愛が足りない
左之助が戻るまで、あと4日。
昼間はなんだかんだと用事をしていればあっという間に過ぎる。だが、夜になると静けさが身に沁みた。
2月はダイビング業界の休閑期だ。ゲストが減るこの時期に日本で開催される業界の見本市に、去年は二人で行ったが、今年は左之助を一人で送り込んだ。剣心の親しいリピーターの予約が入ったからだ。そのゲストも昨日帰国し、今日は週に一度の深夜便の到着日だが来客はなく、明日からは予約のない日が続く。
時計は10時。寝るにはまだ早い。剣心は部屋を見回した。読みかけの推理小説。雑誌。ラジオ。CDプレイヤー。仕事の書類をとじたファイル。世界のダイブサイトを書き込んだ世界地図。どれも気が乗らない。バスタブを磨いて時間をやりすごすことにした。
不思議なもので、二人でいると平気なことが、ひとりだと妙に気になったりする。たとえば、夕食をインスタント食品で済ますこと。部屋が散らかったままになっていること。バスタブが汚れていること。人恋しくて誰かに甘えたい気分になること、甘えること。
なぜだろう、自分にそれを許してはいけないと思ってしまう。
昔はどうしていたのだろう。ずっとひとりでいたのに。
もう二人でいるのが当たり前すぎて、たった数年前のことが取り出せない。
ぴかぴかになったバスタブに小さな充足感を得て、ベッドに入った。11時半。寝て起きたら、また朝が来ている。
いない人に「おやすみ」をいうのも禁則事項だ。
何も考えないようにして目をつむる。
洗いたてのシーツが心地よい音を立てた。
* *
目覚めると、まだ暗かった。1時。嫌なパターンだ。なかったことにして眠りに戻ろうと思ったとき、剣心の耳が遠くに車のエンジン音をとらえた。こっちに向かっている。今夜の便で着いたゲストだろうか。だがリゾート全体でも予定はなかったはずだ。
頭だか胸だかに、そわそわと沸きあがるものがある。
期待は失望と背中合わせだから、持ちたくはないのだが。
鎧戸を開けると、見慣れたシルエットが近づいてくるのが見えて、ベッドを飛び降りた。
何気なさを装ってドアを開けたが、あまり意味はなかった。左之助が入るなり剣心を抱きしめたからだ。ワサワサとかき回しては犬のように匂いを嗅ぎ、深呼吸を繰り返す。剣心はしばらく左之助の好きにさせてから、言った。
「どうした、早いじゃないか。日曜の予定だったのに」
「だってお前、寂しかったろ」
「何の話」
「だって電話かけて来ねえ」
「え?」
左之助がかけてくるから、毎日、話してはいた。ただ、自分から電話をすることがなかっただけだ。
だが、だから自分が寂しがっていると左之助は思ったという。
彼は正しい。
ひとりでいる時、剣心には、どうしても自分に許せないことがいくつかある。きっと何かの瀬戸際なのだと思う。何の瀬戸際かは自分でもわからない。
その、ひとりだと許せないことが、どうしてか左之助と一緒だと、まあいいかと思える。
剣心は受話器を耳に当てる仕草をして、言った。
「プルルルルル、カチャ。もしもし」
左之助も同じようにした。
「ういーっす」
「元気か? そっちどう?」
互いを目の前に、エア電話で通話する。
「んー、まあまあ。お前は?」
「あんまり。愛が足りない」
ひとりでいるときは必死にこらえていたものが、二人だと自然にあふれ出る。それを自分に許せる。
「え、まじ? 大変じゃん」
真顔で応じた左之助が、測熱するように剣心の額に手を当てた。
大きな掌が下がってきて目を覆い、唇が重なる。
こわばっていたところが柔らかくほぐれていくのがわかる。
「おかえり、左之。会いたかった」
「俺も、剣心。ただいま」
二つの影がひとつに重なって、ドアが閉まる。
南の島の夜は長い。
2012/1/1〜12/31
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