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2007/5/30

<6>

 ほどなく小さくて綺麗な島が水平線からせりあがってきた。目に沁みるような真っ白い砂浜が控え目にあり、いく種類かの熱帯性の樹木があり、白い鳥影がちらちらと光っている。青く輝く空と綿菓子の雲を背負って椰子の木が海にむかって幹をのばす砂浜の様子は、誰かの想像から生まれた存在のように、描かれる“南の島”そのものだった。
 だが、遠目には楽園だった小島も、舟を寄せてみれば台風の痕がなまなましい。
「うーわ、やっぱここもかなりな被害だな」
 ミクロネシアのこのあたりはちょうど台風が発生する“台風のふるさと”にあたる。できて間もない赤ちゃん台風は、巨大化して強い勢力で日本に到達するものに比べて大きさも威力も小さく、したがってポナペでは台風の被害も比較的少ない。
 が、数日前に通過した台風は、できはじめから勢力の激しい暴れん坊台風だった。ポナペ島でも、死者こそなかったものの、船舶が打ちつけられて損壊したり、家屋や建物が破損したり、飛んできた物が人や車に当たるなどして、少なくない被害が出た。左之助の話によると、海中も例外ではなく、一部のダイビングポイントは波の影響で随分傷んでいるのだという。
 ゲストがビスケットとフルーツで軽食をとっている間に左之助たちは手分けして島の被害状況を見て回るというので、剣心もそちらについていくことにした。手にはちゃっかり確保したひとつかみのビスケットと幾本かのバナナがある。
「お、バナナ。ナイスバナナ。おれもバナナくれー」
「人間の尊厳を捨てて『バナナくださいウキッ』って言ったらやってもいい」
「バナナくださいウキキッ」
「言うのか。しかもすぐか。人間安っ」
「別に。言うくらいタダ。ダメージナッシング。バナナよこせバナナ。ウキーッ」
 寝泊まりに使う予定のバンガローを点検しながらの子どもじみたやりとりを風がビーチでくつろぐゲストたちのところまで運んで笑いを誘っているが、当人たちはそんなこととは露知らずである。
「雨戸がいっこ壊れてっけど、中は平気っぽい……かな」
「へえー、結構広い。すごい、ちゃんとしてるじゃないか」
 と、冷静な視察も続けていく。
「あれ? あそこは? おい左之、あれ大丈夫か?」
 剣心が頭上を指した。
「あー。大丈夫くねえかも。つかどう見てもヤバげじゃん?」
「ここら、スコールとか来るのか?」
「うーん、結構逆に夜とか」
「なに、夜。いかんな」
「あーうー…むー。なんか考えねえとな。ビニールとかだとむしろ風で飛んで危ねえし、どうすっかなー」

