左之助が警告した通り、航路はハードだった。
小型ボートは「揺れる」というよりもほとんど跳びはねるようにして外洋の波の上を突っ切った。荷物はロープでしっかりと固定されていたが人間はそうではない。皆、必死だった。
「疲れたー!」
「これってシパダンのスピードボートよりひどくない?」
「ていうかジェットスキー? ていうかジェットコースター?」
「おしりが痛い……」
などと言い合えるようになったのは、アンツのリーフ内に入ってボートがスピードを落とした後になってからだった。
壮絶なホッピングの渦中では身体を支えるのが精一杯でとても口をきく余裕はなかったのだ。
左之助を含むスタッフ三名の様子も“やれやれ”である。
「いやはやお疲れー。でももうすぐポイント着くから、休憩がてらぼちぼち一本目の用意よろしく!」
まだヘロヘロながらも、「一本目」と聞いて、二組四人の気配が変わった。
手際よく準備をする彼らの挙動を観察しながら、剣心も器材をセッティングしていく。
悪くない。
出だしは最悪だったが、それ以外は全くもって悪くない。
天気は快晴。風は微風。周囲に他の船影はなく、見たところチームも良さそうだ。用意されていた器材は、新しくはないがきちんと手入れが行き届いていて状態はよく、何よりさすがに剣心の好みがよく押さえられている。
初めて潜る海。
しかもレアポイント。
期待が高まる。
同乗していたネイティブスタッフ二人のうち、一人はボートキャプテンで一人がダイビングガイドだった。
ボートを操縦している男はひょうたん顔でひょろりと背が高い。名前はジョン。檳椰(ビンロウ)の実をひっきりなしに噛んでいるため、口が赤く染まっている。これは大きなどんぐりほどの実を石灰と共にコショウ科のキンマの葉に包んで噛む天然の噛み煙草で、南洋やアジアでは一般的な習慣である。
ガイドはリッチーといい、身の丈は左之助と変わらないのだが、横幅が広く、また目鼻や手足の造作一つひとつが大きいためか全体にひとまわり巨大化させたような印象の大柄な男だった。顔も目も鼻も丸いせいで妙な愛嬌がある。
左之助はその大男、リッチーと並んで海をのぞきこんでいた。二人で話しながら、キャプテンのジョンに船を少し移動させるよう指示を出している。エントリーに良いよう、位置を調整しているのだ。
そうして海況を確認しながら、ガイド二人は自分たちの仕度もしていく。ネイティブの大男リッチーはウエットスーツを着ないスタイルらしい。ぶかぶかのトランクスタイプの水着の上にプリントの褪せたTシャツを被り、頭にペイズリー柄の赤いバンダナを巻いてウエイトベルトをつければ、準備は完了だった。
左之助もすでにウエットスーツを着終えている。酷使されて薄くなったスーツは太腿の後ろの一部が破れてべろんとぶら下がり、褐色の素肌がのぞいている。ブーツを履かないのは裸足に直接フィンを履くからだが、その足の裏がてのひら同様に他より白い。
体質か肌質が根本的に違うのだろうか。
と、足場の悪い船の上で積み上げられた荷物やタンクの上や器材の合間を器用に行き来する左之助の足取りを目で追いながら、剣心はふと思った。
自分などはサイパンで海の仕事をしていた時も、ああまで日本人離れした焼け方はしなかった――。
剣心の育ての親である比古清十郎は、若い頃、まだ器材も制度もろくろくなかった頃にダイビングを始めた。レジャースポーツとしての認知度は低く、潜水指導団体の組織化も手探りの時代だった。BCDもない。タンクにハーネスをつけただけの装備で地元の漁師と揉めたりもしながら海洋探検を切り開いてきた開拓者世代である。
比古は天性のダイビングセンスと超人的な身体能力で名を響かせ、多くの伝説を残した。いわく、サメと格闘して勝っただとか。いわく、猛毒のヒレを持つミノカサゴを素手でつかんだだとか。いわく、魚よりも早く泳げるだとか。マンタを追っている最中、勢い余ってマンタを追い抜いてしまっただとか。中にはクジラと遊んだなどというあんまりな風説もあった。クジラとヒトでは、それはちょっといくらなんでもスケールが違いすぎる。ジャック=マイヨールでもあるまいに、そこまでいくともはや都市伝説である。
そんな法外な噂がまことしやかに囁かれ続けたというのだから噂というのは怖ろしいが、しかし一方で、そこまで法外な噂がそうも生き続けていたのも、「もしかして彼なら」と思わせるものを比古が持っていたからでもあった。
そして、そんな周囲の雑音やしがらみを厭ってか、“生ける伝説”はある日ふらりとサイパンに移った。
