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「足あげてみ。どっちでもいいから」
子どもに言い聞かせるように言われて、浅くえずきながら剣心が左足をわずかに浮かせる。
左之助の器用な足の指がスニーカーを脱がせ、ジーンズをつまむ。膝の裏に手を入れて左脚を引き抜くと、ソックスの残った足先が心許なげに揺れた。
「ふ………う」
「どうする?」
桜色の丸い膝小僧にちろちろと舌を這わせながら、左之助が言った。
わざと答えにくい訊き方をしたのだが、溺れきった剣心はもうそんなことは気にもならないらしい。
熱に侵されたように淫らな言葉を零しながら、首に巻きつけた腕に力を入れてくる。
「ここで? このまま?」
重ねて訊ねても、まるで自分を失った状態で、切なげに腰をすりつけ、自らの手で左之助を導こうとする始末。長く嬲った分だけ左之助の我慢もいい加減限界だったが、気持ちいいだけでは趣旨に反する。
「なあなあ、外にヒトいんのわかってるよな。ぜーんぶ筒抜けなんだぞ?」
ゆっくり言って聞かせると、剣心がとろんとした目で左之助を見た。
「お前の恥ずかしい声ぜーんぶ。あんあん叫んでんのも、早く早くってねだってんのも、ついでにこっちの」
と、わざと音を立てて指を出し入れする。
「んうっ」
「クチュクチュいう音もな」
そこまで言うと、さすがに多少は理性が戻ったらしく、困惑した様子で目を泳がせた。
「さ……」
「ナニ」
意地悪く返すと、ふいに癇癪寸前の子どもの顔になって、滅多矢鱈と拳を打ちつけはじめた。
「だから今日はここでするっつっただろ」
「…………」
剣心が両手で左之助を揺すりながら自分も肩を捻って左之助を見上げる。
左之助は無言で訴える駄々っ子を思い切り抱き締めそうになるのをぐっと堪らえ、顎を上げて剣心を見下ろした。
「わーったよ。じゃあ選べ」
それを聞いて救われたように顔を上げた剣心だったが、続いた科白に、「信じられない」と言いたげにぽんと小さく口を開いた。
「一、このままここでする。二、外出てする。三、外のヤツ呼ぶ。さあ、どーれだ」
それでもしばらくは拗ねた表情で左之助を睨んでいたが、やがて諦めた様子で息を吐き、左之助の首に両腕を絡めて、肩に顔を埋めた。左之助はその頭を二、三度撫でてから仰のかせ、わななく唇を唇で覆った。爛れた目がゆっくりと閉じるのを見届けて自分も目を閉じ、何度か絡め合ってから、熱い身体を軽々と持ち上げてドアに背中を預けさせ、そのまま自分の上に落としていく。さすがに無理な体勢のためか不安そうにしがみついてくるのを優しいキスで宥めながらも、戸惑う様子が愛おしくて故意に長引かせているうちに、癇性の大きな子どもにせっつかれた。
完全にひとつになったところでもう一度唇を重ねる。抱えた身体は火のように熱く、汗みどろになっている。手が滑らないようしっかり抱えこむと、ぴくんと弾んで腕に力が強まった。耳元では熱く掠れた声がうわごとのように左之助の名を繰り返している。すすり泣きにも似た呼び声が、いつにもまして切なげで、胸を衝いた。
「……なんでお前はそうなんだよ」
軽く頬ずりしてから一気に抽挿した。髪を散らして首を打ち振りながらもしきりに暑がってTシャツの鳩尾のあたりをかき上げるので、ずくずくに濡れたそれを引き抜いてやり、ついでに自分もシャツを脱ぎ捨てた。抱えなおした細腰を揺すりながら突き上げ、脚を高く持ち上げて深く抉り、重力の助けを借りてさらに掻き回す。
「またひとりで……ロクでもないことばっか考えやがって。こんな」
背中がドアにもたれているとはいえ、足場もなく左之助の腕と楔だけが支えの剣心は、いつものように同調することもできず、相手任せに翻弄されるしかない。剛い髪をつかんでいた指もとうに力が抜けて、ほどけた腕がかろうじて肩に乗っている。
「お前がこんななんのは」
ねだるように差し出された乳首に噛みつくと、一声ないて仰け反った。ルビーのように充血した小さな粒は、熱くて生意気で汗の味がする。逃げるのを追いかけようとすると双子の片割れがひがんで迫ってきて、そっちの相手をしていると今度は逃げたのが戻ってくる。交互にかまっているうちに、悲鳴は途切れがちになっていく。
「バレバレ………クソッ……自分でわかって……かよ」
吐き出すように呟きながら、腹に擦られてもどかしげに悶える肉茎を握った。ぬるつくそれを上下に扱き先端を撫でまわしては時折わざと爪を立てて驚かせ、きつく締め付けてくると手を離して激しく揺り上げ、焦れて泣きつくのを尚も焦らして、瀕死の態をさらに追い詰め、追い上げる。
