ほどなく小さくて綺麗な島が水平線からせりあがってきた。目に沁みるような真っ白い砂浜が控え目にあり、いく種類かの熱帯性の樹木があり、白い鳥影がちらちらと光っている。青く輝く空と綿菓子の雲を背負って椰子の木が海にむかって幹をのばす砂浜の様子は、誰かの想像から生まれた存在のように、描かれる“南の島”そのものだった。
だが、遠目には楽園だった小島も、舟を寄せてみれば台風の痕がなまなましい。
「うーわ、やっぱここもかなりな被害だな」
ミクロネシアのこのあたりはちょうど台風が発生する“台風のふるさと”にあたる。できて間もない赤ちゃん台風は、巨大化して強い勢力で日本に到達するものに比べて大きさも威力も小さく、したがってポナペでは台風の被害も比較的少ない。
が、数日前に通過した台風は、できはじめから勢力の激しい暴れん坊台風だった。ポナペ島でも、死者こそなかったものの、船舶が打ちつけられて損壊したり、家屋や建物が破損したり、飛んできた物が人や車に当たるなどして、少なくない被害が出た。左之助の話によると、海中も例外ではなく、一部のダイビングポイントは波の影響で随分傷んでいるのだという。
ゲストがビスケットとフルーツで軽食をとっている間に左之助たちは手分けして島の被害状況を見て回るというので、剣心もそちらについていくことにした。手にはちゃっかり確保したひとつかみのビスケットと幾本かのバナナがある。
「お、バナナ。ナイスバナナ。おれもバナナくれー」
「人間の尊厳を捨てて『バナナくださいウキッ』って言ったらやってもいい」
「バナナくださいウキキッ」
「言うのか。しかもすぐか。人間安っ」
「別に。言うくらいタダ。ダメージナッシング。バナナよこせバナナ。ウキーッ」
寝泊まりに使う予定のバンガローを点検しながらの子どもじみたやりとりを風がビーチでくつろぐゲストたちのところまで運んで笑いを誘っているが、当人たちはそんなこととは露知らずである。
「雨戸がいっこ壊れてっけど、中は平気っぽい……かな」
「へえー、結構広い。すごい、ちゃんとしてるじゃないか」
と、冷静な視察も続けていく。
「あれ? あそこは? おい左之、あれ大丈夫か?」
剣心が頭上を指した。
「あー。大丈夫くねえかも。つかどう見てもヤバげじゃん?」
「ここら、スコールとか来るのか?」
「うーん、結構逆に夜とか」
「なに、夜。いかんな」
「あーうー…むー。なんか考えねえとな。ビニールとかだとむしろ風で飛んで危ねえし、どうすっかなー」
ひと通り調べ終えると、被害は思ったより深刻だった。
一、バンガローの屋根に穴 ←大「ていうかこの際ビーチバレーのネットはどうでもいいんじゃ」
一、ビーチバレーのネット大破
一、発電機故障??
そうと決まれば、準備は早いにこしたことはない。早速手分けをして、できるところから作業にかかることにした。まずは二手に分かれて、新井夫婦と左之助が発電機、残りの面々が椰子の葉採取。その後で時間があれば夕食の仕込みをする。
発電機班の仕事は早かった。
新井さんのプロの目は、木の枝に引っかけて頭上やや上の高さになるよう巧みに吊られた電灯のコードの接続点にあった小さな不具合を見逃さず、電気の復旧作業はあっという間もなく完了した。
早くなかったのは椰子の葉班の方だった。
仕事そっちのけで椰子木登りレースに興じていたからである。
その結果、発電機班が、「うおーい直ったぞー。新井さんすげえぞー」と大声で報告する左之助を先頭に、照れくさそうな技術士とその妻とが連れ立って椰子林のあるビーチに戻って来た頃になっても、椰子の葉採取は済んでいないどころかまだ始まってもいなかった。
「あ、左之さん、グッドタイミング」
ギャラリー代表でそう言ったのは興奮顔のすずめだ。
「いま超いいところなんだよ。接戦接戦。一勝一敗一引き分けでね。二人ともすごいの!」
何が。
は、訊くまでもない。
そんなものは見ればわかる。
三度目の勝負を引き分けたリッチーと剣心がそれぞれの椰子の木から降りてくるところなのだ。ヤップ椰子の木登り選手権優勝経験者とサイパン育ちの強暴な野生児は二人とも戦意満々で、地面に降り立つやいなや、「次は勝つ」と大書した顔で、屈伸をしたり跳びはねたり腕を振り回したりしてコンディションを整え、第四戦に備え始めた。
「おいおいおい、なんでそんなことになってんだよ。主旨がちがうだろ主旨が」
そう言う左之助の科白は、言葉だけならば冷静な指摘に聞こえなくもないものの、顔も声音も明らかに事態を面白がっている。いそいそと歩み寄ると、工具箱を放り出し、ビーチサンダルを脱ぎ飛ばして、
「うおー俺もやるー!まぜろー!」
第三の椰子の木に取り付いた。
結局それから三十分余りも盛り上がった結果――。
アンツ無人島椰子の木登り選手権は、僅差でリッチーの優勝。次点が剣心。左之助は選外となった。
スピード以前に、ライオンのように敏捷なリッチーや、子リスのようにすばしこい剣心に対して、えっちらおっちらと必死によじ登ってそれでも半分まで辿り着かない左之助は、手厳しい剣心に言わせれば「出場資格なし」、寛大なギャラリーの言葉を借りても「努力賞または参加賞」だったからである。