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月虹



 ワアッと喚声のした方を見ると、子どもが群れてべいごまをしていた。
 混じって大きいのが、二、三人。
 中に知った顔があった。
 剣心の足が止まった。
「おっしゃ、次だ次!」
 樽に向かった左之助が、せいっ、と威勢のいい声を掛けて貝独楽ばいごまを放ち、ほぼ同時で、向かい合った子ども二人も貝を打った。
 三つのバイ貝が布を張った樽の上で競り合い、三人は大声を上げながら樽を横から叩き、自分の独楽を勝たせようとする。見守る連中がわあわあとはしゃぎ、幾人かの背中で負ぶわれた赤ん坊も泣き、元気な声々があたりを大いに賑わしていた。
 春とも名ばかりの冷たい風に、皆、息は白い。
 洟(はな)を垂らした子どもの頬は柿のように赤く、目はくるくるとよく動く。それに交じった左之助も、黒目がちの双眸をしゃぼん玉のように躍らせて、闊達に楽しんでいる。
 付き合いで相手をしてやっているわけではないらしいみずみずしい笑顔に、剣心の表情が緩んだ。
 河原で闘ったのはつい先日。
 腕と言わず胴と言わず首と言わず、全身随所に細く裂いた晒し布を巻いているのは痛々しいが、もうべいごまができるほどになっているのならば、自分で言う通りに元来打たれ強いのか、若い肉体の生命力なのか、ともあれ快復が早いことは間違いない。
 二人の子どものうち少し年嵩の子の貝独楽が勝ち、歓声とどよめきが起こった。
「勝った勝った! 左之の兄ちゃんに勝った!」
 自分の勝ちに驚いてぽかんと口を開けている本人以上に、周りで見ていた子たちが嬉しそうな声を上げた。「すごいすごい」と口を揃え、「負ーけ、負ーけ」と左之助を囃す。左之助の背後にいた青年二人は「左之さん、負けやしたね」と冷やかして左之助に小突かれる。
 子ども達が左之助を慕っているらしいのが見て取れた。
 以前からよくこんな風に遊んでいたのだろう。
 意外のような、もっとものような。
 どちらとも言えず、もとより判断がつくほどよく知る相手でもなかった。
 負けた二人が悔しそうに輪を退き、代わって別の二人の子どもが貝を手に樽に向かった。
「くっそ、必殺技だと思ったのによお。」
 そらで独楽を放つまねを繰り返す左之助は、子どもとの独楽勝負に負けたことを、どう見ても本気で悔しがっている。自分の胸ほどの背丈、半分ほどの年齢の子を相手に、あどけないまでの無念がりようで、剣心の口元に苦笑が浮かびかけた。
 が、振り回す腕の左手首と頭には変わらず赤い布、丸めた背中にはやはりあの「惡」の一文字。
 ためらっているうちに、相手の方が声をかけてきた。
 向こうでも疾うに気づいていたらしい。
「今日は何でえ?」
 打ち解けた様子で桶の中をのぞき、「おおう、すげえ」と言って目を輝かせた。
「余りものだと言って分けてくれた。ちょくちょく出入りの魚屋らしい。」
 巨きな鯛だったとみえ、あらとはいえ、身も充分ある。
「あら汁にでもしようかと。皆で食うには汁がよかろう。」
「へ。おめえがすんのか。」
「飯炊きは慣れておるゆえ。」
 比留間兄弟が神谷家の乗っ取りを企て失敗した経緯と、そこに剣心と弥彦が住みついたいきさつを、左之助はそれぞれ当人達から聞いて知っている。
「なんでえ、酒が要るじゃねえか。おい、政!」
 振り返った左之助が顎をしゃくると、どこぞの小僧らしい坊主頭が転がるように飛んできた。
「後でここんちに、一、二升持って来いや。知ってっだろ、神谷道場。」
「はいッ!」
 寄った子どもの中では一番年長と見え、屋号の入った藍の前掛けをしている。
 さては酒屋の丁稚がお使いの途中で寄り道というところか。
 幼い仕草で何度か慌てたように頷いたが、左之助はまたぞんざいに顎をしゃくり、政と呼ばれた子どもは鼻の穴を膨らませたまま回れ右をして、仲間の所に駆け戻った。
 なるほど、喧嘩屋斬左は、畏怖の対象ではあっても、忌避の対象ではなかったらしい。
 強い者に対する尊敬と憧憬が、子どもの全身から感じられた。そして輪の外縁にいる二人の青年からも。だが彼らはより複雑だ。無敵を誇っていた左之助が剣心に完膚なきまでに叩きのめされ喧嘩屋を廃業し、以来神谷道場に入り浸っていることは既に周知。それは、左之助を兄貴分と仰ぐ彼らには、おもしろくない。今も、二人の方をちらちらと盗み見ながら、寄ってこようとはしない。
 大きな歓声が上がった。次の勝負がついたらしい。
 振り返ってそれを見やった左之助の目が和らいで、目尻に小さなしわが現れた。
 しわはすぐに消えたが、喧嘩早い若者の思いがけない内証が剣心の中に残った。
 悲しいほど優しいしわだった。それが、いかにも住み慣れた様子でそこに居る。その馴染みように、胸を衝かれた。
 まぶしいほど健やかなその顔に、抜刀斎にだけは負けられないと言って立ち上がった“斬左”の危うさはない。だが、齢十九というには、子ども達に向けるまなざしは穏やかすぎ、小さなしわは優しすぎて、むしろそこに剣心は人生が左之助に与えた爪痕の深さを見ざるをえない。
 自分を景気づけるように、からかう調子で言った。
「酒代はちゃんと払えよ、“左之の兄ちゃん”。」
「おう、あたぼ」
「自分でな。」
 言い被せられてぐっと詰まったところをみると、やはり神谷にたかる気だったのだろう。
 てやんでえ、と口を尖らせた左之助が、ふと思いついたように剣心を見た。
「そうだ。おめえもちょっと顔貸せ。」
「おろ?」
「ベーゴマだベーゴマ。勝負しようぜ。」
 ガキ大将が、腕白に笑って言った。

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