「こんな……なんで………なんでオレに、なんも、言わねえで。大事なことは、ちゃんと話すって、言った、のに!」
届いていないとは知りながら、いや、届いていないからこそ言えるのか。身体と同じ律動で叩きつける左之助の声も既にすすり泣きじみている。汗みずくになって、わけがわからなくなるまで貪り合った。
付き合い始めて間もない頃、何かとごたごたが続いて、少しもめた。方向性は違うが、二人とも気性は烈しく、思い込みも激しい。重要なことはきちんと話す。一人で先走らない。それは、うまくやっていくために必要なルールであり、また努力目標でもあった。
だが―――。
ガタガタと鳴っていた鉄扉の音が止んだ。
静かになった玄関に荒く短い呼吸音が響く。
暗い土間にこもった濃厚な空気は、むせかえるほど淫靡で眩暈を誘う。左之助は愛しい肉体を抱きしめたまま、ドアに体重を預けて、息をついた。
肩に乗っていた頭を掌に包んでそっと起こし、頬を撫でる。はりついた髪をかき除けてやる指は、ほん今し方が嘘のように優しかった。
剣心は細く掠れた息を咽喉に絡ませ、まだ恍惚の世界にいる。
しばらくして、薄く開いた目の焦点が、ようやく左之助に結ばれた。濡れて乾いた唇がかすかに動いたのを認めた左之助がそれを啄ばんで、それからコツンと額を合わせた。
「エロエローん」
表情は柔らかいくせに、言うことはしっかり意地が悪い。
「………サイテー」
溜め息まじりに呟いた剣心の頭に左之助が握り拳を当て、打つ真似をして言った。
「つーかお前、ひとりエッチ禁止。したくなったらソッコー呼べ」
「………は? なにお前。言ってる意味がわからない。ていうか、そんなん、してないし」
と言いながら首に噛みついてくるのを、左之助がなだめる手つきで撫でる。
「じゃあそれでもいいから。とにかく、一人でムラムラしてんなってこと。どうしても来れなかったら電話でしてやるから」
「だからしてないって。………? 電話? なに?」
「え。テレホンセックス。電話でヤラシイこと言い合ったり、エロい音聞かせ合ったりすんの。うっそ、マジ知らねえの?」
「知るか、んなもん」
さすがに声に力が入らず、いつものように一刀両断とはいかない。
「げーマジかよ。けどでもじゃあ今度やろうぜ。聞かれながらすんのとか、お前超燃えそうだし」
「いらんわ馬鹿者。ていうかなんだよそれ。結局自分でするなら一緒だろ」
「あ、やっぱしてんじゃん」
そう言ってからかうと、口を尖らせてぽかりと殴ってきた。
目元の染まったその顔を見て、思い出す。
すっかり忘れていた。
普通にいちゃいちゃしていたのでは、趣旨に適わないのだった。
「なあなあ。外のヤツから見物料とってやろっか。お前、めっちゃ出血大サービスだったし」
と言って持ち上げた脚をふいに揺らすと、剣心が驚いて小さく声を上げた。まだ身体は繋がったままなのだ。
眉をしかめた剣心を見る左之助の顔が、すっかりガキ大将の顔になっている。
楽しそうに笑いながら右の拳を剣心の目の前にかざし、そしてゆっくりと振りかぶる。
ゴン、ゴン―――。
ドアを叩いて鳴らす、それはノックと呼ばれる世界共通の音のシグナル。
意味はもちろん―――。
濁った音の後に、恐ろしく濃厚な沈黙がこだました。
剣心は目と口を丸く固めて、呆然と左之助を凝視している。状況が把握できていないか、予想外すぎて反応ができないか、その両方か。
左之助は、人の悪い微笑を張りつけて剣心から目を離さないまま、鉄の扉に顔を横付けにして、声だけ外に向けて言った。
「なあなあ、アンタら。悪いけど、ティッシュ持ってねえ?」
固まったまま、剣心が凍りついた。思考が完全にショートしているらしく、嬲る視線にも反応せず、ひたすら左之助を見つめている。外から小さく早いノックが三つ返ってきたのも、聞こえているのかいないのか。
だが、左之助がドアガードをカタンと倒してロックすると、どうやらそれでスイッチが入ったらしい。
パチン、と、そんな音を錯覚するほど一瞬にしてオンになり、一気に総毛立つ。
「いでででで」
急に締め付けられて左之助が悶えたが、そんなことは知ったことではない。パニック寸前で暴れる顔は汗まみれな涙まみれのうえ、目も鼻も真っ赤で顔中くしゃくしゃで、しかもその可愛い顔が泣きそうと怒りそうと笑い出しそうの間を決めかねるように行き来するのが左之助にはますます可愛くてたまらないのだが、もちろんそんなことも剣心の知ったことではない。
左之助の肩に冷たく熱い指を食い込ませて揺さぶり、拳を打ちつけ、踵で蹴りつけ、壮絶な意思をこめて睨めつける。
