◇web拍手おまけ小話1◇  (ダイバーシリーズ)


映画鑑賞


それが原因でカクレクマノミが乱獲されているとニュースになるほどの映画を、一度も見たことがないと、剣心は言う。
ありえない。それでもダイバーか。
あっ、アニメだからって馬鹿にすんなよ。つか、そういうことは見てから言え。
お茶? いいいい。オレするから、見てろよ。何がいい?
カップを座卓に置いて腰を下ろすと、なにやらごろごろとなついてきた。
おう? どした?
抱え上げて、あぐら座布団に座らせてみる。
オレ座椅子。座面の角度が五段階で調整できますー。
だがじきに腹筋が震えだして、剣心も笑う。
んーにゃ、そっちは全然? おまえ全然軽いし。まあじゃあしびれたら下ろすわ。


オレの手から紅茶を飲みながら、剣心はあれやこれやと鋭くチェックを入れる。
たしかに剣心の言うとおり、水中のソフトコーラルは肉眼ではこんなに色鮮やかには見えないし、クマノミは性別固定種ではない。群れで一番体の大きな個体が雌になり、二番目に大きい個体が雄になり、その他大勢がすべて子ども、という特殊な群れを形成する。そもそもその群れは血縁という意味での実際の家族ですらない。挙句、雌が死ぬと雄が雌に昇格し、三番手だった子どもが次の雄になる。
だがしかし。
だーもう、だからそりゃ実際はそうだけど! いんだよ、おハナシなんだから。
大体おまえ、ちょっと冷静に考えてみろ? 家族もののアニメでさ、「お母さんが死んだのでお父さんはお母さんになりましたー、子どもはお父さんになりましたー」って、普通そっちのがビビらねえ? つか、ワケわかんねーし。
だが剣心はブツブツと口の中で言い続ける。
成り立たない。ありえない。
眉をしかめ、口を尖らせ、足の指をぱたぱたと動かし、髪をサラサラと揺らして、テレビに向かって文句を言う。
三十過ぎの大の大人がそうも真剣に映画の設定に難癖をつけるのもどうかと思うが、あんまり真剣すぎるのが引っ込みのつかなくなった子どもの意地っ張りのようで、いっそ微笑ましい。
いでっ。んだよ、つねんなよ。
ちがうって、おまえを笑ったんじゃねえって。
ほんとだって。なに、おまえって被害妄想?



生き生きと描かれるサンゴ礁の情景は、つくられたものでありながら、昔馴染みに再会するような懐かしさを感じさせる。
親近感。そして浮遊感。
いつのまにか剣心が大人しい。
遠くを見るように目を細め、首をまっすぐに伸ばして、じっと画面に見入っている。
呟く声に、素直な感嘆がこもった。
だろ? コレ作った人って絶対生身で潜ってるよな。なんかこう、これこれ!みたいな。
ああ、視点。そう、それそれ。あとナニ、光とか音の感じが?
あ、チョウチョウウオ。イッテンか。
ハタ、これってなにハタ?
えーわからん。とりあえずハタ?
フエヤッコ、タツノオトシゴ、と……?
ちが、それオオウミウマって。そっちはタコ。なんとかダコ。
でもこれじゃオバQだ。
カワハギ旨そうー。
おおー、マダラトビエイが先生かー。
ウミウシでかっ。
あれっ、今のなんだ。
次々と出てくる海中生物の名を競って挙げているうちにストーリーはどんどん進み、そして子どもがさらわれた。


さっきとは違う意味で真剣な顔を見下ろす。
カップをテーブルに置いて、足首を握り締める白い手に手を重ねた。
ああ、うん、そんな感じ。グレートバリアリーフとかなんじゃねえ?
東オーストラリア海流?ってほんとにあんのか? 後で出てくるけど。


だが剣心はやっぱりうるさかった。
あ、マスクがとか、ヤバイってばとか、窒素病かなとか、アンコウだ逃げろとか、なんで忘れるんだとか、やっぱりジタバタと落ち着かない。
ふと疑問が浮かんで、カメって群れんのかねと言うと、余計なちゃちゃを入れるなと睨まれた。
ていうか、それをおまえが言うか?


最後の三分の一はほとんど無言で見ていた。
ただときどき、ハッと息をのんだり、詰めていた大きく吐いて紅茶を飲んだり、声を立てずに笑ったり、嬉しそうにオレの腕に頬ずりしたりして、トイレ休憩もとらずに見終わった。
結局最後まで父子家庭だったな。クマノミなのに。
なんだよ、お前が最初に言ったんじゃん。
拗ねて上目遣いに睨む顔が必要以上にふくれているのが照れ隠しだということくらい判ってはいるが。
しっかしまたえらいハマったなーおまえ。つか、なんで泣きそうなん?
なんだよ、なんも言ってねーだろ。
だから被害妄想だって。
耳だか鼻だかを狙って伸ばしてくる手をかわし、隙をみて取り押さえた。
しばらくもがいていたのがじきにおさまって、穏やかな声が胸にくぐもった。
あ、うん。やっぱそう? オレもさ、これ見るとなんかすげー潜りたくなる。
おう。行こう行こう。カクレはいねえけど、ツノダシとナンヨウハギは見れる。
剣心がDVD特典映像のメニュー画面を呼び出した。バーチャル水族館とビジュアル・コメンタリーで真剣に迷っているらしい。どっちも見ればいいだけだというのに。
気に入った?
見上げる目がふわりと細まって、虹彩の海がゆらゆらと揺れる。
でも昔のおまえ、あんなだった。
んー? パツパツでテンパってて周りが見えてなくて笑いがわかんねえとこ?
いてて。へーへー、じゃあお互いさまってことで。オケー?
きれいに笑った唇に唇で触れると、柔らかい唇がわずかに動いて言葉をつづった。
そっか。よかった。でも俺はどっちも好きだけど?
少し動いてから離れた唇が、つやつやと濡れたまま、また動く。
んなもん浸けときゃいいって。朝オレ洗うし。
ん?
オケオケ、わあってるって。
いいから。
もう黙れ。
長いまつげがふさりと落ちて、部屋に深海の囁きが満ちた。




了/2005.08.17〜09.23
拍手









全体目次小説目次
Copyright©「屋根裏行李」ようこ All rights reserved.