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 これは夢だ。
 そう思いながら夢を見ていた。
 夢とは思えないほど、生々しい夢だった。現実の量感がある。こんな夢があるものかと思う。だが、夢だ。それが証拠に、こんなことは現実に起こり得まい。だから、夢だ。そう思って、受け入れた。




 松の内も明けようという日の午後である。
 部屋の真ん中にこたつが置かれ、剣心と左之助が背を丸めて暖を取っていた。
 朝からの水仕事で凍えきった手足をこうしてこたつで暖めるのは、ここ最近の楽しみな日課になっている。
 いつもは弥彦も一緒だが、今日は使いに出て、いない。
「おろ」
 と、剣心が顔を上げた。
「この方があったけえだろ」
 まっすぐ向けられるまなざしは、時ならぬ夏の陽射しのようので、剣心には少し眩しい。左之助がさらに言った。
「させとけよ。甘やかしてえ年頃なんだ」
「………」
 しばらくして剣心がひとりごとのように言った。
「湯たんぽ左之」
「ん?」
「甘やかしついでにもうひとつ頼まれてくれぬか」
「なにを」
「弥彦だが、そろそろ潜る稽古を始めようかと思う」
「ああ、おう」
 ひと呼吸おいて、剣心が言った。
「主が手ほどきをしてやってほしい」
 左之助は考えるように瞑目した。


 剣心は洗濯屋だ。人の衣類を預かり洗う、洗濯引き受け業をしている。だが同時にさんた屋でもある。夜、人の家に忍び、子の夢に潜って、夢を届けるさんたくろーすなのだ。人には言えない裏の顔だが、左之助も弥彦もその仲間である。左之助は数年来の相棒で、ちょっとした間違いから三か月ほど出奔していたのが、先月半ばに戻ってきて、元の鞘におさまった。弥彦は秋から見習いをしている。あるとき人にさんたくろーすの資質を見出され、剣心に預けられた。その資質を見出した警部補の藤田五郎(斎藤一)、浦村警察署長、医師の高荷恵らも、後方支援を受け持つさんた屋仲間である。


 左之助が目を開いて剣心を見た。
「引き受けた以上、そんくらいの覚悟はしてたんじゃねえのか」
 言葉はきついが、口調はそうでもない。
 気心の知れた相棒どうしだ。左之助が本気で責めているわけではないことくらい、口を尖らせてわざと渋くこしらえた顔を見るまでもなく、わかっている。剣心は肩をすくめた。
「面目ない。そのつもりだったが、いざとなるとな」
 思っていた以上に、迷いが生じた。
 そこへ左之助が戻ったこともある。
「まあ俺はかまわねえけどよ。俺よりあいつが嫌かもしれねえぜ?」
「………」
 剣心は目を閉じた。
 凍えた足先に、じんわりじんわりと血が通っていくのを感じる。あたたかい。あたたかいというのはこんなに満ち足りたものだったのかと思う。
 ふと、昨夜の夢のことを思い出した。なにかひどく奇妙な夢を見たのだ。それは覚えている。だが記憶はおぼろげでつかみどころがない。なんだったろうか。ひどく奇妙な。そして忘れがたい。あの夢の感じは、あれは――。
 そこへ勢いよく弥彦が帰ってきて、静かだった部屋が一気に騒がしくなった。
「ふうーっ。寒っ寒っ寒っ!」
 弥彦の髪からハラハラと散る白いものが土間に落ちては溶けて消えるのが、剣心の目についた。
「おろ。雪でござるか」
「うん、そんな降りでもねえけどな」
「それは寒かったろう。ご苦労だったな。さ、ここであたたまるといい」
「おー、こたつこたつ」
 剣心が詰めて開けた場所に弥彦が入り、背を丸めた。
「ぬおー、あったけえー」
 仕上がった洗濯物を届けに得意先の赤べこへ使いに行っていたのだ。赤べこの若女将関原妙もさんた屋メンバーである。


 しばし三人で暖をとりつつ、剣心は思った。
 とはいえ甘えすぎだろうか。いいのだろうか。
 毎年冬になるとこうして手足をあたため合っていたし、今も夜は三人でひっつきあって寝て暖をとる。だが、何も知らなかった以前はともかく、剣心は左之助の気持ちを知ってしまった。
 あれはひと月ほど前のクリスマスの夜だった。二人で夢を届けにいったさんた屋の帰り道。ずっと好きだったと告白された。家を飛び出したのは、自分に拒否されたと思ったからだとも。また、戻ってきたのは、情は情、仕事は仕事、さんた屋稼業の相棒として力になりたい気持ちに掛け値はないからだとも。
 それに剣心は何とも答えていない。訊かれなかったからなどと、そんな寝言は言い訳にもなるまい。なるまいとはわかっているが、お前はどうなのだと訊かれないのをいいことに、応とも否とも告げないまま、それまでと同じように暮らしている。いや、同じように装っているだけかもしれないが。


 このこたつが当家にやってきたのは、つい数日前のことである。

 年明け早々、剣心らの住む長屋に大工が越してきた。
 元御家人だというが気のいい老人で、各戸の傷んだところを見つけては直してやって、住人達に喜ばれていた。
 この老人が、剣心達にはこのこたつを作ってくれたのだ。
 この時代、こたつの熱源は火鉢だ。それをやぐらで囲い、布団をかけて暖をとる。
 剣心、左之助、弥彦の三人がおしあいへしあいで暮らす手狭な一間には、かさばるやぐらを置く余裕がなかったから、洗濯屋という手足の冷える水仕事をしているにもかかわらず、小さな火鉢一つで我慢していた。
 だが、老人は創案の人だった。
「なら、これでどうだ」
 使わないときはパタパタパタリと折りたためる、組み立て式のこたつやぐらである。
「おお」
「すっげー!」
 かくして、すきま風が自由に往き来する風通しのよい男所帯に、殊勝なこたつがやってきたのだった。


