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2007/6/8

<7>

 予定外のイベントで白熱したおかげで、夕食の仕度を済ませておくほどの時間は当然ながらなくなった。炭をおこして石を埋めるだけはしておき、ダイブサイトの潮のいい時間帯を逃さないよう急いで出かけ、一本目に勝るとも劣らない充実した海を楽しんで、皆ご満悦で帰島した。
 さて、戻ればいよいよキャンプは山場である。
 こういうことではチームワークと適材適所がものをいう。
 ゲストたちも、貴重な水を惜しんで軽く海水の塩を落とすだけの身仕舞いを済ませると、ハードな移動と二本のダイビングの疲れもなさげに協力して仕事を始めた。
 小国姉妹には「屋根作り」という重大な任務に専念してもらい、ディナーの仕度は後の面々で引き受ける。
「じゃあC班の三人はこれ頼む」
 左之助はそう言うと、剣心と新井夫婦に三つのバケツを差し出した。
 二つはからっぽで、一つには野菜と肉が山盛りに入っている。
「海水で野菜と肉と洗ってきて。丸まま焼いて食うからしっかりめでよろしく。これ、水汲む用と洗ったの入れる用」
 と、からの二つをガラガラと振る。
「わかりました。でもお肉も洗うんですか? それは、あの……どの程度?」
 訊ねたのは新井の奥さんの梓である。それは剣心も引っかかったところの一つだったので、横でうんうんと頷いて加勢しつつ、指揮官を見上げた。
「ああ。いや、そういうんじゃなくて、海水で洗うと適度に塩味がつくからってことで。大丈夫、別に肉自体が不潔とかいうんじゃねえから」
 言われて梓が赤面した。
 日本では普通肉を水で洗いはしない。水で洗う必要のある肉というのは、つまり汚れやゴミや、もっと言えば寄生物がいるかもしれないような非衛生的なものなのか、という不安を梓の顔に見て取っての左之助の返事だったのだが、生真面目な彼女は自分の邪推が気まずかったようだ。
 だが、日常的に料理をしていなければ、肉を水で洗えという指示が示唆する意味には気づけない。料理に疎いらしい夫の青空には一連のやりとりはピンとこなかったらしく、たっぷり食材が入ったバケツを手に、「重っ」と言いながら波打ちぎわに向かって歩いていく。
「よし。食材班、発進!」
 剣心が言って、梓と一緒に後に続いた。

 三人が洗い終えた食材を持ち帰ってくると、調理の準備はすでに万端整っていた。
 湧水も濾過装置もない洋上の島では、真水は何よりの貴重品である。都会から来る旅行客ならともかく、それが日常の住人たちは、海に入ったからといっていちいちシャワーを浴びたりはしない。リッチーとジョン、そして左之助の三人は、ゲスト達が水を使ったり着替えたりしているうちから、先に準備を始めていたのだ。
 地面に掘られた大きな穴とその横に用意されたタロイモの葉を見て、剣心が目を輝かせた。
「あ! そうか、あれか! あれをするのか! うわ、すごい、俺これ初めて見る!」
「うしし。そうそう、アレなん。わかった?」
 南洋の伝統料理である石焼き料理をするのである。
 食材をバナナやタロイモの葉で包み、焼いた石で蒸し焼きにする。専用のカマドを使うこともあれば、ドラム缶に入れて地中に埋めることもある。今回のようにそのまま地中に埋めてもいい。サモア、タヒチ、トンガをはじめ、ポリネシアを中心に南太平洋で広く見られる伝統的な料理である。
 左之助と剣心が大きなタロイモの葉を手にはしゃいでいるのを見て、足りなくなった紐を取りにきていたすずめが駆け寄ってきた。
「なになに、どうしたの?何が始まるの? ていうかそれコロポックルみたいで超可愛いんだけど!」
 タロイモはサトイモ類の総称である。熱帯アジアが原産の根菜類で、その根はポナペを含む熱帯アジアなどで広く主食とされており、また、直径数十センチメートルにもなる巨大なしずく型の葉は、物を包んだり運んだり、食べ物をのせたり、今回のように調理に使ったり、また地面に敷いて敷物にしたり、傘がわりにしたりと、さまざまに活用される。そんな重宝な生活資材であるタロイモだが、日本などでは、その葉の南国の植物らしいインパクトのある外観から観葉植物として好まれたりもしている。すずめが「コロポックルみたい」と言ったのは、その蓮の葉にも似た平たく大きな葉をかついだ剣心たちの姿が、童話や絵本に描かれる“蕗の下の人”コロポックルを連想させたからだ。
 たしかに剣心は日本人標準の女の子と比べてもほっそりと小さく、肌は抜けるように白く、ただでも神秘的な顔立ちをしているうえに、普段は束ねている熟れたパパイヤ色の髪も今は豊かにほどかれて潮風をはらみ、小さな丸い頬はりんご色に輝いている。年齢どころか性別さえも感じさせない中性的な雰囲気もあいまって、そうして童話的な葉をかかげて跳び遊んでいる姿は、まったく絵本の中の妖精がひょこんと抜け出してきたようだった。一方左之助も、背こそ高いしヒゲもむさくるしいが、こんがり焼けたチョコレート色の手足は若木のようにしなやかで、身ごなしは軽い。大きな葉で顔を半分隠し、歯を白くむき出して、さも楽しげに笑っていると、罪のない悪戯(わるさ)を思いついたいたずら好きの精霊を思わせる無邪気さだった。もっとも、北の大地の伝説に棲む内気な小人たちは、水着姿で雪肌をさらしたりも、やんちゃに砂を蹴り上げて飛び回ったりもしないだろうから、むしろ沖縄の樹霊キジムナーの方が二人にはお似合いだったかもしれない。
「なあに、どうしたの? なんかすっごい楽しそうなんだけど」
 なかなか戻ってこない妹の様子を見に来たあやめも参戦して、さらにきゃいきゃいと騒ぎは続き、冷静な青空が「あのう……僕、そろそろ料理の方もしてみてもいいような気もするんですけど……」と、やや控え目すぎる提案をしていなかったら、ディナーが仕上がるのが相当遅くなっていたのは間違いなかっただろう。
 我に返った一同は慌てて本題に戻った。
 といっても、シンプルな調理方法だから、するべきこともシンプルだ。
 食材を葉で包む。穴の底にタロイモの葉を敷き、包んだ食材を並べる。上からさらにタロイモの葉をかぶせてしっかり覆う。その上に、二本目を潜りに行く前から熱しておいた焼け石をぎっしり乗せ、土をかぶせる。
 以上だ。
 後は時間に任せておけばいい。
 念のためにと小石で目印の枠を作り終えて、左之助が小気味よい音を立てて手を打った。
「よーし、準備完了。これでとりあえず晩メシは確保と。屋根の方はどんな感じ?」
「こっちも順調。あとひと息ってところ」
「葉が太いからかな、思ったより早く進んでるの」
「おおお」と、歓声と拍手が起きる。
「じゃあ完成したらみんなで屋根葺きだな」

