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2007/8/15

<14>

 そんな馬鹿馬鹿しいことをして遊んでいたわりに、スタッフもゲストも手際よく協力したおかげか、予定していた九時をさほど回らないうちに出発することができた。
 最後にもう一度忘れ物がないことを確認し、船を出す。
 浜がみるみる遠ざかっていく。
 梓が呟いた。
「あの島、名前、あるのかな……」
「名前? どうだろ」
 左之助も知らない。地元住民のジョンに訊ねると、「つけないだろう」という答えが返ってきた。
「そっか……」
 言う間にも島の姿は小さくなっている。
 青い空と青い海と白い雲。そこに浮かぶ小さな島。絵本の中の一頁のような情景は、到着したときの眺めと変わらない。
 だが今の彼らには何かが決定的にちがって見えた。
 来たときには、ガイドブックかツアーパンフレットのイメージ写真のようにきれいな風景に見えた。
 しかし、そこで椰子の木登り競争やしじみ狩りや屋根葺きやバーベキューやキャンプファイヤーをした二十時間ほどの時間が、島を少し特別なものに変えた。
 他の同じように美しい同じような無人島とはちがう、代替のきかないその島・・・にした。
 高速艇の足は速い。
 野生児たちが競った椰子の木も、ハンモックを張っていた樹も、もうどれだか見分けはつかない。さっきまで何となく形の判別できたバンガローも判らなくなった。
 やがて名もない島は、島影になり、水平線に沈み、そして視界から消えていった。
「楽しかったね……」
「ね」
「パイナップル育つといいな」
「ははは」
「来れてよかった」
「うん……」
「……」
「……」
「さて……っと。ほんじゃ一本目、用意しますか!」
 左之助がさばっとした調子で言った。
 しんみり落ちた沈黙が払われ、元気の戻った顔が答える。
「はーい!」
「ういーす」
 来て、帰る。出会って、別れる。
 それが旅行というものだ。
 とうに見えなくなった昨日の島への最後の一瞥を区切りに、ほの寂しい静かな情感を朝のスタートモードに切り替える。
「えー、じゃあ今日の一本目は……」
 左之助のブリーフィングが始まった。

 朝の一本目をアンツ環礁で潜った後、本格的な帰島コースに入った。
 行きと同じ、あの壮絶に過酷なホッピング航路を乗り越え、昼すぎにはポナペ島の海域に帰ってきていた。
 同じ日に二回以上のダイビングをする場合、一定時間の水面休息(インターバル)を取らなければならない。水中で吸う圧縮空気による残留窒素の溜まりすぎを防ぎ、身体の負荷を少なく抑えるためである。どの程度のインターバルが必要かは、潜水時間や水深にもよるが、おおむね「一時間以上」というのが一般的な目安だ。移動に二時間弱を要したので、インターバルは十分に取れている。そのまま続きに二本目をパーランで潜る。島の南東にあるリーフ沿いのポイントである。
「最後に注意」
 ブリーフィングの最後に左之助が声を改めた。
 今から潜るダイブサイトについて、地形、海況、コースどり、生物などのおおまかな紹介と手順の説明が済んだ後だった。
「水深。しっかり自己管理してください。特にあやめちゃんとすずめちゃん。それから剣心」
 表情が少し厳しい。
「三人とも判ってるとは思うけど、とにかく透明度が半端じゃねえから。三十、四十、平気で明るいし、アンツとかと一緒だと思わない。感覚に頼らない。大丈夫と思わない。まめに深度計見て、水深把握。オケー?」
 シビアになるのには、理由があった。
 着いて早々にアンツ遠征に出かけた小国姉妹と剣心にとって、「ポナペの海」は今回これが初めてなのだ。
 海の中は暗い。
 大気が光線をほぼ抵抗なく通過させるのに対して、水ははるかに光を遮るからだ。
 そしてそれに大きく影響するのが水の透明度である。透明度は、厳密には直径30センチメートルの白い円板を沈めて測定するが、要するに「どこまで見通せるか」の度合いを示すものだ。度合いだから、「高い、低い」で示される。「いい、悪い」ともいう。
 透明度が悪ければ、潜降するとすぐに光量が落ちて暗くなり、逆によければ、光はより深くまで、より多く届く。
 濁った沼と、きれいなプール。そう考えれば判りやすい。
 それで言うと、ポナペはきれいなプールだった。それもずば抜けてクリアなプールだ。
 アンツも標準以上にきれいではあったのだが、いかんせんポナペの透明度は段違いに突き抜けている。
 そもそもミクロネシア自体が世界有数の透明度を誇る海域で、ポナペのおとなりに位置するチュークやサイパン近海のロタ島などは、六十メートル、七十メートル、条件によっては百メートルというような驚異的な数字を持つ、世界で最も抜けた海である。沖縄あたりでは透明度三十メートルが「とてもよい」と言われ、本州近海では二十メートルで御の字とされることを思えば、驚異的どころではない美しさだ。
 それだけの透明度ともなれば、水深六十メートル、七十メートルの深海にも、光は十分にある。
 明るい。とても・・・明るい。
 その明るさが、ダイバーの感覚を狂わせる。
 ベテランであればあるほど、深くなるほどに増す水圧と減る光量を、理屈ではなく感覚で覚えている。
 この感じならこのくらい。
 だが、人間の感覚ほど不確かなものはない。
 明るさに惑わされて、気づかない間に危険深度に至ってしまう。
 計器は間違わない。間違うのは人間である。計器が間違って見えるときは、自分が間違っている。
 ダイビングのライセンス講習でも、最初に習う。
 左之助が警告したのは、そのことだった。

