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左之と別れて三ヶ月が過ぎた。
もう、そろそろ前を向いて歩こう…朝、目が覚めると、いつもそう思った。
カーテンの隙間から漏れる光の先をぼんやりと見つめる。
すると、その光の力強さに励まされた気になり、その度に今日も一日頑張ろう、と心の中で呟くのが日課になってしまった。


何もかもが一人分の生活には、正直まだ馴染めない。
自分で決めたことだけど、体も心も物足りなさを感じているのは確かだ。
一日の最初と最後に、誰かが自分の傍にいるということの有り難さも今頃になって気付いた。
だが、後悔はしない。


俺の隣にはいつも左之がいた。
触れなくても温かいと感じられる空気と肌と想いが、いつもそこにあった。
そして触れ合う時には、それ以上の左之の熱が俺を包み込んだ。
左之に抱きしめられると、極上の毛布に包まれたような感覚に陥る。
温かくて優しくて肌触りがよくて落ち着くが、なんだか自分には贅沢かもしれない、なんて。
俺をそんな風に思わせることができるのは、きっとこの世でたった一人だけ。
左之をおいて他にはいない。
でも、そんな貴重な存在の左之も、もう俺の傍にはいない…



オタメゴカシ

北春日部ロビン




別れを切り出したのは俺だった。
突然過ぎた俺の告白に、左之はただ唖然としていた。
俺は、そんな左之を分かっていながら、何食わぬ顔で話を続けた。
テーブルを挟み、向かい合って座る左之は、俺から顔を背け、テーブルの下でささくれを剥いていた。親に叱られた子供のように、時々ちらっと俺の顔を見ては、また指先をいじっていた。
  
「ごめん、左之」
「謝るくらいなら考え直せよ…」
「悪いが、もう決めたんだ」

そう言って俺が席を立つと、左之も同じように立ち上がった。
左之は俺を真っ直ぐに見つめていたが、俺は左之の顔を見ないようにした。
今、左之の顔を見てしまったら、左之がどんな表情をしていようとも決心は揺らぐに決まっている。
俺は冷蔵庫の側面に引っ掛けてある鍵をポケットに入れると、何も言わず玄関に向かった。
靴を履いていると、リビングから左之がテーブルを激しく叩く音が聞えたが、俺はそのまま家を出た。

  
引越し用のダンボールを近所の店から調達しようと思った。
ドラッグストアの裏に乱雑に積み上げられたたくさんのダンボール。
店員に声を掛けると、好きなだけ持っていっていいと言われた。
洗剤やティッシュ、シャンプーや酒、色々な商品名が印刷されている。
選り取り見取りだったが、いつも自分達が使っていた銘柄の箱は敢えてやめた。
長く暮らしてきたとはいえ、俺の荷物はそんなに多くはない。
次の家でも使えるものはたくさんあったが、全部置いていくか捨てる気でいた。
だからダンボールはせいぜい五、六個あれば充分間に合う。
それを家に持ち帰った時の左之の顔を、俺は一生忘れないだろう。
色んな感情がいっぺんに湧き出てきたような、複雑で哀しくて儚い表情だった。
 

  
左之との別れを決めたのは、左之が嫌いになったとか、他に好きな人が出来たとか、そんなんじゃない。
ただ、左之が世間の醜い好奇心の餌食にされることに我慢が出来なくなったんだ。
俺は、自分だけなら何を言われても、思われても気にならなかった。
ただ左之が好きだったから、周りの雑音なんてどうでもよかった。
でも、俺の大好きな左之が誹謗中傷されるのは、想像以上に辛く、耐え難いものだった。


そのことを左之には言っていない。
言ったところで納得してはもらえないだろう。
それどころか意地になって、「そんなの気にしねぇ」とか「別れねぇ」とか連発するに決まっている。

自惚れるわけじゃないが、左之は俺をとても愛してくれた。
そんな左之の気持ちが本物だと理解できるまで、たくさんたくさん愛してくれた。
そして、俺も人を愛する喜びを知ることができた。
と同時に、愛する人を守りたいと思う気持ちも俺の中に沸いてきた。
だから、なんとしても左之と別れなくちゃいけない…そう思ったんだ。
できるだけ傷つけないように…でもそれは思うよりもずっと難しいことだった。

