エプロン祭へ/新窓

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Aromatic honey


 ……ぶほっ!!
 危うくビールを鼻から噴き出すところだった。
 よくこらえたと思う。
 だが、その反動で350ミリリットル缶を一気飲みしてしまった。
「どうしたの、剣ちゃん?!」
「や、ちょっとシシトウが“当たり”で……。あ、しまった、焼きすぎ焼きすぎ」
 動揺を、辛くもなかったしし唐のせいにして、焼き網の上の赤い特上ロースをトングでつまんだ。上等で新鮮で焼くのが勿体ないほどきれいなお肉とはいえさすがにレアすぎたのだが、とにかくあの破廉恥な物体を見たくなかったのだ。おかげで、せっかくの美縞亭の特上ロースなどという世にも有り難い代物を、ろくに味わいもせずに飲み込んでしまった。ああ勿体ない。
 たしかに今日は暑い。
 炎天下の屋上は床からの照り返しで、午前中にもかかわらず、ものすごく暑い。
 ほとんど「熱い」に近い暑さのなかで炭を熾すのはひと苦労だったろうし、そこへビールを飲んで肉を焼いて食べてしていれば、大いに汗もかくだろう。Tシャツなんか着ていたくないのもわかるし(本当はジーンズだって脱いでしまいたかったはずだ)、とはいっても、炭と脂がはぜて飛び散るバーベキューに素っ裸では具合が悪いのもよくわかる。
 だが、だからといって、普通するか、そんな格好!
 信じられない。
 左之助は何かにつけ人のことを「非常識」だの「ありえない」だのと非難するが、俺に言わせればヤツだって大概ひどいと思う。
 だいたい、師匠と斎藤と時ちゃんの三人を上司にやっていけてるというのが、そもそも普通でない。これまでにも、首を絞められたり拉致されたり縛られたり、思えばこれっていわゆるドメスティックバイオレンスじゃないのか、というようなことをすごくされてるし、今日だって央太くんの自由研究をもう一度するからだなんて言って鍵を借りてるけど、実は単に見晴らしのいいところでバーベキューがしたかっただけだ。バレたらどうする。
「いやあ、実は今回は“原始生活を体験する”実験なんだな、コレが」
 絶対通用しないし、そんな言い訳。

* * *

央太の日記
8月15日 火曜日 はれ

 今日は、家の人がみんな休みだったので、バーベキューをしようといって、マンションの屋上でバーベキューをしました。屋上はふだんはカギがかかっていて入れません。今日はとくべつに開けてもらって、遠くがよく見えて気持ちよかったです。カンカンでりであつかったけれど、とても楽しかったです。
 お父さんが「ちょっと飲んでみるか」と言って、ぼくもビールを飲んだけど、苦くてあまりおいしくなかった。でも大人はみんなすごくおいしそうにビールを飲みます。ぼくはお肉の方がおいしいと思いました。

* * *

 
 ともかく、とりあえずアレをどうにかしないと。
 央太くんと、百歩譲って東谷さんはともかく、右喜ちゃんはどうして平気なんだ? ファッションに敏感な彼女なら、あんな格好、きっと真っ先に大騒ぎするだろうと思ったのに。
 と思って、ちらりと左之助を盗み見て、ぐっとため息をこらえた。
―――やっぱりイカれてる。
 洗いざらしたジーンズにスニーカーはいい。ピシッとアイロンをかけてあったTシャツを早々に脱ぎ捨てたのも、まあ許そう。だがどうしてその素肌にエプロンをじかに着けようなどと思いついたのだ、あの大馬鹿は?!
 ていうか、思いついても普通しないし。
 黒いコットン地のエプロンは、つい昨日、時ちゃんが“暑中見舞い”に贈ってくれたものだった。一見これといって特徴はなく、よく言えばシンプル、平たく言えば「ただの」「普通の」という形容詞の似合うデザインだと思っていた。だが、上背のある左之助がそうして身につけると、張りのある生地がすっきりときれいなラインを作って、思いがけないほど印象的になる。まして上半身は剥き出しで、十代の頃からの肉体労働で鍛えられて無駄なく筋肉のついた背中や、よく灼けた腕や、鋼のように固く締まった関節や、まだ若さの残る首から肩にかけてのしなやかなラインが丸出しになっている。ワタリガニのようにくっきりと割れた腹筋こそエプロンに隠されているものの、なまじ隠れているのがかえって不自然というか不健康というか煽情的というか、ともあれ、いっそ海で見る海パン姿の方がよほど健康的で恥ずかしくないと思うようなとんでもない格好なのは間違いない。
 勘弁してくれよ、もう。頼むから!

「ねえねえ、お兄ちゃん、エプロン、それ多分まちがいー」
 おお、さすが右喜ちゃん。いいぞいいぞ。
 ……と思ったら、ちょっと違った。
「紐。それ、いっぺん後ろでクロスして、前に回してココでくくると思う」
 と、握った両手をお腹の前で交差させ、グイッと引くように動かしている。
 左之助は左之助で、素直に紐を結び直してるし。
「あー、やっぱな。なんかオカシイと思った」
 いやだから問題はそこじゃなく。
 でもたしかに、後ろで変にブラブラしていた長く細い腰紐は、二重巻きにして前で結ぶとちょうど小さな蝶結びができる長さだった。結ぶと、お腹のあたりでぶかぶかとだぶついていた前掛けがタイトに削ぎ落とされた格好になって、小洒落たカフェにでもいそうな……って、いるわけないだろ、ハダカエプロンのウエイターなんか!!
 阿呆かオレは?!


