一郎を訪ねたのは、台風から三日が経った午後だった。
「よう、ミッシー。ここは大したことなかったみたいだな」
「ちょうど森の陰になってね。瞬間的に川の水量が大変なことになったけど、それもすぐ引いたし。いやあ、つくづく森の循環システムってすごいと思いましたよ」
 多少の片付けと修繕が昼頃には終わっていたのはマオマオビーチリゾートの状況と同様で、マジュロから来ていた青年海外協力隊員が手伝ってくれたことも早く終わった要因のひとつだった。左之助に体験ダイビングの依頼があった、例の同期隊員である。無論体験ダイビングは中止になっていたが、海は逃げない。左之助も当分ここにいる。
「また来ることあったら、いつでも声かけてくれよな」
「ありがとう。そうさせてもらいますよ。そのときはよろしく」
 それにしてもこの人はいつも日だまりのように笑っている。
 不思議な人だな、と剣心は思った。
 会うのは二度目だが、単なる「いい人」でないのはすぐにわかった。明晰な頭脳と早く深い洞察をもつ英才である。だがいつも穏やかな笑顔を絶やさない。絶縁体のことを話すときも、二年の任期の短さを嘆くときも、森を称えるときも、同じようにほのぼのと笑う。ついさっき、今朝煮上がったばかりの佃煮を手渡したときも、やはり同じ日だまりの笑顔だった。
「うわあ。これはうれしいなあ。いやあ、すみません。こないだの梅干しといい、いつもいつも」
「いえいえ。それに梅干しは俺はほんと持ってきただけだから」
「いやしかしうれしいなあ。剣心さんのお手製かあ。料理お上手なんですってね。すごいなあ。ちなみにこれって何の海藻です?」
「えー、なんだろう。んー……サム・オブ・シーウィード?」
 とりあえずなんか海藻。ははは。と、二人で笑い合った。左之助は広場で子どもたちと遊んでいる。
「すみません適当で。あ、でもとりあえず食べれるものだってことは地元スタッフに確認済みだから大丈夫」
「いいですね、料理できるって。そういう実際的なスキルって、ほんとどこ行っても絶対有益ですもんね」
「三島さんみたいに技術もってる人こそすごいと俺は思うけど。しかもその技術がこんな風に外国で必要とされてて、技術と知識で貢献できる。すごいことじゃないですか」
 最初は僕もそう思って応募したんですけどね。と、栄一郎は広場で遊ぶ子どもたちに日だまりの目を向けた。「サノー、サノー」と輪に引き込まれた左之助が一緒になってきゃいきゃいとはしゃいでいる。
「でも僕らの技術とかって、結局、設備やら機械やら道具やらがないとどうにもならないんですよね。恵まれた環境で身につけた技術って、そういうものなんだなーって。ときどきガックシきますよ、正直」
「三島さん……」
「自分が何かもっとすごいものだと思ってたんでしょうね。最初は所詮こんなものだったんだって、ちょっとへこんだりもしましたけど、でもへこんでてもしょうがないやって思って。僕の知識とか知ってることとかが何かひとつでも、ほんの少しでも、あの子たちの役に立てば。それでこの国がよくなるのに、なにかちょっとでも貢献できればって、今はそう思うようになりましたね。なんか言葉にしちゃうと陳腐なスローガンみたいで嘘くさいんですけど」
「そんなことない。そんなこと、全然ない」
 どんなに小さなことでも、もし仮にこれまで多くの人に言い尽くされてきていたとしても、実感はひとつとして陳腐ではない。剣心は言った。
「もしも言葉にしたらそう聞こえるとしても、でもそれを実践してるあなたは尊敬に値する」
 ふと、この人に聞いてもらおうと思った。誰もが名を知る大手メーカーの開発部門にいながら働き盛りの二年間を青年海外協力隊に懸け、いつも日だまりのように笑うこの青年に。
「三島さん。聞いてもらっていいですか」
「はい?」
「軽くカミングアウトなんですけど」
 そう言ったきり、しばらく言葉に迷う剣心を、栄一郎はじっと待ってくれた。
「んー、むずかしいな。どう言えばいいんだろう」
 どう言えばいいのだろう。またしばらく黙考してから、剣心は顔をあげた。
「俺たち、付き合ってるんです」
「え?」
「俺。左之助と。男同士だけど」
「ああ……」
「今までずっと人には言ってなかったんですけど、これからはもうそういうのやめようと思って。まだ会って二度目なのにいきなりすみません。実は初カミングアウトなんです。でもどうしてだろう。どうしてか三島さんに聞いてもらいたいと思って」