 ひと通り調べ終えると、被害は思ったより深刻だった。

一、バンガローの屋根に穴 ←大
一、ビーチバレーのネット大破
一、発電機故障??
「ていうかこの際ビーチバレーのネットはどうでもいいんじゃ」
 左之助が書き出した被害リストを見た全員の反応である。
「馬っ鹿、てめえらなに言ってんだよ。一番重要じゃんか。メシとアフターダイブのお楽しみは」
「でもだからってその三つが並列ってどうなの左之さん」
「ねえ、それよりこの発電機っていうのは? これ大変なんじゃないの? ハテナになってるけど……」
「いやそれが実はあんまり。発電機っつっても“とりあえずある”ってだけで、別に電気とか使うとこねえから。一応貯水タンクの上にいっこだけ白熱灯があんだけど、それが点かねえくらいで」
 で、要するにその電灯が点かないだけであるため、発電機本体の故障なのか、配線の不調なのか、あるいは単に電球が切れているだけなのかがわからないのだという。
「なんだ、それでハテナで三つ目なんだ」
「そゆこと。だからオレ的にはむしろビーチバレーのネットが真っぷたつってことの方が深刻」
「それはもういいから」
「……あの、バレー、どうしてもしたいなら、上のロープだけ張ってもやれることないです?」
「お、あ、それナイス! 新井の奥さん頭いい!」
「あのう……あと、発電機、もしあれだったらですけど……僕、見てみてもいいですか?」
「あれ。新井さん、そういうの得意?」
「ていうか一応仕事っていうか、そんな感じなもんで……」
「え、マジ? ラッキー!」
 勤め先が府庁だというのでてっきり事務方かと思っていたら、電気設備の技術職にあるスペシャリストだったらしい。
「すごい。手に職系だ。頼もしい」
「オオーワンダホー」
 と言ったのは、剣心や小国姉妹の通訳でおおよその話を追っていたヤップ人ガイドのリッチーだ。両腕を広げた盛大なゼスチャーで新井さんを称えている。
 すずめが考える仕草で首を傾げて言った。
「ねえねえ左之さん。おっきな椰子の葉とか手に入らないかなあ? できたらあんまり傷んでない、形のきれいなやつ」
「でかい椰子の葉?」
 本来「椰子」はヤシ科植物を総称していうもので、ひとくちに椰子と言っても種類はさまざまなのだが、一般に「椰子の木」と言えばココヤシの木をさす。ひょうたん島に生えている牧歌的なスタイルのあれである。
 この島に生えているのも、そのココヤシだった。幹は太く長く、葉は木のてっぺんで花火のように茂っている。葉が欲しいと言って手の届く高さでは到底ない。台風の直後でもあり、落ちた葉なら無論そこここにあるが、「大きくて」「あまり傷んでいない」「形のきれいな」葉となると、条件は厳しい。
「うーん……どうかな、微妙。つか、なんで?」
「んー。編んだら屋根になるかなーと思って」
「屋根?」
「編む??」
「うん。ほら、カゴの要領で」
「……ああ!」
 例の剣心のキャリーケースになった、あやめのカゴである。
 椰子の葉を編んで作ったあのカゴは、大きな椰子の葉の中心にある軸をそのまま生かし、細長く平たい葉を糸に見立てて交叉させあい、筒型に編みあげたものだった。だから、筒にせず平たく編んでいけば、ちょうど軸を長辺とする三角屋根の形状が得られる。まさに切妻屋根の原型とも言えるその椰子の屋根をバンガローの屋根に被せて軸を棟に固定すれば、穴の開いた屋根の補強ができる。自重のある木の板や風をはらむシートに比べて、軽く風通しがよくかつ雨露のみを有効に遮る椰子の編み屋根は、南洋の島の気象条件にもってこいの建材でもある。ただしそのためにはバンガローの大きさに見合うほどの大きな椰子の葉が必要になる。――というわけだった。
「うわ、それすげえじゃん! そんなら椰子の葉くらいなんとかするする。な? えーと、リッチー?」
 身振り手振りを交えて話が済み、リッチーが拳で胸を叩いて力こぶを作って見せた。
「こいつ、ヤップ椰子の木登り選手権優勝経験者。任しとけってさ」
「おおおーー」
 妙な団結感にはしゃぎつつ、図らずも揃った拍手で話はまとまった。

 そうと決まれば、準備は早いにこしたことはない。早速手分けをして、できるところから作業にかかることにした。まずは二手に分かれて、新井夫婦と左之助が発電機、残りの面々が椰子の葉採取。その後で時間があれば夕食の仕込みをする。
 発電機班の仕事は早かった。
 新井さんのプロの目は、木の枝に引っかけて頭上やや上の高さになるよう巧みに吊られた電灯のコードの接続点にあった小さな不具合を見逃さず、電気の復旧作業はあっという間もなく完了した。
 早くなかったのは椰子の葉班の方だった。
 仕事そっちのけで椰子木登りレースに興じていたからである。
 その結果、発電機班が、「うおーい直ったぞー。新井さんすげえぞー」と大声で報告する左之助を先頭に、照れくさそうな技術士とその妻とが連れ立って椰子林のあるビーチに戻って来た頃になっても、椰子の葉採取は済んでいないどころかまだ始まってもいなかった。
「あ、左之さん、グッドタイミング」
 ギャラリー代表でそう言ったのは興奮顔のすずめだ。
「いま超いいところなんだよ。接戦接戦。一勝一敗一引き分けでね。二人ともすごいの!」
 何が。
 は、訊くまでもない。
 そんなものは見ればわかる。
 三度目の勝負を引き分けたリッチーと剣心がそれぞれの椰子の木から降りてくるところなのだ。ヤップ椰子の木登り選手権優勝経験者とサイパン育ちの強暴な野生児は二人とも戦意満々で、地面に降り立つやいなや、「次は勝つ」と大書した顔で、屈伸をしたり跳びはねたり腕を振り回したりしてコンディションを整え、第四戦に備え始めた。
「おいおいおい、なんでそんなことになってんだよ。主旨がちがうだろ主旨が」
 そう言う左之助の科白は、言葉だけならば冷静な指摘に聞こえなくもないものの、顔も声音も明らかに事態を面白がっている。いそいそと歩み寄ると、工具箱を放り出し、ビーチサンダルを脱ぎ飛ばして、
「うおー俺もやるー!まぜろー!」
 第三の椰子の木に取り付いた。

 結局それから三十分余りも盛り上がった結果――。
 アンツ無人島椰子の木登り選手権は、僅差でリッチーの優勝。次点が剣心。左之助は選外となった。
 スピード以前に、ライオンのように敏捷なリッチーや、子リスのようにすばしこい剣心に対して、えっちらおっちらと必死によじ登ってそれでも半分まで辿り着かない左之助は、手厳しい剣心に言わせれば「出場資格なし」、寛大なギャラリーの言葉を借りても「努力賞または参加賞」だったからである。


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わらくる<6> 2007/05/30





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