夜
何度目なのか、もう声も出ない。
と、思ったそばから、また咽喉が啼いた。
力なく掠れた声。いかにも苦しそうな、押し殺したような、悲鳴のような、すすり泣くような。
だが、ほとんど判断力を失った自分自身の耳にさえ、それが本当の苦悶の呻きではなく、痴態の限りを尽くした淫楽の末期症状だということは明らかだ。
なぜこんなことになっているのだろう。
おかしい、と、朦朧となった頭のどこかで思った。
ならば夜が明けるまで日が昇るまで、と、仕掛けられた酔狂な戯れに苦笑しながらも応じ得たのは、ほろ酔いの気安さも手伝ってとはいえ、夜も真深を疾うにすぎて、明けずむ気配の先触れさえ感じられていたからだった。
そんなに長いはずはない。
夜が、こんなにも続くはずのないものを。
だが、ためらいも憚りも覚えていられたのは始めのうちだけで、遊びで済んだのと抗えたのはさらに初めのうちだけで、暴かれ引きずり出されて晒された果てとなっては、羞恥と矜持はおろか官能さえも他人事のようで定かでない。
疑念も不審も、浮かんだそばから立ち消える。
―――何故、こんな。
―――理由など。
幾度目かの問い。
幾度目かの答え。
自我もしゃぶり尽くされて人形のようになった身体を、彼は尚も貪りつづける。
風切音の鳴る咽喉で水を求めれば代わりに酒を与えられ、放赦を望めば苛虐は増した。
ふと、
虚っぽになった自分の内部に、仄暗い歓びが芽生えていることに気づいた。
肉の愉楽ではない。
もっとちがう種類の、もっと歪んだ、もっと卑屈な。
意思も身体も恣にされながら満たされる、これは、病的な支配欲だ。
無慈悲に追い詰められれば追い詰められるほど。
惨く引き裂かれれば引き裂かれるほど。
そうさせているのは自分だという。
そこまで彼を駆り立てているのは自分だという、優越感。
杳として揺るぎない左之助ほどの男をこれほどに執着させているという、独占欲。
醜く、あさましく、そして
果敢無くささやかな。
勝利と敗北。
ひとの闘いを横から掻き乱して、全身全霊で闘うすべての人を辱めた。
真摯であるべき闘いを汚し、不本意な死者をつくり、惨めな敗残者を生んだ。
力を貸したはずの相手から勝利と栄光を奪い、自信と誇りを奪い、代わりに死んでも消えない汚点を刻んだ。
ひとが命よりも大切にしていたものを踏みにじった人斬りの。
最下層の、これは報いなのか。
命じられるままに開いた目の先に、獣じみて黒いふたつの目があった。
未来を見据えるべき鋼鉄の瞳に、今は、見るに堪えないものが映っている。
背けることは許されない。
光すら閉じ込めて放さない闇は、罪も罰も業も因果も余さず喰らい尽くす。
善悪さえも呑却して、咀嚼する。
すべてを焼き尽くそうとする劫火の闇。
―――何故、そんなに。
―――理由など。
幾度目かの問い。
そして解答。
明けることのない夜に抱かれていたことを、知った。
了/2006.11.24/07.2.17改
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