 氷のようだった足もようやくあたたまってきた。今度は少々くすぐったい。大きな掌で撫でられている足の甲ばかりがやけにむずむずと意識される。
 いいのだろうか。
 剣心はぱちぱちとせわしなく瞬いて、弥彦に目を向けた。
「弥彦」
「?」
「そろそろ修行を始めようかと思うが、どうでござる」
「修行って……さんた屋のか? 潜るやつ!?」
「ああ」
「やりいっ!」
 無論、弥彦はずっとそれを心待ちにしていた。否やがあろうはずもない。が――。
「そこで相談なのだが、潜る手ほどきは左之助にしてもらおうかと思っている」
「剣心じゃねえのか」
 弥彦はずっと剣心の仕事ぶりを間近に見てきて、今では彼を大いに尊敬している。明らかに落胆した様子だ。
「教えるのは左之の方が向いている。拙者の夢は、あまり……あまり見て快いものではなかろうゆえ」
「? 剣心の……夢……?」
 弥彦の修業に剣心の夢がどう関係するのだろうか。
 「潜る手ほどき」がどういうものかを知らない弥彦が首をかしげる。
 剣心がふと顔をあげて言った。
「ああ、その前に、一度お主も一緒にくるといい」
「どこに?」
「仕事に」
 弥彦はまだ「さんた屋」の仕事を目の前で見たことがない。留守番か、よくて外での見張りだったからだ。
「実はひとつ署長殿から請け負った仕事があってな。相手は人でないから、家屋侵入が要らぬ。見学するにはよかろう」
 顔を輝かせて喜んだ弥彦は、剣心が言った言葉の不思議さにも、左之助が複雑な面もちで剣心を見つめていることにも、気づかなかった。




 数日前のことである。
「御免」
 浦村がこんな風にここを訪ねてくるのは仕事を依頼する時と相場が決まっている。果たして、その日もそうだった。
 剣心は自分で潜る相手を選ぶ数少ないさんたの一人だが、時にはこうして浦村を通して持ち込まれる世界サンタクロース評議会の仕事を受けることもある。
 凄腕のさんたである剣心が名指しされるくらいだから、浦村経由の仕事はいつだって難しい。しかしそれにしてもこんな依頼は初めてだった。話を聞き終わって、剣心が珍しく鸚鵡返しに訊き返したほどである。
「藤? 藤の木に、でござるか?」
「はい、藤の木に」
 あろうことか、木に潜ってほしいというのである。
 話はこうだ。
 さる薬品会社の敷地に、一本の藤の木がある。若い木だが、枝振りに品があり、社長の自慢だった。それが、三年前から花をつけなくなってしまった。庭師はもちろん、樹医にも見せたが、木はいたって健康。良好な状態であるという。ここ数年、敷地の奥側では古木の梅や柳の大樹が次々と枯れてしまい、おかげで、これは奥の研究棟で開発中の薬剤が流出したせいである、いや実はあそこで研究されているのは軍部密命の殺人薬品である、などという噂がまことしやかにささやかれ、反骨絵師に新聞にされたりもしていたのだが、この藤の木がある正面玄関のあたりは、草花も元気に茂っており、そんな被害は出ていない。
 庭師も樹医も、「稀にみる良木でございます」と口を揃えた。
 ますます惜しい。
 惜しむ社長の耳に、樹医がひとりごとのようにつぶやいた言葉が、残った。
「心の問題やもしれませぬ」


「それで、夢に潜ってほしいと?」
「はい。病んだ樹心が希望を取り戻せば、花も戻るのではないかと」
「………」
 だが、さんたは眠る人の夢に潜るのである。動物ならいざしらず、植物は一体眠るのだろうか。夢を見るのだろうか。もし百歩譲って本当に藤が心を病んでいるとして、夢を届けた程度でそれは快復するのだろうか。
 いや、それ以前に、特定の個人の依頼を受けて夢を届けるというのはいかがなものか。それも薬品会社の社長といえば、権力を公使する側の人間だ。強者が自分のために力を使うことを剣心はよく思わない。それは彼にとって公正性を欠く振る舞いである。そして公正こそ剣心の正義だった。
 浦村は一体どういうつもりでこんな話をもってきたのだろう。のんびりして見えて実は鋭い洞察力をもつ中堅官僚の彼は、剣心がこんなやり口を好まないことはよく知っているはずだ。官僚であるがゆえに、断れない筋からの依頼なのだろうか。
 沈思する剣心に、浦村の言葉が刺さった。
「最後に花をつけたのは、三年前の冬。三日三晩降り積もった雪の中で時ならぬ花を咲かせ、そして一日と経たずに散ってしまったそうです」
 それきり、藤は三度の春を無言で見送った。
「………」
 たったそれだけの話に、自分でも思いがけないほど胸が痛んだ。理由はわからない。けれど痛みはいつも剣心を衝き動かす大きなちからである。
「相分かった。ただし、条件がある」


「おめえ、その話、受けたのか」
 後刻、帰宅した左之助は、眉をしかめた。
「本気か、おい」
 剣心以上に澱みを嫌う左之助が、そんな話を気に入るはずがない。しかも、要領のわからない植物への潜入など。
「何考えてんだ」
 それでも、やると決まれば、肚をくくる。左之助はそういう男だった。

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ただいま貸出中<1> 2013/02/10up
初出 『星降る夜も聖なる夜も 明治さんた屋浪漫譚』(3) 2010/08/14


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