その日、剣心は生まれて初めて手のりマンタを見た。
台風の余波の残る、昼下がりのマンタロードだった。
夜が明けると、台風一過の青空が広がっていた。
真っ青に晴れた空に、無邪気な白雲がぷかぷかと浮かび、海は今の剣心の心持ちを映したようで、鏡のように穏やかだった。
結局、昨夜はあのまま眠りに就いた。指の震えが止まらないほど気が高ぶってとても寝つかれなどしないと思ったが、いつのまにか眠っていたらしい。気がつけばもう朝で、心は不思議なほど静まっていた。夢うつつに覚えている。ゆらゆらと揺れる灯火の中、疲れて眠りに落ちるまで左之助に抱かれていた。力強い手が凍えた背中をゆっくりとさすってくれていた。
嵐の爪痕はいたるところに散見された。
なぎ倒された椰子の木。へし折れた樹木。打ち上げられた魚の死骸。どこかからとんできた何かの破片や残骸や板や靴やバケツや工具。建物は巻き上げられた泥や海水で汚れ、屋根から海藻がぶら下がっているところもある。
日が昇ると、人々はわらわらと外に出て、後始末をしはじめた。ごみを集め、吹きとばされたものは正しい位置に戻す。壊れたところは、直せれば直し、無理なら諦める。この島はおおむね諦めのよい人間が多かったので、総じて進行は早かった。つまりほとんどが早々に諦めたのだ。午前中のうちにおおかたの人や家が片付けを終えることができたのはそのためである。
島の北西端にあるマオマオビーチリゾートの被害は比較的軽かった。台風の進路から見てちょうど島影に位置したことが幸いしたのだ。最も心配された桟橋や浜に引き上げておいたボートさえほとんど無傷だったほどだから、ダイビングショップ棟も、厨房も、これでもかと板を張った器材庫も、被害らしい被害はこれといってなかった。最も海側にあるダイビングショップでもその程度だったのだ。他は推して知るべしである。左之助も剣心もほっと胸をなで下ろして一通りの掃除を済ませた後はビーチやフロント棟や他の客室の片付けを手伝い、それさえ昼前にもならないうちに完了した。
午後から海に出てみようということになったのは、前夜の話のこともあったが、そうしておおかた済んだのがまだ朝のうちと言ってもいいほど早い時間だったことと、最重要観光財産であるダイビングポイントのダメージが心配だということもまた大きな理由のひとつだった。先の台風では、ちょっとした名物だった全長三メートルもの巨大な玉サンゴが流されてなくなった。ことは修復も代替もきかない自然である。もし万一マンタのクリーニングステーションが消失でもしていたら、どんな陸の施設の損害とも比較にならない手痛い損失だ。
だが、不安な気持ちでエントリーした二人の前に、ポナペが誇るダイブサイト「マンタロード」は、台風前と変わらぬ元気な姿を見せて広がっていた。
無論、小さな傷痕は無数にあった。海全体がなんとなく落ち着かず変にざわざわと騒がしいし、細部に目を向ければ、サンゴが折れていたり、根と呼ばれる岩石が横倒しにひっくり返っていたり、陸からとんできたらしきイスが砂地に転がっていたり、根こそぎ引きはがされた海藻のかたまりが中空を根ごと漂っていたり、いつものかくれ穴を失った魚やエビやカニが新たな定位置を求めてウロウロしていたりと、挙げれば枚挙にいとまもない。
しかしその程度のことは自然の流転の範疇だ。やがて回復する。しかるべき姿に落ち着く。むしろそれが「自然」だといってもいい。
――よかった。これなら心配ない。
互いに見交わした目に同じ表情を読み取って頷きあい、ゆっくりとクリーニングステーションの周囲を見て回っていた。
そこにポチが姿を現したのだ。
――あ。
先に気づいたのは剣心だった。
指で示しながら振り返ったときには左之助もすでに同じものを見ていた。
赤道直下の水深十五メートル。
光量は豊かで、浅瀬かと錯覚するほど明るい。
台風にかき回された影響で浮遊物が増え、白くもやって透明度は落ちているが、南国の海特有の明るさに変わりはない。
その水彩画の空のような明るい水色のなかを、曲がった尻尾を左右に振り振り、ポチは泳いできた。気持ちよさそうに水に乗り、平たい巨体を悠々と波打たせながら、歌うように近づいてきた。
ひらり。