 そういえばさっきから気になってたんだが、何だろう、この匂い。
 お香か化粧品か何かそんなっぽいような。でもちょっとフルーツっぽい。いや、樹木系?
 なんにしても食事の場面には不似合いな………ていうか、これ、俺が匂ってるのか?
 くんくん、くんくん。
 むーん、シャンプーを変えたせいだろうか。
 奮発して買った特売598円のラックススーパーリッチシャンプー&リンスは、いつものメリットより断然指通りがよくて、さすが高級品だとご機嫌で使っていたのだが。
 でもこんな匂いだったっけ。
 気になりだすと気になるもので、ますます嗅覚に意識が向かう。
 髪をおろしているせいかもしれないと思い、結わえてしまおうと三角巾を外した。
「え、剣ちゃん、三角巾やめちゃうの? すっごい可愛いのに、ひらひらして」
「ていうか、髪、くくろうと思って」
 じゃあやってあげる、と、右喜ちゃんが寄ってきて、後ろに立った。
 こうなったらもう逆らえないのは経験上よく知っている。
 おとなしく髪を預けて、手首のゴムを渡した。
 相も変わらず手早い。三分も待たずにおさげが完成した。自分でも扱いづらいおさまりの悪い髪が、きれいに、しかもきっちりとではなく、ふんわりと三つ編みにされていて、感心する。
 三角巾を被り終えたところで、右喜ちゃんチェック。おさげの尻尾を前に持ってきて肩から胸に垂らし、三角巾の裾をぴっと引っ張って、「っし、オッケ。可愛い可愛い」と、腕を組んだ。
 っていうか、可愛くなくていいんですけど。

* * *

携帯メール

剣心→時尾  8月14日 午後10時25分

割烹着と三角巾、今日もらったよ、ありがとう! 割烹着の紐が渋いね。大事に使わせてもらいます!

時尾→剣心  8月15日 午前9時40分
どーいたしまして☆ そうなの、あえて後ろ紐なのがポイントなの! かわいいでしょ〜vv あ、そうそう、いただいたフリフリエプロン、ハジメちゃんも超気に入ってます! 左之っちの妹さんにヨロシクね(^ε^)-☆ ところでビデオ見た?社長の出番、超短くてびっくり(笑)。

剣心→時尾  8月15日 午前11時52分
見た見た。爆笑。ザマミロって感じ。右喜ちゃんがレースありがとうって。今じゃ入手困難だって、すごい喜んでたよ!

時尾→剣心  8月15日 午前11時55分
わ、よかった!(^^) 私持ってても使わないし、役立ててもらえるなら何より〜。何かできたら写真とか見せてもらえると嬉しいなvv

* * *

「おう、なんだ、剣心さん、肉食えよ、肉。あんたさっきから茄子しか食ってねえじゃねえか」
「そんなことないですよ、いっぱい食べてますって」
 東谷さんが光り輝くような壮絶なタンを目の前にのせてくれた。
 おお、さすが超高級肉。オーラがちがう。
「でも太っ腹な社長さんですねえ。社員全員に美縞亭のお肉セットだなんて」
 明治六年創業の老舗すき焼き店で、精肉店を併設している。
 牛のこま切れが100g401円、挽き肉でも368円という、庶民にはとんでもない高級精肉店で、京都人のここぞというときの贈答品として、いづうの鯖寿し並みのステイタスを確立している。その特上ロースやら上タンだなんて、値段を見に行くのも恐れ入谷の鬼子母神だ。それを“夏の陣中見舞い”と称して、社員全員に振舞ってくれたという。本来すき焼きが身上の店だが、「ちゃんと焼いてもろてこその美縞亭」という社長のこだわりを反映して、贈られた肉は焼肉セットだった。少数精鋭の染色工房だけに、職人の技術を高く買っていることの証しでもあれば、仕事に対する妥協のなさを示すものでもあるのかもしれない。
「えっ」
 肉を口に運んだ右喜がハッとしたように声を上げた。
「とろけた……! やん、うそ、なにこれ」
 そう、まさに舌の上で「とろける」としか言いようのない凄いお肉だった。
 なのに、この馬鹿のせいで全く集中できない。くそう。
「おー、オレもオレも」
 と、身体を乗り出して伸ばした腕が、突然視界に侵入してきた。
 元々浅黒い肌は、陽光をたちまち吸収するらしく、夏の前半戦で早くもウェルダンに灼けている。油を流したように光って真昼の陽射しをはね返し、見事にフェイントをかけてくれた。呆然としているうちに、せっかく東谷さんが俺の前に置いてくれたタンはさらわれてしまい、あ、と思ったときにはもうヤツの餌食になった後だった。
 むっとして睨みつけたが、「すっげー! これタン? これがタン?」とかなんとか嬉しそうに笑ってみせやがってこの野郎。
「いやあ、やっぱ肉はレアだよな」
 と言って、今度は見事なピンク色のバラ肉を網にのせる。
 その動きにつれて、腕や肩や腹の筋肉が形を変える。剥き出しの肌の上を光が滑って、黒いエプロンが濃い影をつくる。汗染みのできつつある布にしわが生き物のようにざわざわとうごめく。
「あ、お前も食う? シモフリ、フリフリ。すんげー旨そ」
 トングにつまんだ肉がミヨーーンとしなって、ああもうだからそれはいいから自分でするから、動くな喋んな暴れんな!

* * *

右喜のネタ帳
8/15

割烹着に三角巾。白、コットン、バルーン系。三角巾大きめ。おさげ前に垂らして。
黒エプロン。シンプル&スタイリッシュ。デニムに上半身裸。エロい。※モデルを選ぶ


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