 しばらくは自由時間になった。
 ジョンとリッチーはディナーに華を添えるべく釣りに出かけた。
 左之助は明日の朝食用にシジミを採りに行く。
 剣心は小国姉妹を手伝うことにした。
 新井夫婦も休んでいていいと言われたにもかかわらずシジミチームに立候補したというのに、いくらひどく疲れた気がするからといって、ひとり呑気に休憩するわけにもいかない。一見インドア派にも見える新井夫婦だが、そう見えて二人とも状況に適応してしっかり楽しんでいる。そしてそれ以上に適応かつ満喫しているのが小国姉妹だった。屋根作りチームに参加してみれば手伝うどころではない。剣心にできることといえば、息の合ったリズムで魔法のように椰子の葉という線を面に編み上げていく楽しげな姉妹を感心しながら見守ること程度だった。
 さて、左之助たちは潮干狩りチームである。貝は面白いように採れた。あんまりたくさん採れてしまったので、適度に大きい貝を選り残し、小さな多すぎる貝と不気味なほどに大きな物体を砂浜に戻すことになったほどだった。
 そんなこんなで、左之助たちが漁を終えて戻ってきた時には、小国姉妹の力作椰子の葉屋根は立派に完成して、屋根葺き職人を待つのみとなっていた。
「うーわうわうわ、すっげえー! 二人マジすげえじゃんコレ。仕事でやっていけるって。……ってそれは別にしたくねえか」
 左之助も本気で感心している。
「ともあれよくやった。えらい。よーし、じゃあ、ご褒美にアイスだ! どう?食う?」
「アイス? うそ、ほんとに?」
「よく溶けずに持って来れたね」
「凍らせてきましたから」
「?」
 普通、アイスクリームは凍っているものだ。それを「凍らせてきた」とは、これ如何に。
 解しかねる面々に左之助が説明したところによると、クーラーボックスに入れる保冷氷を作るときに、あらかじめビニールに包んだカップ入りアイスクリームを水の中央に配しておき、アイス入りの氷塊を作っておいたのだという。
 もちろん皆よろこんで食べる。
 新井夫婦にも配ったところで左之助が訊ねた。
「そんでヤツは? 剣心は?」
 さっきから剣心の姿がないのが気になっていた。
 屋根チームにいたはずだ。
「ああ、しんどそうだったから、休んでればって言って。どこかそのへんで寝てるんじゃないかな?」
 すずめはそう言ったが、しかし、バンガローの中にも裏にも、厨房周辺にもビーチにも見当たらない。念のため係留してあるボートも見てみたが、姿はない。
 小さな無人島とはいえ、奥の林には何がいるかも、またあるかも判らないというのに。
 青空がそれに気づいたのは、左之助がそんな不安を多少ならず覚えはじめた頃だった。
「左之さん? あのう、僕、もしかしたらあれってそうなんじゃって思うんだけど……」
 どうもこの人の控え目さは程度が著しい。発電機の修理を申し出たときといい、料理の進行を促したときといい、態度ばかりか言い回しまでが、過剰に控え目というか、もはや「緊迫感がない」に近い。それにしても判らないのは続いた言葉の意味だった。
「けど、あれってなに? 元はリッチー専用なのかな? たしかに気持ちよさそうだけど……でもさすがにちょっと危ないような気もしなくはないんですけど……それは大丈夫なのかな……」
「??」
 その疑問は、青空が指差している先を見上げるとすぐに解決した。
 普通、人を探すときにそんなところは見ないから、それまで誰もそれに気づかなかったのも無理はない。どこを探しても剣心が見つからなかったわけだ。
 判らないのは、なぜそんなところにそんなものがあるのか、だ。
 ハンモックだ。
 それもただのハンモックではない。
