相楽くんのお悩み
さて、おれは思案していた。
むずかしい問いだ。
そう、とても手強い……。
それはつまりこういうことだ。
緋村さんが最もかわいいのはどんなときか?―――という。
まず勿論セックスのときだろう。
いつも綺麗でかっこよくてシャープで男前気質な緋村さんが、そのときだけは別人になって、さくほろクッキーのように、あるいはカリとろたこやきのように、もろくはかなくドロドロにとろけ落ちる。
おれしか知らない緋村さん。
だれも知らない。
緋村さん自身さえ知らない。……はずだ。
だってあれで正気で覚えてるって言われたらそっちのがびっくりするし。
それはもう、だれにも知られないどこか静かで美しいところに大事に大事に隠しておきたいような。だれかれ構わず見せびらかして見せつけて自慢して羨ましがらせて、これがおれの緋村さんだと世界に知らしめてやりたいような。
緋村さんのそんな物凄い一面を知って、おれは幸せの深みにはまった。本望だ。さらにもっとズブズブに溺れるべく、おれは今も鋭意努力中である。この際だ。これ以上ないところまでいってみたいと考えている。
さて戻る。
先の問いである。
緋村さんが最高にかわいいのはいつか?
難しい。
それはとても難しい。
たとえば、その瞬間の、自我も時間も蒸散したみたいな顔つきとか。
あるいは、行き着く直前の、急ぎたそうな、惜しむような、追いすがるような表情とか。おれの名前をそれしか知らないみたいに繰り返して呼ぶ、消え入りそうなか細い声とか。逆に直後のゆっくりと降りてくる浮遊感に浸るような様子とか。離れるときの、なんとも言えない切なそうな震え方とか。
いや、でも意外とあれも捨てがたい。
始まりかける寸前の、何度目になっても浮き足だって逃げ出したそうな、でもそれをおれに気づかせまいと強がって平気なふりをしている、まだ気丈な緋村さん。それに、全部が終わって休息に入る瞬間の、何もかもゆだねきったみたいな安らいだ表情も。
そうして眠っているあいだの透き通った寝顔も。ピュアに目覚める瞬間とか、目が醒めておれを認めたときの、ちょっと照れくさそうな、そのくせなんでか労るような、まるで懐かしいみたいな目の色とかも。
全然フニャフニャのくせに大人の男みたいな顔をする緋村さんを見ると、おれはもどかしくて愛おしくてたまらなくなったりして、そのフニャフニャの身体を抱きしめずにはいられない。そしたら、緋村さんは何も言わないけど、ほんの少しだけ身体を寄せてくる。
――ふうー。
ひとつになど絞れるわけがない。
「どうかしたか」
どっ……!
どどどどどどうもしません全然しません超しません!
頭の中がどもってるほどだから、声帯は機能停止、心臓は呼ばれて飛び出てジャジャジャジャンだ。
「べ………別に!どうもっ!」
どこからどう見ても聞いても明らかにどうかしているとしか思えないと自分でも思うような跳ね上がった声で口調で態勢だったが、さすが緋村さん。
「そうか」
ときた。
ほっとしたような、ものたりないような。
おれはできるだけ何気なくさりげなく、手近にいた元子猫を腿に乗せた。
緋村さんは躾とけじめに厳しい。
動植物に甘い緋村さんもこの点にかけては平等で、人間にも動物にも社会にも、当然ながら大人にも子どもにも、わけへだてなく、厳しい。
だが生憎とおれのどら息子くんは躾がいまいちよろしくない。ケジメにいたっては、元々からしてほぼなかったものが、ましてターゲットが緋村さんともなればケジメのケの字の最初の「ノ」もご存知ない。
目覚めたどら息子くんは、おれの目を通して緋村さんのキリッとした後ろ姿のしなやかな背中と細い細い腰を凝視している。
困る。
非常に困る。
「ひっ、ひひひ緋村さんっ」
「なんだ」
振り向く緋村さん。
流れる視線。突き刺さる衝撃。
今度は頭も機能を停止した。
………えーっと。何を言おうとしてたんだったかな。かっこいいな。きれいだな。やっぱ緋村さんて最高。
………じゃなくて。
「あー…のさ、」
おれの頭は完全停止しているのに、口が勝手に動き続けておれは驚く。
「緋村さん、好きだ」
躾のなってない暴走どら息子くんのせいなのか奴には関係ないのかは知らんが、まるでわけがわからない。
おれの口はなんでいきなりそんなことを言い出したのだ?
おれに判らないのだから緋村さんにはもっと判らないだろう。
きっと呆れられるか無視される。ひょっとしてまたお説教かも。おれはしょげる。
けれど、ちがった。
緋村さんは呆れも無視もお説教もしなかった。
ちょっと考えるようにして、それから、いわく言いがたい色の目でおれを見て、表情も変えずに、言った。
「よかった。おれもだ」
―――緋村さんが最高にかわいいのはどんなときか?
難易度は上がるばかりだ。
END/2007.3.15
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