俺は愛している人も満足に守ってやれない…



いつだったか、玄関のドアに白いスプレーで『ホモんち』といたずら書きをされたことがあった。
左之は何も言わずに黙ってそれを消していた。
出先から帰ってきた俺を見つけると、そそくさと俺を部屋の中に押し込んだ。

「なんてことねぇよ。気にすんな」

そう言った左之の顔が、とても気にして見えたから、左之が作業を終えて部屋に戻ってくると、俺は思わず力いっぱい左之を抱きしめたんだ。 
抱きしめた左之の温かさと心臓の音に自分だけ救われて、左之を守りたいと思いながらも、いつも俺が守られてきた。
いつだって、体の大きな左之だけが悪者のように見られていた。
そんなことないのに…俺達は何も悪いことなんてしてないのに…そう思っても俺は何も出来なかった。
本当に俺は気の利かない男だ。

ゴメンな、左之… 


 



「今まで、ありがとう」
「なあ、ホントにもうダメなのか?」
「ああ」
「俺のこと、ホントはまだ好きなんだろ?そうだろ、剣心?」
「左之…すまない。元気で…」


結局、左之とは分かり合えないまま別れの日を迎えた。
左之は、俺がいなくなっても住所を変える気はないようだった。
少し、計算が狂った。

俺がここを出たら左之もここを離れ、新しい土地で新しい生活をし、
新しく出会った人と新しい恋をして幸せになるって勝手に決め付けていたから…


新しい住所を左之には言わなかったし、左之も聞いてこなかった。
きっと左之は、こんな俺でもここに戻ってくることを望んでいるのだろう。
それを言葉にしないところが左之らしいが、余計に左之への思いを未だ断ち切れないでいる自分を見つけ萎えてしまう。


そう、俺はきっと左之を忘れることなんて出来ないだろう。
いや、はじめから、忘れる気なんてなかったんだ。
俺はいつまでも左之が好きだ…
いつか、左之が俺を忘れる日がきても、俺は多分左之が好きだ…

未練がましいけど、それでもいい…よな?




新しい家に越してきて間もなくは、やっぱり何もする気になれなかった。
とりあえず仕事は続けていたけどミスが多くて、余っていた有給をこことぞばかりに乱用した。
だが、いざ休みを取ってみても一日中部屋の中でだらだら過ごすだけだった。
空っぽの冷蔵庫を見てしまうと、買い物に行かなきゃと思うのに、なんだか急に途轍もなく怖くなることがあった。


左之の家からは、遠く離れているこの家を左之が探し当てるとは思えない。
だがもしかすると、宝くじで一等が当たるような確率で左之が姿を現すかもしれない。
そしてその時、今みたいに外見だけでなく、中身まで見窄らしい自分を左之に見られてしまうのが俺は怖いのかもしれない。


かといって、このまま引きこもりを続けられるほど、俺に余裕はない。
今は有給でも、それが終われば、また嫌でも働いて食べていかなくてはいけない。
ならば、外へ出ることにも躊躇ってばかりはいられない。
頭に浮かんだ左之の優しい心配顔を消し去るように俺は頭を振った。
小さなマンションの角部屋で、窓の外を恐る恐る覗いてみる。
知らない家の三角をした屋根も、コンビニも、立体駐車場も、灰色の道路も、
配置が違うだけで、左之と暮らしていたあの部屋から見えた街と然程変わらない気がした。
景色だけではなく、色も匂いも、何となく似ている。
そう思うと俺は少しだけ安心して、どうにか買い物に出ることができた。

