戸の閉まる音で目が覚めた。
起きぬけのゆるい目が、閉じたばかりのドアをぼんやりと見つめ、緩やかにまた閉じる。
足音が聞こえる。階段を降りている。高床になったコテージの階段は八段。下は小石まじりの粗い砂。ジャクジャクと鳴る足音は半ば地面に吸収されて濁る。
剣心が次に瞼を上げたときには、左之助の足音は外界の他のさまざまな音に埋もれて聴き分けられなくなっていた。
テーブルの上にポットとカップとメモが置かれていた。ポットはいつも海に持って出る大きなステンレスの魔法瓶だ。毎日のように海で使うものだから、目立つ傷があちこちについて傷んでいる。その横に、マグカップと数種のティーバッグと、走り書きのメモがあった。
『ログタイム。 カメラBOXにバナナ!』
見ればテーブルの足元に小型の防水カメラケース。
カップに湯を注いでティーバッグを入れ、ソーサーでふたをしてから、カメラケースを開けた。密閉できる防水ケースは食べ物をアリやハエから守るのに好都合なのだが、中身を見て、剣心はしばらく考えた。
「………日本語は正確に」
完全に間違いというわけでもないが、と言って、なるほどと思える表現でもない。少し違う。どちらかといえばそれはバナナサンドと呼ぶのが正しい。
チームでのログ付けは苦手なので、しばらく部屋を出ないことにした。
部屋は三方に窓がある。道側の出窓と、広い庭を挟んで隣の棟に面した腰窓、それから海側のテラスに向かって開く掃き出し窓だ。全てのカーテンが引かれて、部屋は仄暗い。外から見られる気遣いのない海側のカーテンと窓を開けると、眩しい昼の日差しと海風が飛び込んできた。日差しは暗さに慣れた目には痛いほどの光量だった。
思わず手びさしをかかげて、ぎゅっと目を閉じた。
そしてゆっくり目を開けた剣心は、目の前に広がる砂浜と海の眺めに嘆声を上げた。
「うっわあ……」
テラスの木製階段を降りると下は砂浜。短いプライベートビーチを横切れば、もうすぐそこが海である。海はやはり透きとおるサファイアの雫で、空は深いほど高い。植物の緑は南国らしく濃く鮮やかで生命力に溢れている。風の渡りと、波の音。風にまじった何かの生き物の鳴き声。太陽の光が大気に沁みる音。祝福された世界などというものがもしあるとしたら、それはきっとこんな風であるべきだろう。
ゆったりと間隔をとって並ぶコテージは全室が海に面しており、それぞれがビーチと海と空を占有できる。外に出れば別だが、部屋にいる限り、人目を気にする必要もない。着いた日の夜に隣室のバスルームから見たのとほぼ同じ、この上なく贅沢で豊かな視界だった。
剣心は籐のガーデンチェアを窓際に移動させ、紅茶をすすりながらバナナサンドを食べた。
「うーわ、なんだこれ。おいし……」
思わず声に出た。
小ぶりなローフの食パンにバナナが挟んであるだけだと思ったら、パンもバナナも軽く焼かれて香ばしくやわらかく、しかもパンにはあの噂のココナツジャムが塗ってあったのだ。
ココナツジャムというのは文字通りココナツで作られたジャムで、東南アジアやミクロネシアでは一般的なスプレッドである。中でもインドネシア、フィリピン、マレーシアなどでよく食べられるが、それらの多くが卵を使い、黄色や茶色の色をしているのに対して、ポナペのそれは白く、この島のココナツオイルがそうであるのと同様に、純度が高い。ココナツの味が前面に出た豊かな風味は、他のどの地域のどのココナツジャムとも違っていて、「あの味が忘れられない」とまとめ買いをしていくリピーターも少なくないという。
ポナペには以前も来たことのある剣心だが、実はこのジャムのことを知らなかった。
以前、左之助がショップのツアーから帰ってきたときに話を聞いたのが初耳だった。
「………………」
忘れもしない。
