年中夢中 
犬派か猫派かといえば、おれは犬で自分は猫なのだと緋村さんは言う。
「ちなみに、どこらへんが?」
「食習慣が」
「………」
すいません、そこんとこもう少し詳しく聞かせてもらっていいですか?
「彼らは」
緋村さんは話しだした。
彼ら――犬と猫のことだ――は、共に狩猟動物で共に肉食性だが、猫が完全なる肉食であるのに対して、犬はそうではない。肉食を基本としつつも草食動物の一面ももつ雑食動物である。また清掃動物であり、チャンスを生かす日和見主義でもある。この二つも猫には見られない、犬に特有の食餌(しょくじ)習慣と言えよう。
こんなふうに本の文章のように話す人をおれはこの人に会うまで知らなかったが、大学に進むといくらもいた。教授、准教授、一部の助手と院生、そしてさらに一部の学生。つまり学者と呼ばれる(あるいは将来そう呼ばれるであろう)一群の人たちだ。
ただし彼らと緋村さんでは大きなちがいがある。
それは、彼らの言っていることが平坦で魅力に欠け、ナニ言ってんだかサッパリなのに対して、緋村さんの話はこのうえなく魅惑的でわかりよく、砂に水が染みとおるように、おれのすみずみまで行きわたるということだ。
だがもちろん、おれの理解が及ばないことは多々ある。
「チャンスを生かす日和見主義?」
「食物を獲得するチャンスに敏感で、得たチャンスを生かすために全力を傾けるということだ。犬の餌付けや嗜好餌を用いた調教が可能なのはこのためだ。清掃動物というのは、とくに自分のテリトリーに関して汚れた状態を放置することを好まず、その原因を排除しようとする性質をいう。犬がヒトが汚いと思うようなものも食べるのはだからだ。とはいえ、きれいにしようとしての行動が価値観の異なるヒトに理解されないのもまた致し方のないことではあるが」
あー、言われてみればそうかも。
いや、日和見主義の方だが。
なにって、ここの猫ども。とくに矢田貝今日太郎なんかはやたら芸達者だが、別に餌でつって覚えさせたわけではない。現に気が向けばごほうびなどなくてもいくらでもする反面、なんぞいいものをチラつかせても気が向かなければ頑としてしない。一般に「猫が気まぐれ」だと言われるのは、彼らが人間の思惑でコントロールされにくいからなのだろう。
おれの思考を読んだように緋村さんが言った。
「つまり犬が人の言うことに従うのは、その方が餌を獲得するチャンスが多いことを経験的に学習した後の結果であって、それは彼らの本質としての従順さを示すものではない」
そこで緋村さんはおれを見て、
「な」
という顔をした。
「犬だろう」
へ?
一拍おいて思い出した。
「おれ?」
うなずく緋村さん。
そうだ。
そうだった。
おれが犬で緋村さんが猫だという話をしてたんだった。
けど緋村さん。
おれは考える。
でもそれっていいのか?
「なぜそんな顔をする」
なんでってだって。
「ほめている」
どこが?
「なつくとかわいい」
緋村さんは真顔でそう言って、おれの頭を撫でた。
Happy Birthday――Best wishes!
2009/6/20
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