根の――つまり二人の近くまで来ると、ポチは軽やかにヒレを踊らせた。
ひらり。
またひらり。
右に左に。遊ぶように、歌うように。体を弾ませながら、くるくると旋回する。
応えるように左之助が腕をさしのべる。
――あ……。
ポチの体が風にあおられるように傾き、上がった方のヒレがぐんと大きく羽ばたいたかと思うと、次の瞬間、降りてきた翼が高々と掲げられた左之助の掌を叩くのが見えた。
ぶわん。
今度ははっきりと腹部が触れた。押されて左之助の腕がわずかにたわむ。
ひらり。ひらり。
またひらり。
その場にホバリングしながら、ポチは風をはらんで空高く舞う凧のように魚体をしならせる。ころころと笑う子どものように水と遊ぶ。ふわりと浮いて、ふわりと沈む、そのたびに、まるで感触を楽しむかのように何度も何度も左之助の手に体を弾ませる。
剣心は息を詰めて彼らを見ていた。
こんなこともあるのだ。
こんなことがありえるのだ。
胸の震えが止まらない。
「人をおそれない」程度ならともかく、野生のマンタが人になついたなどという話は聞いたことがない。確かに、人が危害を加えるものでないと理解すれば共存は可能だ。多少は慣れて、機嫌がよければ触れさせる場合があるのは話に聞いて知っている。マンタはその知名度にもかかわらず未だ研究の進んでいない魚のひとつだが、しかしそれでも、野生の個体が人になついて向こうから接触し、まして自ら手にのってくるという事態がどれほど想像を絶することかは、それなりに経験と知識のある剣心にはおそろしいほどにわかる。
信じがたい。だが現にこここうしてある。
これが海だ。まざまざとそう思う。
なんだって起こる。どんな不可能も起こり得る。実際そうして目にしてもなお夢のようなこんなことが、海では、夢でない。
ふと残圧計を見ると、おどろくほどエアーが減っていた。興奮している証拠だ。自覚はあったが、自分で思っている以上に衝撃を受けているらしい。目を閉じ、努めてゆっくり大きな深呼吸を何度かしてから、瞼を上げた。
ポチとたわむれる左之助はとてもリラックスして見えた。
ポチを見る目に見たこともないような優しさがあふれている。
――いや、ちがう。
そうではない。
見たこともないような、ではない。
知っていると思った。
――あの目。あの視線。
そうだ、知っている。
強烈な既視感。
いつだろう。どこでだろう。
つい最近。いやちがう。遠い昔。やっぱりちがう。ごく最近。それも一度二度ではない――?
きらっと何かが頭をかすめた。記憶のような。光のような。映像のような。感情のような。追いかけると逃げるパズルの欠片。多分重要なピースだ。頭を空っぽにしてもう一度来るのを待つ。
ふと、何かに呼ばれでもしたように、左之助が剣心を見た。
右手にポチを乗せたまま、あいている方で剣心を手招く。
剣心が近くまで寄っても、ポチは逃げなかった。
きろきろと動く魚類の目に感情は見えない。嬉しさや楽しさを目で語る哺乳類のイルカとはちがう。ましてマンタはエイ目だ。もっと原始に近い。
――でも。
左之助に促され、剣心もそっと手を伸ばした。同じように掌を仰向け、しかし左之助よりは少し手前で触れない程度に控えて、向こうが慣れるのをしばらく待つ。遠目に見る者があれば、二本の腕がマンタを掲げているようにも見えただろう。腕の支柱は片方が少し長く、少し逞しく、ウエットスーツの袖の先にある手が黒かった。
やがて一本が引かれ、細い方の支柱だけが残される。
マンタは、白く小さな掌に腹を弾ませると、いったん離れて二人の頭上を周回してから、またゆっくりと舞い降りてきた。
剣心は息を詰めて凝視した。
腹部に傷痕がある。全身をほぼ縦断する大きな傷だ。命を落としていても不思議のない大怪我だったはずだ。血を流して浜に打ち上げられていたところを、左之助に救われたという。一年と四カ月前の話だ。今はもう全幅三メートルはあろうか。立派な成魚に成長して、こうして力強く泳ぎ回っている。たしかに人の手は入った。だが、自然の淘汰は人智を超えて大きい。非力な人の手がささやかな助力を施したからといって、それが、これもまた大いなる自然の淘汰のひとつの必然だということを否定するどんな理由になるだろうか?
