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「左之。おいで」と、剣心が上掛けを持ち上げて腕を伸ばした。
 剣心は左之助を腕枕に招くとき、決まってこうする。
 左之助は大きな白いしっぽを優雅に振り、剣心の体側にすべりこんだ。
 しなやかなホッキョクギツネの獣身を剣心の身体に沿わせ、伸ばされた腕に前肢をかけて顎をのせると、剣心の目がとろけるようにやさしい。小春日和の午後の日射しに柔らかく光っている。
 腕枕の昼寝は休日の幸せだ。
 見つめていると、左之助の鼻先にかわいい音つきのキッスが降ってきた。
 左之助も剣心の頬に鼻キッスを返して、ひげを震わせた。

 左之助はホッキョクギツネで、剣心はホッキョクノウサギである。半ばは人間の獣人亜網とはいえ、本来の獣性で言えば狩られる存在である剣心にとって、左之助は「天敵」だ。
 だからなのか、そもそもそういうタイプなのか、彼の可愛い年上の彼氏はいつまで経っても左之助に慣れない。不意に触れたり、顔を近づけたりすると、いちいちハッと身構える。先日などエスカレーターで背中に手を当てただけで目に見えてビクッとされてしまった。
 そんな状態だから、腕枕も、積極的なスキンシップも、自分からベッドに呼ぶことも、人間の青年の姿をしているときには決してない。
 剣心がこんな風にするのは、左之助がキツネでいるときだけだ。

 剣心はもう寝入りかけている。
 今日は朝から走りに出かけて、二人とも獣態で存分に駆け回った。
 心地好い疲れと充足感が、穏やかな表情に見て取れる。
 フーと鼻から息を吐いてしっぽで剣心の脚に触れると、うとうとしていた剣心が少し目を開けて、またあのとろけるまなざしが向けられた。
 こうして寄り添い合って目を見交わしている時間を左之助は愛している。
 無論もっと濃厚な抱擁も愛しているし、熱い交歓もこよなく愛しているが、これはこれでまたちがう幸せを教えてくれる。
 顎の下に剣心のぬくもりを感じながら目を閉じる。
 閉じた視界は、昼下がりの陽光に、明るく染まった。

 思えば以前はここまで警戒されていなかった気がする。
 剣心がホッキョクノウサギだということを、左之助を含め周囲がまだ知らなかった頃など、むしろあんまり無防備すぎて、左之助などからすれば危なっかしくて見ていられなかった。しかも後から知ったところによると、剣心ら草食にとって肉食獣の体液は催淫効果をもつというではないか(逆も同様だが)。肉食獣男児保育園の保健医という剣心の仕事を思えば、防衛感度が高いのは非常に結構なことではある。
(でもだからっておれにまでビビんなくてもいーじゃん)
 なんといっても二人は親も公認する番いを約された仲なのだ。二年後、左之助が成人したら一緒に住むことになっている。つまり人間世界の一般表現でいえば婚約者だ。キスもするし、ハグもするし、もっと以上のスキンシップもするし、婚前交渉だってする。なのにちょっと手が触れたくらいでそうもいちいち緊張しなくてもいいではないかと思うのだ。いくらキツネとウサギとはいえ、とって喰われるわけではないのだから。
(……いやまあ、喰うけど。ある意味。たまに)

 目を開くと、剣心は眠りに落ちていた。
 さくらんぼ色の口を小さく開いて、規則正しい寝息を立てて、よく寝ている。
 こんな風にゆっくり顔を眺められるのは、剣心が眠っているときくらいだ。
 左之助はこのびびりん坊で恥ずかしがりの恋人が好きで好きでたまらないから、いつ何時でもずっと見つめていたいくらいなのだが、なんせびびりん坊で恥ずかしがりだから、なかなかそうはさせてくれない。
 左之助は心ゆくまで剣心の寝顔を楽しんだ。