剣心が本格的にダイビングを始めたのはそれからだ。中学生だった。ライセンスはジュニアである。血のつながりこそなかったが、剣心もまた抜きん出たダイビングセンスの持ち主だった。比古のような体力や剛力がない代わりに、優れた敏捷性とスピードを備えていた。そして、おそろしいほどの強運を持っていた。
読みが当たる。潮が当たる。魚も当たる。天候にも恵まれる。「海のえこ贔屓だ」と言う者もた。やっかみまじりに「いつかひっくり返るような請求書が来るに決まってる」などという者もいた。
そして数年後、それは訪れた。海は失敗を許さない。剣心が二十歳の時だった。大きな海難事故で、七人が死亡した。ただ一人生還した剣心は重度の減圧症で回復には半年を要した。
ダイビングをやめ、海を離れ、二度と潜らないつもりで日本で家政夫をして十年。
剣心は左之助に会った。
いくら熱心に誘われたとはいえ、どうして再び海に入ろうと思えたのだったか。その左之助が師事していたのがよりにもよって義父の比古清十郎だったのは一体なんの巡り合わせだったのか。積み重なった奇縁と偶然。もしかしたら世間ではそれを運命だとかなんだとか呼ぶのかもしれないが。
エンジンが止まった。
「ういーっす、一本目ここで潜るぞー。ブリーフィングー!」
左之助が皆を呼び集め、ダイビング前のブリーフィング(要点説明)を始める。
ダイブサイトとアンツの海についてのガイダンス。続いて注意事項とルールの説明。
そして最後に歯切れのよい号令がかかり、チーム全員が一斉にタンクを背負って船べりに座った。
イチ、ニノ、サンのカウントで揃ってバックロールエントリー。
圧倒的な質量の水が剣心に向かって押し寄せてきた。
丸二年ぶりの感覚を全身で受け止めながら、丸めていた身体を伸ばす。心地よい圧迫感と開放感。浮遊感。高揚。充足。体表の皮膚を挟んで、内側を自分の血液が、外側を海の水が、指先まで行き渡る。
二年のブランクは一瞬で埋まった。
見回すと、皆、落ち着いてそれぞれのコンディションを整えている。
その輪の両外に二人のガイド。赤いバンダナの大男、ブリーフィングでヤップ出身と紹介のあったリッチーは、今日はサブガイドとしてしんがりでサポートする。
目の合った左之助に指で輪を作ってOKサインを出すと、ほぼ同時で同じサインが返ってきた。サインを出す前から視界の中に確認し合ってはいたが、声が使えない水中では、目に見て明解な意思表示と相互確認は欠かせない。
全員の準備が揃えば、海中散歩のスタートである。
アンツの海は、前評判と期待をはるかに超えて見事だった。
とりどりの種類の珊瑚、珊瑚、また珊瑚が、水深二十メートルほどの浅い海底をびっしりと覆い尽くしている。
たしかにブリーフィングで左之助が明快に言い切ったように魚は少なかった。小さな熱帯魚たちが飾り付けを始めたばかりのクリスマスツリーのオーナメントの気まぐれさで泳いでいたり、もっと原始に近い海の生き物たちが珊瑚の隙間や岩場の奥に用心深く潜んでいたりする程度だ。バラクーダやギンガメアジの群れが洗濯機のような渦を描いたり、パウダーブルーのウメイロモドキやヨスジフエダイの黄色い隊列が軽快に行進していたりといった、ダイビング雑誌の誌面を飾るような壮観さはなく、カラフルな熱帯魚が乱舞する海のお花畑のようなパレットの彩りも見られない。
だが、全てを補ってなお代えがたい珊瑚の見事さだった。
人災と異常気象と生態系の変調による珊瑚礁の危機が世界中で叫ばれるようになって久しい。「インド洋の真珠」モルジブも、「東洋のガラパゴス」沖縄も、瀕死の珊瑚の白化現象を前に焦燥にかられている。
それが、こののどかな環礁では、珊瑚たちはなんと明るい生命力にあふれて海と太陽を謳歌していることか。
中でも剣心の目をとらえたのが、枝珊瑚の森だった。
サンゴは生物学的には動物であり、珊瑚礁とは石灰質の骨格をもつサンゴ虫の群体である。植物以上に沈黙の生物であるサンゴは、岩石か鉱物かと思えるほど黙して動かない。だが、物言わぬ静物でありながら、彼らはその海中で何よりもいきいきと生の歓びを謳っていた。
ヒトで言えば青春、季節で言えば初夏。
こんな海がまだ残っていた。
人にも鬼ヒトデにも台風にも温暖化にも破壊されていないこれほどの枝珊瑚の森が、首都たる本島からたった小一時間のところに、これほど手つかずに残っている。
剣心にはまたたく間の、五十分の潜水時間だった。
ボートに戻ると、皆の顔も海の元気さに感化されたように若返っていきいきしている。
最後に左之助が我が子を誇る親の晴れがましさであがってきたのを収容して、舟は目指す無人島に向けて走り始めた。
そこで一旦積み荷を降ろし、水面休息のインターバルを兼ねて軽い食事をとった後で身軽に2本目に向かうという効率のよい段取りである。