 大きな椰子の木を半分以上も登った頭上はるかの高さに張り渡されたサーカス裸足のエキサイティングなハンモックだ。左之助にはどう頑張っても到達できないほどの高さの宙空に吊られているところの。そして、とりたてて高所恐怖症でなくとも、通常的な感覚の持ち主なら、まず身がすくんで当然の高さの。
 「さすがにちょっと危ないような気もしなくはない」どころではない。下は砂浜とはいえ、万一落ちでもしたら、よくて打撲、捻挫。骨が折れても、もっとひどいことになっても、何も不思議はない。
 そこに、見紛いようもない、白くて赤い小動物がいともおくつろぎで丸まってお昼寝中だったのだ。
「おいおいおい。なんでそんなことになってんだよ」
 この日二度目のこの科白だったが、今度は字面に相応しい渋面の左之助である。
「くおらーー! バカ剣心! 起きんかボケナスー! とっとと降りて来おーーーい!」
「……………」
 真下の大声に、一応、目覚めはしたらしい。もぞもぞと身動きした身体がハンモックを揺らしている。
 が、起きるつもりも降りてくるつもりもないのは、「うるさ」と言い捨てるや、またくるりと丸くなって動かなくなってしまったのを見れば一目瞭然だ。
 切れ切れに聞こえてきた声を聞き取って、左之助の表情が変わった。
「あー気持ちいいー。どんくさいだれかさん可哀想ー」
「てめ、この……うおーりゃーーー!!」
「ええーーっ」
「ちょっとウソでしょ左之さん何してんのよ!」
「あの、それはちょっと俺も危ないと思うんですけど……」
「さ、左之さん……!」
「ウキーーッ!」
「ウキーじゃないでしょ! 左之さんやめてってば!」
 何を血迷ったか、ハンモックの支柱になっている片方の椰子の木をゆっさゆっさと揺すりだした左之助を、ゲスト四人が必死になって止めようとする。左之助はそれを振り払って椰子の木に突っかかる。
「緋村さーん! 大丈夫ですかあー?!」
「っていうか信じらんないあの人。普通に寝てるし」
 すずめが呆れたのも無理はない。ハンモックはぶらんこのようにゆらゆらと大きく揺れ始めて、見ている方がハラハラしているというのに、当の剣心は、午後の陽射しがさんさんと降り注ぐ中、まるでゆりかごの中の赤ん坊のように心地よさそうにしているのだ。挙げ句に、気の抜けた声で「殿中でござるー。殿中でござるー」などと呟いたものだから、いくら事態はまさに“殿ご乱心”だったとはいえ、火に油が注がれたのは言うまでもない。
 そして狼狽するゲスト四人を呆れさせたのは、続く怒声で明らかになった、左之助が怒っている本当の理由だった。
 「危ないから」でも、「所在を告げずに単独行動をしたから」でもなかったのだ。
「斬り捨ててくれるー! ネット返せーー! オレのビーチバレーのネットー!!」
「………」
「………」
「……なんていうか」
「うん……」
「ね……」
 四人の一般客は何とも言えない顔を見合わせる。
 そして一呼吸の後、一斉に噴き出した。
「ぶはははは!」
「なんか分かんないけどサイコー!」
「いいコンビですねえ」
「楽しいー」
「ていうか面白すぎるよあの二人」
 笑い転げる四人の声と、「俺のネットがー」と未練がましい左之助の嘆息、それに波の音と風の渡りと鳥の鳴き声とが、上空でまどろむ剣心にはやさしい子守歌である。

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わらくる<7> 2007/6/8


チビタロ

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