 左之助にあくびが出た。
 大あくびだ。
 大口を開けた拍子にヒゲが触れて、剣心が寝返りをうった。
「んー……」
 鼻息が音になったほどのかすかな声だったが、左之助の耳を甘くくすぐるには充分だった。
 磁器のような頬はかすかに上気して、こまかいうぶ毛が輝いている。ゆるく開いた唇はジェリービーンズのようにぷるんと濡れて、奥には思わせぶりな暗がりが隙間を覗かせている。
 エロチックな唇の誘惑は、こらえるには強すぎた。
 最初は舌先で少し触れただけだった。
 犬科であるキツネの舌は長く器用だから、ごくごくそうっと、触れたことを感じさせないほどそうっと触れることも困難ではない。
 誓って本心から、左之助もそれだけでやめておくつもりだったのだ。
 剣心は気持ちよさそうに午睡を楽しんでいるし、左之助だってこの穏やかな時間を愛している。ずっと鉛色の空が続いていたのが、今日は朝から久々の日本晴れで天気も上々だし、気分もいい。朝からよく運動していい汗をかいたし、軽くシャワーも浴びてさっぱりした。このまま少しまどろんで、二人で夕食の相談をして、ごはんも食べて、夜になってからすればいい。いつまで経っても……どころか、回を重ねるごとに恥ずかしがり度が上がっている気がするこのびびりん坊の恋人を怖がらせないように、ちゃんと電気も消して、キスからゆっくり始めるのだ。最初は可哀想なほど恥ずかしがるけれど、剣心だって左之助とのスキンシップの時間は大事にしてくれている。
 昼寝をしよう。
 腕枕に戻って、目を瞑って、深呼吸をするんだ。
(でもその前に……)
 その前にもう一度だけ、と思って舌をのばしたのが悪かった。
 さっきよりも少し遠慮を控えて、下唇を舐めた。
 脚に絡めていたしっぽで、軽く太腿の裏側を擦った。
「んっ……」
 二度目の含み声は、明らかに官能の色を帯びていた。
 抗いがたい、強烈な誘惑だった。


「ああああああっ……!」
 大きな声に驚いて、目が覚めた。目が覚めてみれば、もっとびっくりな事態が剣心を待っていた。
 信じられない。なんだこれは?
「……え? 左、左之? ちょ、あ、な、何………は、あんっ」
 何がどうなっているのだ。
 腕枕で平和な昼寝をしていたはずが、どうして半裸で喘いでいるのだ。
 胸がはだけて、ぷつんと凝った突起は赤くなっている。まるで弄られた後のようだ。ちょっとかすめるだけで痛いほど感じる。こうなるのは泣くまで責められた後のはずなのに。しかも、それだけではない。あろうことか、もう入っているのだ。
「や、あっあっ……」
 のけぞった喉を左之助の舌が這う。ぞくぞくと目眩がして、身体がきゅっとすぼまった。
「ああああ……!」
 とりあえず、何事かと思った叫び声が自分のものだったことはわかった。
 それから、身体は火を噴きそうに燃えていて、息を吸う間もないほど呼吸が速くて、繋がった部分は怖いほど熱くて、だから結合が相当進んでいることも理解せざるをえなかった。
 中はもうぐずぐずになっている。
 でも、いつこんなことになっただろうか。
「―――!」
 奥を強く突かれて、頭が真っ白になった。
「あっ、あっ、あっ」
 幾度か経験してメンタル耐性はできたつもりだが身体は慣れた気がしない、というのが剣心の実感値だ(左之助が聞けばまたちがう意見もあろうが、ともあれ剣心本人はそう思っている)。都度ごと入念な準備運動をしてからでないとこうはならないのは経験で知っている。だからつまり、こうまでなっているということは、それだけ色々したはずだ。
 いきなりは無理だから、指で少しずつほぐして、慣らして、そうしながら剣心も気持ちよくなれるよう、左之助は他の感じやすいところにもいろいろとする。準備が充分できるのを待って、それからだ。それに、その段階に進んでからも、彼は剣心を気遣ってくれる。いきなり激しく動いたりはしない。もちろん、ヒートアップしていった後は、大概こんな風に息もつけないほど突かれて掻き回されて注がれて、また突かれて掻き回されてと、身体がバラバラになるような思いもさせられるのだが、そんなのは本当に最終段階の話のはずだ。
 なのに、もうこうまでなっている。
 にもかかわらず、まったく記憶がない。信じられない。そんなことがありえるだろうか?
「あんっ、あんっ。や、左之……も、もう……や、ああああっ」
 けれど実際に剣心はもうバラバラ寸前だった。なぜもどうしてもない。
 脳みその芯が痺れて、知性が働かなくなる。
 胸を吸われたのを最後に、思考は止まった。

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おひるねする?<1> 2010/1/1



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