寸景冬は陽が低い。 中庭に面した南向きの座敷に、真冬の陽が柔らかい光を注ぎ込む。 畳には、障子の桟が影絵となって、長く引き延ばされた大きな格子を描いていた。 ああ、それでか、と、左之助は目を庭に転じた。 さっきから小さな違和感を覚え、それが何に由来するのかをつらつらと考えていた。 九年も前に半年ほど出入りしただけの他人の家屋敷である。 にもかかわらず、そしてうろ覚えの弟と初対面の子どもしか居なかったにもかかわらず、生家に帰ったときよりも懐かしく気持ちに馴染んだ。 それが、だれもいない真っ昼間の座敷で今さらの違和感を覚えた。 調度や室礼が変わったわけでもない。 なぜだろうと思った。 この部屋が初めての顔を左之助に見せていたからだったのだ。 深い軒と広い縁を持つこの国の住まいは、冬の貴重な陽射しを室内に導き、夏の強烈な日射と熱は縁で遮るようにできている。 世界各地の住居と生活を見てきた左之助の目に、四季のある気候風土が生んだ先人の知恵は新鮮な感銘を与えた。 いま、陽は座敷の奥まで射している。 冬至。 その日、日は一年で最も短く、低くなる。 季節は光から。 神谷邸の冬を左之助は知らない。 出入りし始めた頃、風はまだ冷たかったが、光はもう春だった。 広縁にはとろけるような陽光があふれ、建具を開け放った座敷には爽やかな風がそよいでいた。 そんなところでそんな風に座っている自分が嘘のようだった。 怖ろしいほどの長閑な春のなか、呆然と眺める中庭では、剣心が洗濯をしていた。弥彦が走り回っていた。薫がはしゃいでいた。 後から来た者は、皆、最初はここでそんな風に庭を眺めるのだ。 他愛ない言い合い。笑い声。洗濯の水音。炊事の匂い。生活の風景。日々の営み。 自分とは永遠に無縁のはずだった普通の幸せ。 そわそわと落ち着かなかったのは燕で、放心したように身動きもしなかったのは恵だった。あっという間にとけ込んだ由太郎と違って、月岡は最後まで一線を越えず、去り際にほっとしたような表情を見せた。 日は次第に長くなり、縁側を照らす陽射しも強くなった。 だが、通年で最も強い夏至の光を左之助は知らない。 京都から帰ってきたとき、厳しい残暑の中、太陽は既に秋の装いを始めていた。 そして冬が来る前に出奔した。 央太は夏に来たと聞いた。彼も同じように庭を眺めたのだろうか。 あるいは、貧しくとも父と姉の庇護の下で育った央太には、それは多少なりとも身近な世界だったのだろうか。 剣路は、あの思いは知るまい。ここで生まれ育って外を知らない子どもなのだから。 畳に影が長い。 弥彦と連れ添った燕が縫ってくれたという袷(あわせ)の襟を指で辿る。 ぴしっと線の揃ったきれいな仕立てが身体に心地好い。 歳月を遡り、時間を戻していく。 影が動く。 影が短くなるにつれ、ひとり減り、ふたり減る。また長さが増して、さらに減り、左之助自身もいなくなる。 想像の中の凍える冬の夜。最後は薫と喜兵衛が残る。それより前は話を知らない。 呆然と眺める左之助には対岸の夢に映った平穏が、生まれたての卵のようなものだったことに気づいたのはいつだったろう。 戦災孤児が寄り集まったに近い危うい生活だった。 よくもここまで大きく根を張ったものだと思う。 それがどれほど稀有なことかが判るのは、外を見てきたからだとも思う。 願わくは、この平穏が一刻でも長く保たれんことを。 この平和が彼の心にも訪れんことを。 それこそが自分の願いであり守るべきものなのだと、ことあるごとに自分を戒めている。 願うものと求めるものが相容れないことの厳しさを知り、あの頃の彼の苦しみをようやく理解したようにも思う。 通年で最も日の短い冬至の午後。 だれもいない庭には、短い冬の日のあめ色の光が満ちている。 了/2006.07.15 |
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