 もうひとつ、これから潜るのがドロップオフだという事情があった。
 棚のトップは水深八から十五メートルのなだらかな傾斜だが、その傾斜の先で一気に七十メートルまで落ちる。海中の断崖絶壁なのだ。
 水中で、浮きも沈みもしない浮力バランスの取れた状態を中性浮力という。他の多くの運動技術と同じでいったんマスターしてしまえば深く意識せずとも身体で自然にバランスはとれる。高スキルのメンバーが揃ったチームだったから、今さら中性浮力がどうこうというような初歩的な技量の問題は、もちろんない。しかし、どんなベテランにも絶対の安心などということはありえないのが、海という自然の胸を借りたスポーツの摂理でもある。

「はい」
「了解!」
 あやめとすずめが歯切れよく真剣に受け答える。
 普段は冗談を言ってふざけ合っていてもこういう場面ではきちんと切り替えができるというのは、これは彼女たちの意識の高さを示している。
 なるほど、と思いつつ、剣心も真面目に頷いて、OKのサインをきっちり作って見せた。
 左之助が剣心をじっと見ている。何も言わないが、彼の言いたいことが剣心には手に取るようにわかった。
 かつて海難事故で重度の減圧症にかかって再圧チャンバーでの治療を経験している剣心の身体を、左之助は時に過度とも思えるほど気遣う。
 そんなことを言っていてはダイビングなどできない。とも思うが、自分のことでないからこそ、自分にはどうしようもないからこそ、余計に心配で不安で気が揉める、そのどうしようもなさも、判らないではない。
 もう一度、OKサインを出した。
 今度は両腕で頭上に大きな円を作る。「超オッケー!」のサインだ。ついでに膝を左右に開いて「足オッケー(どんとこい!)」をサービスすると、真っ黒に灼けた青年の顔に日射しの似合う笑顔が弾けた。
――そりゃ女の子なんかコロッといくよな。
 それだけがややむさ苦しいひげ面で片目をつぶって見せる左之助に、少し複雑な思いがした。