 一気に言ってから目を向けると、三島栄一郎はやはり日だまりのように笑っていた。
「あれ。三島さんってそういうの割と平気な方?」
「うん、別に。それにごめん、実は、知ってました」
「え」
「いや、はっきりそうと聞いたわけじゃなかったんだけど、左之さんと初めて会ったときにね」
 グアムからの飛行機で隣席になった、それが二人の初対面である。
「この人だって思い定めたパートナーがいるって。今は長期放浪中だけど、料理が上手で、ダイビングが天才的で、すっごい美人で、でも超手の早いちょっとバイオレンスな人って」
「……」
 あの馬鹿は、初対面の人に向かってよくもそんな恥ずかしい話をべらべらべらべらと。
「で、こないだ梅干し持ってきてくれたときに『相棒が運んできた』って」
 だがそれだけではつながるまい。
「そんときホラ、帰国便のお客さんが一緒で」
 新井青空・梓夫婦だ。午前の空き時間に遺跡見学に来た。
「僕ちょうど暇だったから、滝で一緒にごはんよばれたんです」
 アンツの無人島キャンプや剣心の話が出たのだという。
 料理とダイビングと椰子の木登りの上手な、破天荒な野生児。俺様王様な左之助を振り回し放題に振り回して殴り飛ばすお人形のような相棒。
 一目見てピンときたという。
「たしかにすっごい美人だし」
 あれ、男の人だったんだ。初めて会った時に彼が一瞬見せた「おや」という表情の意味を今になって知った。
「いやでも剣心さんみたいな彼氏なら俺だって絶対自慢するって思いましたよ。普通に」
 剣心は目をぱちくりさせた。栄一郎の言葉に風穴を開けられた気がしたからだったが、剣心の凝視を栄一郎はちがう意味に取ったらしく、一拍おいて大慌てで弁解をはじめた。
「あ! えっ?! いや、べ、別に口説いてるとかそんなんじゃありませんからっ。俺、日本にフィアンセいますから」
 真っ赤になって手を振る栄一郎の慌てっぷりに、剣心は盛大に噴き出した。
「そ、そんなに笑わなくたっていいじゃないですかー」
「ごめんごめん。でもそっか。彼氏でいいんだ」
「え?」
 耳まで赤いまま、栄一郎が聞き返した。
「いやだからほら、カミングアウト。さっき、なんて言えばいいのか困ったんだけど」
 と、今度は剣心の頬が赤くなった。
 性的指向として男が好きなわけではない。たまたま左之助が男だっただけだ。だから自分がゲイであるというのは語弊があろうし、違和感もある。だが、そんな自分がいかに相手に骨抜きかを吐露するような主張を堂々と宣言できるくらいなら、そもそもこんな苦労はしない。恋人というのも言葉に照れる。なるほど「彼氏」はうまいと思った。
「ああ、うん。普通に彼氏でいいと思いますよ。わかりやすいし」
 それを当たり前のように「普通」と言う栄一郎に、目の覚める思いがした。彼は続けた。
「そういうの、なんかいいですねえ。親友でライバルで彼氏って感じで。男と女じゃなかなかそうはいきませんもんねえ」
 それは確かにそうだと思う。こんな出会いは二度とないだろうとも思う。
「それ、左之さんに言ってあげました?」
「まさか。言いませんよ」
「どうして。言いましょうよ。あの子ああ見えてけっこう繊細なとこあるじゃないですか。きっと嬉しいと思いますよ」
「……言いませんよ。つけあがらせるだけですから。ただでも無駄に自信過剰なのに」
 あの子ああ見えてけっこう繊細。
 栄一郎が左之助のことをよく見ていることに驚いた。客観的で鳥瞰的な目だ。整然としている。だからいつも日だまりのように笑うのかもしれない。
「あんだよ。だれが無駄に自信過剰だって?」
 いきなり両肩をつかまれて剣心はぎょっとした。
「つうかナニ二人でひそひそ話してんだよ。おい、ミッシー。こいつにちょっかい出したらテメエ、ボコるぞ」
「こら左之! 三島さんに乱暴したら俺がお前をボコるぞ」
「でっ……! ていうかなんでそこで先に手が出るよお前は。まだなんもしてねえっつの」
「あ、悪い、つい……」
「しかもグーで殴るってどうよ。な、ミッシー、どう思う、このバイオレンス具合」
「ははははは。ほんとおかしい人たちだなーもう」


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わらくる<34> 2008/12/9





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