出会って二年足らずの時だ。さんまが旬の頃だった。秋だった。インストラクター試験の合格記念に、左之助が初めてショップの海外ツアーに引率で出た。帰ってきた左之助とちょっとした諍いをしたり、仲直りをしたりもした。後になってみれば、どうしてそんな盛大な喧嘩をしなければならなかったのかも、またどうしてそこまで熱烈な仲直りをする必要があったのかもよくわからないような、無数の他愛ないすったもんだのうちのひとつだ。毎日がそんなばかばかしく平和なイベントの連続だった。何日かが過ぎれば、何かの口実か相手をやりこめるため以外には、わざわざ引っ張り出すこともなければ、思い返すことさえほとんどなかった。
だが、そうやって流していけたのは、それが日常だったからだ。
今日まで続いてきたものが、今日からもまた続いていく。
当たり前にまたあるはずの、それが日常だったからだ。
空気のように、水のように、あって当たり前だった。続いて当然だった。
「いつか終わる」と自分に言い聞かせながら、けれど本当はきっと、頭のどこかで、それは今日ではないと思っていた。明日でもないと思っていた。
少し先のいつか。もうちょっとだけ先の話。それはいつも先の話だった。遠い将来ではないが、常に「まだ少し先」の問題だと思っていた。わかっていると言いながら、本当にはわかっていなかった。わかろうとしていなかった。気持ちは逃げ水を追っていた。のんきだった。
――甘えていたのだ。結局。
今となってはそう思う。
だが、剣心が決心する前に状況が動いた。
すべてが一気に変わった。
いきなり新しい日常が始まり、全く違う環境が一気に押し寄せてきた。
いろんなものを無造作に過去に置いて来られたのは、それがまた繰り返されると思っていられたからだ。
繰り返される未来がなくなったとき、無数の些細な出来事の片々の一つひとつが、ひとつとして失うことのできない得がたい宝石になった。
剣心はそれをずっと大切に抱いている。
一つひとつが、よくこうも覚えているものだと時に自分でも不思議なほどに鮮明で、そしてことあるごとに自動再生される。
この一年、ずっとそれを制御しようとし続けてきた。
あふれる記憶に押し流されないように。感傷に負けないように。衝動に屈しないように。
だが、この時、ふと思った。
思うまいとしても思い出さずにいられないのなら、無理に封じ込めるのをやめてみようか。
――そうだ。同じやり方で「見」ればいい。
剣心は、頭をからっぽにして、自分の中を流れていく映像を、なにも考えず、なにも思わず、感情を眠らせてただただ見た。そこで起こっていることを事象として見た。自分を手放し、相手を離れ、沈黙して観察した。
いろんな物事が不思議なほどちがって見えて、新鮮だった。
壁に貼られた写真を見ているところに左之助が帰ってきた。
「おう………起きたか」
「これ? うわさの披露宴?」
剣心がそのうちの数枚を目で示して、やわらかく微笑した。
「あー、そうそう。お前、間に合わなかったもんな。俺が帰った翌日だっけ? 来たの」
「いや、三日か四日後だと思う。結局船とビザとでダブルに手間取って。でもみんなまだ残ってたから……っていうか俺を待っててくれたから、ここに写ってる人とかは結構わかる」
「向こうのカッコのが初日で、次の日が着物。ドレスのが最後の三日目の。つうか写真も見てねえのか?」
「ちょっとは見せてもらったんだが全部は。なんせほら、とにかく毎日わやくちゃだったから。お前もいたならわかると思うけど」
「……理解」
知っている者どうしの目で肩をすくめ、微苦笑を交わした。
右喜たちは披露宴を二度している。
一回目が四月に京都で。二回目が翌十月に、新夫の故郷、北アフリカのマリ共和国で。
二人が今見ているのは、その二回目の、マリでの披露宴の写真だった。