  
とりあえず必要なものだけ買って、すぐに帰ろうと思っていた。
だが、徐々に好奇心が沸いてきた俺は、いつの間にか予定の倍近い範囲をうろうろと歩き回っていた。
小さなアーケードまで足を延ばすと、左之の履いていたサンダルと同じ物が売っている店を見つけた。
隣にいるはずもない左之を見上げた俺の視界には、『紳士サンダル ¥980(税込み)』の文字が哀しく飛び込んできた。
肩を落とすと薄笑いが漏れ、それと色違いのサンダルを手にして店の奥へ入った。
靴屋の店員にサイズの確認をされた。
左之のサイズと同じで、俺には大きめだったが、俺はそれでいいと言った。
ビニールの買い物袋に入れられたサンダルを必要以上にぶらぶらさせて歩いてみる。
底が破れて中身がすっ飛んでいったら、それでもいいと思った。
俺から左之に別れを告げておいて、それでも尚、左之を思うことを止められない俺にはささやかなバチだと思う。  
そう思ったら、俺は馬鹿みたいに左之と同じものを次々に買いあさった。
歯ブラシ、五足セットの靴下、Tシャツ、ブラシ…全て一つずつ袋に入れてもらい、それを大きく振りながら家を目指した。


見知らぬ人は俺を頭のおかしいヤツだと思うだろう。
確かに、これだけ袋を振り回しながら歩く大人なんて、そうはいないだろうから。
止めてある自転車や、コンクリート塀の角、垣根から飛び出した枝なんかに時々袋を引っ掛けてしまったけど、それでも俺は前を向いたまま、袋を振り続けた。
すると突然、ほんの少しだけ袋が軽くなって、俺の後ろで物が落ちる音がした。
その直後にも、同じ感触と音が数回したが、俺は振り返らずに歩き続けた。
やがてマンションに辿り着きエレベーターに乗ると、何も持っていないくらい腕が軽いことに気付き不安になったが、それでもそのまま自分の部屋に辿り着くまで絶対に視線は下ろさなかった。
鍵を開けキッチンに駆け込み、袋を下ろし座り込む。
白や半透明の袋は見事な破れ具合いで、自分がしたことなのに、ここまでやるか?!と、自分の乱暴ぶりに少なからず呆れた。

サンダルも歯ブラシもなくなっていた。
ブラシも、靴下のセットも見当たらない。
辛うじてTシャツだけが破れた袋の穴に突っ掛かり無事だった。
ただの真っ白なTシャツは、左之の定番だ。
普段着でもあったし、下着やパジャマの代わりでもあった。
左之は同じシャツばかりたくさん持っていた。
たまには違う色も着たらどうだ?と俺が言うと、左之は決まって鼻の横を掻きながらこう言った。

「俺はこれが好きなんだよ。まぁ、でもアレだ。こんなもんより剣心の方がすっげー好きだけどな」

そんな会話を思い出してしまうほど、白いTシャツと左之はセットだった。
そのTシャツは俺の我侭な行為にも耐え、どうにか袋に留まっていた。
だから、これだけは俺の傍に置いておいてもいい物なんだ…そう思って箪笥の一番下の引き出しにそれをしまった。
我ながら情けない慰めだが、左之を感じる材料がないと、俺は…



俺の掌から左之の温もりは消えたが、心に沁み込んだ温もりは決して消えはしない。
左之の隣にいることは諦めたが、左之への思いを諦めることはそう簡単にはいかないだろう。
はじめから、左之を忘れる気なんてなかったのではなく、忘れることなんて出来ないと分かっていたんだ。
それでも左之を傷付けまいと俺なりに出した結論のはずだった。
俺がいなくなれば、左之はまともな大人の男として世間から認められるだろう、そう思って……。
だが、結局傷つけたくなかった左之を一番傷付けてしまったのは俺なんだ。


だから左之、そんな身勝手な俺のことは早く忘れてほしい……。
そんな俺に何時までも思われてしまうお前には同情するけど、どうしても俺は左之を忘れることなんて出来ないから、それだけは最後の我侭だと思って許して欲しい。


一人の夜が辛すぎると、確かに左之を忘れてしまいたい思うこともあった。
だけど、左之への思いを断ち切らない限り、前に進めないというのなら、それでもいい。
それも俺の運命として受け入れる覚悟は出来ているから。








悲しくて切ないけれど、ともて優しくてあたたかくもある、大好きな一編です、ロビンさん、ありがとうございます!  ようこ






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