だがその様子に左之助はますます楽しそうな笑顔を見せて、ことさらゆっくりと手を動かした。
サムターンに指をかけ、首を傾けて剣心を覗き込む。ぶんぶんと首を振る必死の表情をわざとしばらく見つめてから、おもむろに指を捻る。シリンダーの回る金属音が響いて、剣心の全身が一瞬にして汗を噴いた。
重い余韻が残る中、ゆっくりとハンドルを下げる。
下がり切った小さな振動を背中で感じて、剣心は左之助の首にしがみつき、半泣きの顔を伏せた。だが、しがみつく腕が沿わずに反って、きっと拳固でも作っているのだろう、触れない手指と背中に食い込む踵が必死に不本意を主張している。
やっぱ可愛すぎるんですけど。
思わず頬を緩ませながら、左之助はドアを細く押し開けた。
金属の軋む音がして、光が射す。
外光の入らないマンションの玄関に、夏の白い陽光は北側とは言え十分に強烈だ。清冽な真昼の陽射しと吹き込んだ一条の風が、薄暗い空間にこもる蜜の濃さを暴く。
さすがに角度を変えて盾になってやってはいるが、伏せた瞼にもその光は映るだろうし、剥き出しの肌には風も当たるだろう。剣心の身体がさらに収縮して、踵は一層強く食い込んだ。
だが、ギャラリーの二人は小市民な一般人だったらしい。ドアの開口方向の逆側から消費者金融のポケットティシューを持った手が差し出されて、かすかに震えている。
左之助はひとり苦笑して手を伸ばした。
「わりい。サンキュ」
異様に張り詰めた静けさの中で、乾いた擦過音が驚くほど大きく響いた。
そしてドアが閉まり、土間に暗さと沈黙が戻る。
そのまましばらく動かずにいると、どれほど経ってからか、剣心が細かく震えながらゆっくりと顔を上げた。
汗と涙でぐちゃぐちゃになった顔には、五分の怒りと三分の羞辱と一分の安堵と、あと一分の何か判らないものが混在している。
それを見た途端、左之助の中にどうしようもないほどの愛しさと切なさが暴れ出して、腕の中の凶暴で頑固で貧乏性で寂しがりの魂を力いっぱい抱き締めた。
彼が海に出た翌日だったという。忙時の手伝いで海屋に詰めていた時尾に会いに来た剣心が、にもかかわらず十分も経たないうちに帰ってしまった。特に何かあったわけではなかったそうだが、居合わせた客の顔ぶれを聞けば十分だった。自分の言動を失敗とは思わないが、うまいやり方でもなかったろう。何を言われずとも、鋭敏な剣心がなにもを感じなかったはずはない。それから五日、メールもしていたし、何度か電話で話もした。口数が少ないのは、何かとごたごたが続いて神経質になっているせいだと思っていた。素っ気ないやりとりの向こうで、昔に比べれば格段に率直に気持ちを口にするようになった剣心が、店に行ったことさえ言えないほどに思い詰めていたとは想像もできなかった。ベッドの隅で胎児のように丸まる姿に胸が詰まった。うずくまって髪を散らす様子に身体が痛んだ。
汗に湿った熱い頭を繰り返し撫で、衝き上げる情動のままにキスをしようとしたが、言いたいことがあるならはっきり口に出して言えと人にはしつこく言っておきながら、そう言う自分こそ肝心なことを言わずに、いや、言えずにいる左之助の心中を、剣心が知るはずもない。
腕の拘束が弱まった途端、怒りが他を駆逐して、爆発した。
「ありえない! もうマジでありえない!! ていうか、お前どっかおかしいんじゃないか!? 本っっ気で!!」
「なんで。つか、最初に言ったじゃん」
切なすぎる気持ちを軽い口調で殺し、澄ました顔で眉を上げる。
「なにをっ!!」
「だから今回のお題。肝試し。そんで肝試しエッチにしてみたっつーわけ」
にっかり笑った左之助を、剣心がこの日何度目かもわからない“呆然”の表情で凝視する。
「いやー、そんな怖がるとは思わなかったけどなー。あ、あと、お散歩バージョンてのもあんだけどよ。そっちもやってみるか?」
と嬉しそうに続ける左之助に、剣心の顔からみるみる表情が落ちていく。
「………やっぱりありえない。ていうかとりあえずお前、とっとと抜け。そんで仕事行け仕事」
左之助は手で触れられそうに硬い声などおかまいなしに剣心を抱きくるみ、「行く行く」と言いながらも、突き出した口を顔中ところかまわず押し付ける。顔を背けて避けようとするのをしつこく追いかけ、最後に唇を捕まえた。むー、と唸って逆らうそれがおとなしくなるまで、脅したりすかしたり可愛がったりして無言の説得を続ける。
「行くけどその前にもっかい………」
口移しに囁いて、また深く舌を絡めた。
END/2005.08.13
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