右喜の伴侶は名をジャン・カンテといい、北西アフリカのマリ共和国に生まれた。皿洗いから調理見習いを経て料理人になり、在外マリ大使館のコックとして北アフリカやヨーロッパやアジア諸国で経験を重ね、日本で自分の店を構えたのが数年前。すでに日本語は堪能で、日本の生活にもすっかり馴染み、当地での交友関係は広いものの、家族、親戚の多くは母国マリにいる。日本組とマリ組の全員が一堂に会することは現実的に限りなく不可能に近い。だから披露宴を二回した。先に日本で春に。そして次の秋にマリで。
四月の京都での披露宴は二人が会った最後でもあった。
左之助はすでにポナペに移った後で、なんとかスケジュールをやりくりして、ほとんど日帰りの強行軍で出席した。
剣心はその披露宴に出た後、旅に出た。
ジャンの実家でも披露宴をすることは決まっていたが、秋か冬にはという大雑把なこと以外は決まっていなかった。剣心にもぜひ来て欲しいという右喜の強い希望もあって、インターネットで使えるウェブメールで連絡が取れるようにはしていたものの、旅行先でいつでも満足にインターネットが使えるわけではない。そこに電子メールの不着や行き違いが重なり、さらい思いがけないトラブルとして、右喜サイドでは直前の披露宴日程変更があり(しかも前倒し)、剣心サイドでは、移動の乗り継ぎやビザ発給手続きに手間取ったりした結果、剣心がやっとの思いでジャンの故郷に辿り着いた時には、三日三晩続いた盛大な披露宴はすでに終わってしまった後だった。左之助はこの時もとんぼ帰りのタイトな日程で、剣心に会えないまま、式の翌日には現地を離れている。
だが、三日も前に披露宴が終わっていたにもかかわらず、親族一同のほとんどが「ケンに会ってから」と、剣心を待ってとどまっていた。何せ遠方ということもあり、日本から行ったのは上下衛門、央太、左之助の他には、先方には便宜上“はとこ”という設定になっている剣心だけだったからである。
カンテ家の一族は、マリ国内のみならず、アルジェリアやモロッコ、フランス、遠くはカナダやオーストラリアと、広く世界各地に散っている。それが、ジャンと右喜の結婚を祝うために、その時その地に集まっていた。いろんな年齢の子どもも多くいた。血の結束の強い民族性とはいえ、皆が集まるこんな機会はさすがに稀だ。次はいつ会えるか、それどころか、会う機会があるかどうかさえも定かでない。新しく一族の仲間になる右喜方のファミリーに一目会っておきたいと思うのは自然なことでもあった。
そんな顔ぶれだったから、それはもう毎日がお祭のような騒ぎで、賑やかさで、楽しさで、わけの分からなさだった。イスラム教徒だから酒は飲まない。大皿で食事をし、お茶を飲み、菓子を食べる。大人の男性のいくらかは噛み煙草を喫む。歌を歌い、弦を鳴らし、ドラムを打って、踊る。いくら旅人を歓待する民族だとはいえ、約一週間の滞在の間、剣心は、とてもそれでは済まされない、信じがたいほどのもてなしを受けた。そして、「きっとまたおいで」「必ずまた会おう」と、たくさんのお土産をもらい、もっとたくさんの握手と抱擁と笑顔と涙に送られて、マリを後にした。
「なんていい人たちなんだろうな」
写真を見つめる剣心の顔には、やさしい微笑がずっと浮かんでいる。えも言われぬあたたかくて穏やかな表情である。
声に誘われるように写真から剣心に目を向けて、左之助が呟いた。
「ほんとにな」
剣心の指先が、花びらに触れるやさしさで写真に触れる。首を傾げると、ほどかれたままの長い髪がさらりと揺れる。その髪の動きさえもが柔らかく見えた。
「右喜ちゃんも、すごい幸せそうだった」
「ああ」
穏やかな午後の風が吹いていた。
外は静かで、時折なにかの紙がバタバタと音をたてる以外は、低い波音が続いているばかりだった。
どこかで犬がワウンと鳴いた。