大きな裂傷の痕を残す腹が再び剣心の手に触れた。一度、二度。まるでステップを踏むように軽やかに触れては離れる。
掌に感じる弾力のある肉体。魚だから、温かくはない。冷たい。哺乳類の動物などとはちがう。だが生きている。まぎれもなく生きている。互いの皮一枚ずつを挟んで、血が流れ、脈打っている。
やっぱり海はすごい。必ず人の予測を超える。何だって起こるし、予想のつかないものが出てくるし、想像もできないことが現実になる。そうだ。これが海だ。その海が、大いなる海が、同じ地球上に生きるものどうしを天文学的な確率で出会わせてくれた。
奇跡とは降ってわいた幸運のことではない。
人間が、能うかぎりの智恵を絞って、死にものぐるいで努力をして、気力と力を注ぎ尽くしても、どうしようもないことは、世の中にいくらでもある。報われる努力こそ稀といっていいほどに。そしてまた、さらにごく稀にだが、人がそうして死力を尽くしてもう何もできることがなくなった後に、ふと運ばれてきた小さな偶然がすべてを変えることがある。それまで何をどうしても実らなかった結果が、その瞬間、突然に結実する。それが奇跡だ。努力して努力して努力して、それでも手の届かなかった目標を、こちらに押しやってくる風。気まぐれで、ささやかで、しかし決定的な偶然。それが奇跡と呼ばれるものの正体である。
海には、奇跡がある。
熱いかたまりが胸にこみあげて、涙がこぼれてきた。これはなんの涙だろう。哀しさでも切なさでもなく、よろこびでもない。もっと深くて熱い。荒ぶる奔流が剣心のなかで暴れている。
圧倒的な自然を前に人が謙虚な気持ちになるのは、それが人を丸裸にするからだろう。我も意地も嘘も欲も自然相手には通用しない。人間の外側にこびりついた垢は洗い流さざるをえない。ゆでたまごの殻をむくように、やわらかく真っ白い部分が現れる。嘘のない、あるべきものが現れる。
何を考える必要があったろう。
何を悩んでいるひまがあったろう。
おこがましくも。
海は大いなる荒ぶる神だ。圧倒的に強大な力で作為なく奪い、あるいは与える。
結果は必然だ。だからといって過ちが罪でなくなるわけではないが、それでも結果は必然だ。
吹けば飛ぶ小さな命。人が蟻を踏みつぶすより容易く吹き飛ぶささやかな命。それでも残った今、生かされた命には責任がある。為すべき仕事がある。生も死も、個に属するものではない。それをポチは教えてくれた。同じように偶然に吹き飛ばされかけ、同じような必然に命ながらえて頭上を舞うみずからの姿でもって。
ポチが踊ると、水が揺れる。光も踊る。プランクトンの豊富な南洋の水に降る陽射しは穏やかにさざめいて、優しい。
剣心と左之助はつかのま目を交わし、そして申し合わせたように笑い出した。
ゴボッ……。
ゴボッ……、ゴボッ……、ゴボ、ボボボボッ……。
言いたいことがたくさんある。
聞いてほしいことがたくさんある。
だがもう言葉にする必要はなかった。
本当に左之助は水中だとわかりやすい。だが自分もまたそうだと左之助は言う。
潜っていてよかった。ダイバーでよかった。俺達はひとつの共通語をもっている。どんな多くの言葉よりも、どんな濃厚な接触よりも、それは強力に二人をつなぐ。早くて強い絆となる。
この道で会えてよかった。
ゴボッ……、ゴボボッ……、ゴボボボボッ……。
次々とくる大きなエアーのかたまりにポチがたわむれ、ひらひらと踊る。
ゴボッ……、ゴボボッ……、ゴボッ……。
ゴボ、ゴボ、ゴボボボボ……。
やがてポチは去った。彼らの頭上を二度旋回し、頭の両側のイトマキをひらひらとなびかせて、沖の方向へ消えていった。
後にはアクアブルーの水の空と二本の泡の柱が残されて、海は静かに輝いていた。