「二本目だし、浅め短めで。最大水深二十五メートル、最大潜水時間五十分。残圧五十で自己申告。俺か、リッチーに。いつもと一緒、イチ、ニノ、サンで入って水中集合。OK?」
 すでに全員が船べりに腰かけ、レギュレーターを咥えて、ゴーサインを待つのみの状態である。即座に五人分のオーケーサインが返り、号令と共に一斉にバックロールでエントリーした。
 水中に入ると、体勢を整えながらゆっくりと潜降する。
 全員問題なく水中で集合したのを確認して遊泳に移った。
 なだらかな棚をぐるっと回り込みながらドロップオフに向かって流す。そこからは潮流にのってドリフトダイブの予定だった。
 ところが、ドロップオフに出ると、いつも強いはずの流れがこの日はなかった。
 潮のあたるダイナミックな地形で、潮に乗ってやってくる回遊魚が狙いだった。流れがなければ必然的に魚は少ない。エントリー後とエギジット前に周回した棚の上にかろうじてハゼやスズメダイの類が多少いたくらいで、見られた魚といえばそれで全てだった。魚影が濃いはずの南洋のポイントでは「魚がいた」うちに入らない。しかものる潮がないのだから、ドリフトにもならない。何もいない海をただただ泳ぎ続けるだけの単調なダイビングで、一般的には完全な「はずれ」と言われるのは間違いなかっただろう。
 だが剣心にはちがった。
 海が青かったのだ。
 海は、これ以上ないほどに青く青く、ただひたすらに青く深く、澄んでいた。
 サファイアを溶かし流したようなウルトラマリン(紺青色)。目の覚める青さ。何物にも代えがたいミクロネシアンブルーだ。
 七十メートルまで落ち込んで切り立った崖の先には、見晴るかす限りの水がある。眼下にはかすかに海底が見える。現在水深は二十メートルだから、五十メートルは見えていることになる。
 全身が包まれ、呑みこまれていく。同一化するわけではない。吸収されるわけではない。海は海。自分は自分。圧倒的に小さい砂粒のまま、海の体内に取り込まれ、一部になる。際限なく深い完璧な青の世界の一部になる。言葉にならない感覚だ。
 そうして何の支えもなく宙に浮いたような状態で海中に浮かんでいると、やがて周囲にあるのが水なのか空気なのか真空なのかが判らなくなっていくような錯覚に陥る。そうではないと勿論わかってはいる。水中にいると理解はしているし、空や宇宙であるはずがないし、身体は全方位からの水圧を感じ続けているし、真空に人間がそんな姿でいられはしない。そもそも空も宇宙も行ったことはなく、知らないものに「似ている」というのもおかしな話なのだが、だが「きっと同じだ」という思いは、潜れば潜るほど強くなる。
 どれだけ潜っても、何度潜っても、いつ見ても、そこがそういう海だと知って潜っていても、それでも、見るたび、触れるたび、感じるたびに、戦慄にも似た深い震えがしみじみと来る。ああ、これが好きだったのだと、あらためて思う。どこまでも広い巨大な海を全身で感じて、飽くことはない。
 見回し、見上げ、見下ろし、また見渡す。青く澄んだ海の天井には、光のカーテンが揺れている。神々しく穏やかな光が降り注いでいる。
 大きく息を吸って、吐く。
 ジューー………ボボボボボ……。
 ジューー………ボボボボゴッ……。
 美しくても、ひとは泣くのだ。

 しんがりの左之助が船にあがりながら言った。
「いやー、見事にはずれた。新井さんラストダイブだったのに悪いことしたなー」
「あ、いえいえ。そんなの全然。ていうか左之さんのせいとかってことじゃないんだし、そんなの」
「そうそう。こればっかりは入ってみないとわからないし」
 夫婦はそう言って手と首をぶんぶんと振った。
「でもほんとここ流れたら凄そう」
 あやめもそう言った。
 つまり彼、彼女らには、今のダイビングは「はずれ」だったらしいと剣心は思った。そうやって懸命にフォローしているということ自体がそれを語っていた。

 ダイバーが訪れる場所は、ダイビングポイント、あるいはダイブサイトと呼ばれ、その場所は文字通り「点」の精度で特定されている。広い広い海の任意の場所をやみくもに潜るわけではない。水中で辿るコースも概ね決まっている。ダイビングポイントとして指定された場所には、目印のブイが固定されていることも多く、その場合やってきたダイビングボートは原則そのブイを基準にダイバーを落とす。ブイがなくとも、まずは陸との位置関係や緯度経度でおおまかな位置がわかる。そして水底の地形、棚の形状、「根」と呼ばれる隆起や岩。視認と探知機で現在地はポイントされる。ダイブサイトの水中地形を描いた海中地図もある。多くの場所では潮の流れも規則的だ。
 だが相手は自然だ。そこまで要素が揃っていても、わずかな条件が違うだけで、同じポイントとは思えないほどに様相は変わる。しかも一回の潜水時間は五十分程度で、さらにダイバーも生物もお互いが場所を移動しているのだから、その日そのタイミングで何が来るか、または来ないか、あとは海次第、運次第。だから「あたり」「はずれ」「ついてる」「ついてない」というような単語がよく使われる。巨大な自然を前に人間はあまりにも無知で無力だからだ。

 左之助が剣心の間近に来て、内緒話をするように顔を寄せた。
「気に入った?」
 疑問形だが訪ねている口調ではない。
 潜っている最中にも、浮上前の安全停止の間にも、何度も目があったのだから当然だ。
 それに自分が何を好むかを左之助は知っている。微笑が漏れた。
「敵わんな、まったく。大したものだよ」
「だろ」
 そう言う左之助の晴れ晴れとした表情はアンツの珊瑚を誇った時と同じだ。
 たったひとことだが、雄弁なひとことだった。
 ポナペの海を左之助がよく理解し、そしてどれだけ大切に思っているかが、そのひとことと誇らしげな表情に凝縮されていた。
 剣心は眩しそうに目を細めて笑みを返す。
 海のことだけを言ったのではなかったのだが、彼がそう取ったのなら、今はそれでいいと思った。


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